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ロジスチィック軽視

 

先に個人のモラルと国家のモラルについて述べたが、国家というのは極めて強い意志を内在していると思う。

国家の意思というよりも、その国を形成している人々の考え方の集大成のようなものがあると思う。

1945年、昭和20年8月、日本はアメリカに見事なまでに完璧に敗北したが、この結果に対しても我が方にも、アメリカ側にも、それぞれの国として、その国を形成している人々のものの考え方が見事に露呈していると思う。

例えば、この年の4月に沖縄戦が展開したことは周知の事実であるが、このときアメリカ軍が上陸した地点の沖合いには、アメリカの艦艇がそれこそ雲霞の如く集結していたといわれている。

この状況から、戦後、我々はアメリカの物量に負けた、アメリカの物資の豊富さに負けた、という言い方をしたものだ。

ところが、これは戦争当初より、我々のものの考え方とアメリカのものの考え方の相違がこういう形で露呈したに他ならない。

というのも、1941年、昭和16年、我が帝国海軍が真珠湾を攻撃した際、我々は湾内に停泊している軍艦のみを標的とし、その後の海戦でも、いつも相手の軍艦のみを標的とし、その他の艦艇はいくら沈めても戦果として評価しなかった。

この真珠湾でもそれと同じことで、標的を戦艦にのみに絞って、一喜一憂して、その他の兵站、つまり燃料タンクとか、ドックというものを無傷のまま放置して、戦艦に損傷を与え、いくつかは沈めたので一定の戦果があったとして引き上げてきている。

ところが攻撃されたアメリカは、ドックが無傷で残ったものだから、すぐに普及作業をし、燃料タンクもまったく損なわれていないので、迅速に戦線復帰ができたわけである。

この兵站を疎かにする、兵站に価値を置かない、補給を蔑視するという思考は、明治以来の日本の軍隊の伝統であったのではないかと思う。

兵站を疎かにする、補給の重要性をまったく認識していなかったという点からして、日本海軍は輸送船の護衛という任務をまったく評価していなかったという話だ。

陸軍でも同じことが言えるわけで、「輜重兵が兵ならば、蝶ちょトンボも鳥のうち」といって、補給部隊を軽蔑していたわけで、その延長線上に補給が底を着いて玉砕という結果を招いたものと思う。

同じように海軍も補給ということをまったく評価しなったものだから、敵の輸送船を発見して、それに対して積極的に攻撃をすることをしなかった。

だから味方の輸送船を護衛することを遺棄していたので、敵の輸送船に注意を払うこともなく、それが結果として、日本の輸送船は次から次へと沈められたのに、敵の輸送船は物資を満載して兵站を潤わせたのである。

仮に攻撃したとしても、それが戦果として正当に評価されないものだから、おざなりの仕事になるわけで、相手にしてみれば完璧に補給が可能であったわけで、気がついたときには豊かな物資で自分たちが攻撃されるという結果を招いたものと考える。

一方、アメリカ側は、日本の輸送船を見つけ次第沈めてしまったので、我が方は補給が続かず玉砕という結果になってわけである。

この輸送船に価値を見出すことなく、「ただただ戦艦を求めて、戦艦を沈めることだけが戦いだ」という認識は、結局戦争が終わるまで我が方では気がついていなかったのではないかと思う。

我が方の海軍は、「戦艦と戦艦の戦いこそ海戦だ」という、一昔前の武士の一騎打ちのような価値観で、あの20世紀の近代戦争をしていたわけである。

一方、アメリカの方は近代戦争である限り、「補給を絶つことこそ勝利の道だ」という発想でもって、日本の輸送船を見つけ次第沈めてしまったわけである。

結果的に、沖縄戦ではそれまでの過程でアメリカの物資は消耗されることなく戦線まで運ばれて、我が方に弾雨となって降りかかってきた。

これこそ日米双方のものの見方、考え方、合理的な思考の相違ではなかろうか。

この発想の違いは、それこそおのおのの民族の持つ潜在意識の違いだと思う。

日米戦に関する限り、その戦い方の理念が最初から噛み合っていなかったと思う。

アメリカは戦争をする前から、することを前提としてものを考えていたが、わが方は最期の最後まで戦争回避の方策を模索していたわけで、する気でいるものと、あわよくばしないで済ませようという考え方では、勝負はもう既にそのときに決まっていたといってもいいと思う。

 

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