051219003  ある本について

ある本について

 

月に一度の割で目医者に行かなければならないが、毎度、長いこと待たされるので、ある日「帝国海軍・失敗の研究」なる本を持っていって読んでいた。

この著者がぼろくそにこき下ろす内容も、私には十分納得のいくことである。

そのもっとも顕著な例は、真珠湾攻撃で、空母から飛び立った攻撃隊が、戦艦のみを標的にして、オイルタンクや兵器工廠の類を一切攻撃せずに引き上げた点に、この筆者ならずとも日本海軍の戦略意識の欠如には憤慨せざるを得ない。

この筆者は、著書の全編を通じて、そういう事例とあげて糾弾しているが、言われてみれば確かにそのとおりだと思う。

当時の海軍の高位高官の人々は、武士道に則って「やあやァ、我こそこそは何の誰べえで・・・・・」という関が原の合戦以前の古典的な日本の戦争を意識していたとしか言いようがないと思う。

それに反しアメリカ側は徹底的に近代国家総力戦で掛かってきたので、日本の輸送船団はことごとく餌食になっていたが、日本側は敵の輸送船団を全く攻撃していなかったので、結果的にアメリカの物量に負けたという言い方になると思う。

日本海軍は宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘のような、戦艦対戦艦による一騎打ちのような闘い方を目指していたが、敵の方はそんなきれいな闘い方をする気は全くなく、戦争である以上勝たねばならないという単純明快な思考できているものだから、我が方の輸送船は見事に沈められてしまったものと思う。

戦艦対戦艦による一騎打ちは日本の武士道に通ずるものであり、同時に日露戦争の日本海海戦の成功例で、それ以降の戦略思想が停止してしまって、20世紀の戦争というのは、そういう古典的な発想では生き抜けないということが、大日本帝国海軍には最後の最後まで判らなかったということは真実だと思う。

この本の著者が日本海軍には船団護衛という意識が全くなかった、と言っていることは真実だと思う。

味方の船団を護衛し、必要な物資を決められた場所にきちんと揚陸させることは、作戦遂行上極めて重要なことであり、それは同時に敵の輸送船団についても同じことが言えるわけで、そのことに全く気がついていなかったという論者の言は正鵠を得ていると思う。

輸送船団を護衛するということは、作戦遂行上極めて大事なことで、それは同時に敵の輸送船団は見つけ次第壊滅しなければならないということであるが、そのことの重要性を旧日本海軍は壊滅するまで結局はわからなかったみたいだ。

そのことは戦略におけるロジステイック、補給、兵站ということに全く無知ということである。

軍艦そのものは、ある程度そういうものを自分自身の中に抱え込んで1ヶ月や2ヶ月は行動できるので、陸軍のように補給の心配というのはさほど関心がなかったとしても、その前に帝国海軍たるものが輸送船団の護衛というような格好の悪い仕事が出来るか、というエリート意識というか傲慢さが先に立っていたと思う。

それは同時に、古典的な武士道精神に則って、敵の輸送船団を攻撃しなかったものだから、最終的にはアメリカの物量で負けたということになったものと思う。

海軍として敵の輸送船を沈めてもそれを戦果としない発想にも、ロジステイック、補給、兵站の何たるかがわかっていないということだと思う。

それゆえに折角パールハーバーを攻撃しても、オイルタンクや兵器工廠を無傷のまま引き上げるという愚を犯したのであろう。

日本海軍が敵の輸送船団をことごとく沈めておれば、我々の前にアメリカの物量というものは出現しなかったはずである。

太平洋のあらゆる戦場で、日本軍はアメリカの物量に押しつぶされたといわれているが、日本海軍がアメリカの輸送船を沈めなかったからそうなったのだ、という説にはなるほどと思わざるを得ない。

我々の側では、武装をほとんど持たない輸送船を沈めることは、「卑怯な行為」という極めて武士道的な認識を最後の最後まで捨てきれず、戦争とはあくまでも正々堂々と正面から力と力の対決だ、という認識に陥っていたものと考えざるを得ない。

ところが20世紀の国家総力戦というのは、そういう古典的な戦争ではなかったわけで、そのことに戦争が終わるまで全く気が付かなかった我々の愚は、この本の著者ならずとも憤慨せざるを得ない。

我が方は、船団護衛を疎かにしていたので、作戦地域に物資が行き届かず、敵の方の輸送船は我が軍が沈めることがないので、敵側は作戦地域に滞りなく物資が到着したわけで、いざ決戦となった場合、日本軍の前にはアメリカの物量の山が出来ており、我々は敵の物量に負けたという結果になったものと考える。

私も従来海軍びいきであったが、これからは認識を改めなければならない。

 

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