060106001
年末に図書館から借りてきていた本を今日(4日)読み終えた。
表題を見て何の気なしに読んでみようと思って借りてきたら、これが朝日新聞の発行したもので、
「自衛隊・知られざる変容」という本であった。
朝日新聞発行ならばきっと偏向しているのではないかと思って読んでみると、この本に限ってはかなり中立的であった。
表題から、私は自衛隊の最新式の兵器の変遷が述べられているのではないかと思ったが、極めて戦略的な記述が多かった。
つまり、最近の自衛隊の海外における活躍を政治的な視点から眺めた書きかたである。
そして、今後の日本の国防というものをどういう風に捉えるかという視点もきちんと述べられているが、朝日新聞社というのは基本的に日本の政府、ひいては日本国民に弓を引く集団であることを考えると、異例の作品ではないかと思う。
戦前に朝日の記者、尾崎秀美がソビエットのスパイだったことが頭を掠める。
当然のこと、自衛隊の各層に渡って取材をして書かれているが、私が自衛隊の中の人間ならば、朝日新聞に対しては如何なる取材に対しても、取材に応じることを禁止する措置を取る。
自衛隊は国を守ること、日本という主権国家の国民と国家を守ることがその存在理由であるが、朝日新聞というのは戦前・戦後を通じて、日本を亡国に導こうとしている集団なわけで、こういう集団に対しては断固、抵抗を試みなければならないと思っている。
「ジャーナリストは権力にたいして批判精神を持たなければならない」というのは、メデイァ側の詭弁に過ぎない。
「公務員は国民に対して奉仕の精神でなければならない」、というのが画餅にすぎないのと同じ程度に、詭弁の最たるものだ。
ところが、この本に登場してくる現職の自衛官というのは実に立派だと思う。
下手な政治家や評論家や大学教授よりも、よほど中庸の精神に富んでおり、バランス感覚が優れている。
ところで、戦後の我々、日本国というのはシビリアン・コントロールで貫かれているが、これは戦前も建前はシビリアン・コントロールであったにもかかわらず、それが軍部の独裁になってしまったのは、突き詰めれば戦前の日本国民がそれを願っていたということになると思う。
当然、それを煽ったのは戦前の朝日新聞で、いま朝日新聞の前の時代ではあるが、戦後は軍部というものを一般の国民と別個に捉えて、軍部という「悪の権化」がエイリアンのように別に存在していて、善良な日本国民はそれに騙されたという認識が罷り通っている。
これも朝日新聞が作り上げた虚像だと思う。
その轍を再び踏まないように、戦後はシビリアン・コントロールという言葉が独り歩きしているが、これがきちんと確立するためには軍・自衛隊を牛耳るべきシビリアンがきちんとした国際感覚、グローバルな常識、人としての倫理観、国際協調の中のバランス感覚というものを身に備えていなければならないと思う。
東西冷戦は癒えたが、それが終わったと思ったら地域紛争が噴出し、テロが横行し、イデオロギーというタガで締め付けられていたものがばらばらになってしまったわけで、そういう世界状況の中で如何に国益を維持し、それを進展させるかという課題はきわめて優れた平衡感覚でなければ解決し得ないと思う。
国益という言葉を使うと直ぐに「帝国主義的国益」という風に発想しがちであるが、そういう発想すること自体が時代遅れだと思う。
自衛隊のトップはいうまでもなく内閣総理大臣であって、一人の政治家であるが、政治家というのは属する政党に左右されるわけで、村山富市氏の場合は基本的に政党の論理を曲げてまで、総理のイスを選んだということであろう。
シビリアン・コントロールであるならば、シビリアンとしても戦略を常に考えている部門と同じ思考に立たなければならないと思う。
ところが戦後の日本人の中には「戦略」という言葉そのものを嫌悪する風潮が顕著で、そういう発想そのものが「復古主義」と言いふらす元凶が朝日新聞なわけである。
八方美人的な平和思考の総理大臣が出て、自衛隊を一歩も海外に出さないとなれば、日本は相当に国益を損なうことになるであろう。
その平和思考なるがゆえに日米安保も解約を迫られるかもしれない。
自らの身のみを可愛がって、他と協働して汗を流し、危険を分かち合う気のないものを援助したくないのは誰しも同じで、人としての基本的な感情だと思う。
自衛隊発足50年ともなると、世の中は大いに変化して、ただただ向こうから侵攻してくる敵を待ち受けるという発想は通らなくなってしまって、積極的に海外に出て国際貢献が求められる時代になってしまった。
それと同時に、正月明けのテレビでは横田めぐみさんに関する北朝鮮側の首謀者が確定されたと報じられているが、この事件に関しても自衛隊が寄与する部分があったのではなかろうか。
警察の領域として済ましていていいものだろうか。
国民の安全・生命と財産を守るということであれば、自衛隊としても何らかの手を打つ方策を模索しなければいけないのではなかろうか。
こういう動きには真っ先に朝日新聞が反対ののろしを上げるであろう。
国を守るという場合、武力でそれをしようとするのは下の下の策だと思う。
出来うるならば出来るだけ武力を使うことなく、外交でそれが出来ればこの上ない幸せなはずであるが、そういうことを論じようとする際、「国を守る!」という言葉を聴くと条件反射的に「武力行使で!!!」と捉えるのが今日の日本のマス・メデイァであり、知識人であり、進歩的と称する売国奴たちである。
外交交渉で国を守るということは、舌先3寸で出来ることではないはずで、自衛官以上に世界の軍事情勢から、政治の情勢から、相手国の政治的背景まで知らないことには外交交渉そのものが成り立たないはずである。
たとえば、北朝鮮による拉致被害者の問題でも、こちらがいくら誠意を込めて話し合おうとしても、相手がテーブルにもつかなければ交渉そのものが成り立っていないではないか。
中国が日本の領事館員に「スパイをやれ!」と言ったとしても、言った言わないと水掛け論をいくらしたところで国益にはつながらないわけで、こういう場合は何も問題が可決していないということである。
当然のこと、日本の国益には何一つ寄与するものはないが、そのことがすぐさまホットな武力行使につながっていないので、我々は平和だと思い込んでいるが、これは何も平和ということではないはずである。
祖国の国益が犯されているのに何故平和などといえるのか。
こういう状況下に至ったとき、「武力行使も辞さずに国益の擁護をせよ」と迫ったのが戦前の日本国民であったと思う。
それをそういう風に煽りに煽ったのはいうまでもなく戦前の日本のメデイァであった筈である。
メデイァが国民の後ろから煽りに煽ったから、それが日本国民の総意となり、それを具現化したのが軍部であったと考えなければならない。
考えても見たまえ、戦前の軍部というのは、そのすべてが当時の日本の国民の一部分で、我々の祖父や、親兄弟や、親戚縁者の人々であって、しかも彼らは当時の日本のエリート集団であったではないか。
戦前の海軍兵学校、陸軍士官学校に入った人達というのは、村一番、町内一番の秀才たちではなかったか。
そういう秀才たちが、その時代状況のなかで一番国民が希求していることを具現化しようと、実現しようとした際、その前に立ちはだかったのが封建主義のシーラカンス的な政治家たちであって、この政治家というのが実に堕落していたわけである。
それはある意味で時代の状況でもあって、今振り返ってみれば、当時の政治家には民主主義というものが十分に理解されておらず、封建主義から真の民主主義の過渡的な時代でもあったので、その堕落振りというのは優秀なエリート集団から見ると実にまどろっこしくて仕方がなかったと思う。だから、単刀直入に実力行使すると、政治家は一斉に踝を返して沈黙してしまったのである。
此処で本来ならば、旧帝国大学の教授という知識階層が、このエリート集団をなだめることをしなければいけなかったが、当時の知識階級とマス・メデイァはこういう若者の実力行使をフォローする側に回ってしまった。
そのことは、彼ら青年将校の行動にある程度の整合性があると思っていたわけで、日和見な知識人も正面きって青年将校の行為を非難できなかったのである。
彼ら青年将校の言っていることは、その当時の社会の不平不満を見事に具現化していたわけで、クーデターという行為は糾弾しても、その心情は理解できるという態度をとったため、その後軍部が独走する形が出来てしまったのである。
2・26事件のとき、昭和天皇一人がクーデターを起こした青年将校たちを諌めようとしただけで、政治家も、軍部も、知識人も、誰一人「ああいう跳ね上がりを許してはならない」と言わなかったではないか。
天皇が怒っているので、後から泥縄式に処罰をしてみたものの、それは天皇の顔を立てだけのことで、真に政治家の奮起を促すには至らなかったではないか。
そのことは言葉を変えて言えば、あの青年将校たちは当時の日本国民の深層心理、つまり国民としての総意を具現化していたわけで、そのことをわかりやすく表現すれば、「武力でもって国益の遂行を行うべし」ということを当時の日本国民の全部が理解し、了解していたということである。
こういう事態の背景には、当然のことマス・メデイアの煽動があったと見なさなければならないが、往々にして、この扇動ということは本人もなんら意識していなかったということだ。
煽動しようと思って煽動したわけではなく、言っている本人はきわめて正論を言っているつもりであったが、結果から見てそれは煽動ということになった。
戦後、軍国主義と天皇制はセットとして語られているが、これは昭和初期の日本の政治が軍人たちによって翻弄されたとはいえ、軍人たちが国民に対して強制したものではない。
軍人政治家と国民の間には、「虎の衣を借りる狐」的存在の我が同胞がいたことを知らなければならない。
たとえば、美濃部達吉の「天皇機関説」を排斥したのは他ならぬ京都帝大の大学教授たちであったわけだし、斉藤隆夫の国会での演説を糾弾したのも他ならぬ国会議員であったわけで、直接的には時の為政者がしたわけではない。
こういうものを糾弾すること自体が、国民をそういう方向に持っていこうとする恣意的な行為であったと考えられる。
軍人政治家と国民の間には、そういう層・階層が出来ていたわけで、その層というのは、今の言葉で表現すれば知識階級ということになろうかと思う。
こういう人達が、政府も天皇も何も言っていないのに、あたかも言ったように国民の上に軍国主義と天皇制を吹聴し、鼓舞したわけで、当時のマス・メデイァは当然それを大いにフォローしたことになる。
そもそもマス・メデイァにとって真実などはどうでもいいわけで、内容に話題性があれば、国がどうなろうとも関係ないはずである。
日本人がどうなろうともメデイァとしては痛くも痒くもないわけで、売文業として糊塗を凌げれば、それで我が身は安泰なわけである。
メデイァが帝国大学の大勢の先生の意向を「正」と認識して、たった一人の教授を苛めるというポーズは実に反民主的なことであるが、そのことに当時の知識人、大学教授、マス・メデイァの人々は誰一人気が付かず、反論、抵抗しなかったわけで、それが当時の大学人としての理性であり、倫理であった。
ならば一体学問とは何なのかと言いたい。
これが当時の帝国大学の教授といわれていた人々の生き様であったわけで、そのことは大勢に身を寄せていれば我が身が安泰だ、という保身の術に他ならないではないか。
であるとするならば一体学問とは何だといわざるを得ない。
戦前の日本の帝国大学の教授連中がこういう体たらくでは、その後の日本が奈落の底に転がり落ちるのも当然の帰結ではなかったかと思う。
戦後の言論界では、旧軍人は執拗に糾弾されているが、昭和の初期の時代の大学を糾弾する論調は聞いたことがない。
尚悪いことに、占領軍の価値観をなんら疑うことなく受け入れて、それを基準にして旧の日本軍を糾弾しているわけで、そのことは我が同胞や先輩諸氏につばを引っ掛けているに等しいにもかかわらず、それに気が付こうとしていないのが大学と称する知識人の集団である。
斉藤隆夫の問題でも、当時の国会議員は一体何をしたのかといいたい。
戦後の論調では、「軍人が政治に口出したから日本は戦争に負けた」といわれているが、軍人が政治に口を出す前に、当時の政治家は一体何をしていたのかと問い直さなければならないと思う。
確かに5・15事件とか2・26事件とか青年将校の跳ね上がり的なクーデターがあったのは確かで、それによって政治家が暗殺の恐怖にさいなまれて沈黙してしまったことが軍人の暴走を食い止めれなかった最大の原因だと思う。
しかし、政治家が「自分の命が惜しくて口をつぐむ」という論理は少々おかしいではないか。
この時期、もう既に中国戦線では泥沼に嵌まり込んで、一銭五厘で召集された兵隊たちは生死を掛けて戦っているわけで、その中で内地にいる政治家が「自分の命が惜しい」では、政治家自身が国民のことを何一つ考えていなかったということではないか。
自分の命は惜しいが兵隊の命などどうでもいいということを如実に表しているではないか。
国を守るということは軍人だけのことではなく、今の時代であれば自衛隊だけが考えれば済むことではないはずである。
軍事的、戦術的な方策を考えるのは自衛隊でいいかもしれないが、自衛隊が出動しなければならない状況というのは、最低、最悪の状況なわけで、政治家としてはそういう状況を極力避け、戦略的に国益を図る方策を常に考えておかなければならない。
口先3寸でそれが出来ればこれほどありがたいこともないが、それをするためにも相手の手の内、こちらの手の内というものを熟知していないことには、口先3寸の外交も出来ないわけで、それは「平和!平和!」と叫んでおれば済むというものではないはずである。