靖国神社

戦後60年の憂鬱
    その7

蔑みの思考

 

24日(平成17年8月)に東京に通院したついでに、靖国神社に参詣してきた。

靖国神社については過去にさんざん所見を記してきたが、どうしてこの神社に参詣することが外交問題にまで成り得るのでしょうか。

この神社は伊勢神宮や熱田神宮とは違って、太古からあったわけではない。

明治維新後、戊辰戦争の戦死者を敵味方の隔たりなく慰霊するために建立された神社であって、新しいとはいえその根本精神には日本人の太古からの死者を敬う気持ちの具現化であったことに違いはない。

戊辰戦争は内乱であって、このときの敵味方というのは同じ日本人同志であったが、それ以降の近代戦争の時代になると、敵というものが外国人になるわけで、それに付随して死者も特に日本人に限定されるようになったまでのことで、今日の日本の繁栄が、そういう人々の尊い犠牲の上に成り立っていると考えれば、自然に頭を垂れる心境に至るのが普通の国民の普通の気持ちでなければならないと考える。

これを外交カードとして使う中国は、我々とは違う価値感の国であって、彼らの認識では悪人は死んで墓の中に入っても悪人のままで、墓を暴いてまで旧悪を糾弾することが彼らの文化である。

とうてい我々の民族的価値観とは相容れないものがある。

先方はその論理で、靖国神社にA級戦犯が合祀されていることを外交カードとして使っているのだから、我が方としては文化の違いを強調すべきであったが、先方の言いなりに行動してしまったので、先方としては靖国神社に日本の国家首脳が参詣することを糾弾すれば、それが外交カードとして大きな価値を生んでしまった。

その元凶は中曽根康弘である。元帝国海軍主計中尉中曽根康弘である。

その中曽根にこういう屈辱をあえて諫言したのが後藤田正晴である。

共に旧大日本帝国軍隊の経験者である。

この時から中国は靖国神社参詣を外交カードとして使うと大きな利益を得られるということを学習したのである。

相手国の弱みを握るという行為は、国際社会では極めて常識的なことで、これでもって中国が特別に卑劣というわけにはいかないが、その外交的交渉術にまんまんと嵌った我が方の見識の欠如、その愚劣さは大いに反省しなければならない。

日本と価値観の違う国だからこそ、相手の言い分にはよくよく注意しなければならなった。

相手国の金玉を握って、それを外交のカードとして使うということは、今日191カ国にも及ぶ国連加盟国の中でも極々普通のことであって、そのこと自体は何等相手を咎めるわけにはいかない。

問題は、相手国に自分たちの金玉を握られるということである。

我々の側の弱みを相手に掴まれるということである。

一国の首相が相手から何かを非難されて、「はいそうですか!?では改めます!」と、簡単に言ってしまっては、そのこと自体が相手にとっては外交のカードになってしまうわけである。

その時に、「貴方はそういいますが、我々は決してそういう意図で行動しているいのではありません」と、はっきり相手の言うことを論駁しておかないから、こういうことになるのである。

靖国神社にA級戦犯が合祀されていようがいまいが、それは日本の国内問題なわけで、それを先方の言うことを真に受けて、相手の言いなりになってしまったものだから、先方としては日本の金玉を握ったと思い込むのも当然のことである。

中曽根と後藤田が、相手から言われたことを素直に聞き入れたことは、日中間でごたごたと問題を起こしたくないから、という下心があったからに他ならないが、このトラブルを避けようという弱腰の態度が、相手の覇権主義を刺激してしまったのである。

政治というものは結果オーライであって、結果が問われることはいうまでもなく、その意味で、中曽根氏の罪は非常に重いと思う。

中曽根氏が中国の言いなりになったので、後に続く首相は、いちいち私人か公人と立場を表明しなければならないことになってしまったのである。

日本人のために英霊となった御霊を、日本の首相が参拝するのに、他国からとやかく言われる筋合いは毛頭ない、ということが中曽根氏や後藤田氏には判っていなかったのであろか。

此処で彼らの言い分として、国益ということが出てくるわけであるが、今の我々のいう国益というのは、経済及び貿易のことである。

この時点で、中国とトラブルを起こしては対中貿易に影響が出るのではなかろうか、という懸念があったからこそ、彼らも中国の僕・下僕・奴隷と成り果てたわけであるが、如何なる状況に置いても、日中貿易が途絶えて困るのは日本ではなく相手側であるという認識の不足だと思う。

中曽根氏は極めて対米依存の高い首相であったが、それゆえにアジアに対する視線があさっての方向を向いていたわけで、我々は日中問題というと日本と中国の関係とみなしがちであるが、実はそうではなく、中国問題というのはアメリカの問題と極めて密接にリンクしていることに気をつけなければならない。

中国が日本の内政にまで干渉してくるということは、日本とアメリカの関係に楔を差し挟もうという魂胆と見なさなければならない。

中国は、ただたんに日本に対して威張りたがっているだけではない、ということを知らなければならない。

中国は、日本にチョッカイを出した場合、アメリカがどう出てくるかと、それを見極めようとしているのである。

中曽根氏などは小泉首相に対しても、靖国神社参詣を止めるように言っているが、現実の問題として、首相が参詣に行こうが行くまいが大勢にはそうたいして影響はない。

せいぜい遺族会が怒る程度で、たいした問題ではない。

しかし、そこには「民族の誇り」という目に見えない概念の価値観が潜んでいる。

いくら誇りを持っていたとしても、それで飯が食えるわけではないので、誇りなど捨てても構わないという思考が戦後の日本の大勢を占めていることは否めない事実だと思う。

名誉や誇りに固執して命を落とすぐらいならば、そんなものはさっさと捨ててしまえばいい、というのが戦後の日本人の根底に流れている潜在意識だと思う。

だからこそ、我々は世界的な規模で、エコノミック・アニマルと蔑まれているわけである。

その世界的規模の日本人に対する蔑みの思考が、まわりまわって中国からの苦情となって日本に跳ね返ってきているわけである。

 

戦争犯罪者?

 

我々は、第2次世界大戦で完璧なまでに叩きのめされた。

あの戦争中を通じて、日本の指導者は、「勝つ!勝つ!」と言い続けて、蓋を開ければ完璧なまでの敗北であったわけである。

あの戦争では、戦争という特殊な状況下とはいえ、アジアの人々に多大な迷惑を掛けたことはまぎれもない事実であり、それは同時に、我々日本人もある意味で被害者であったわけである。

靖国神社には240万柱の英霊が奉られているといわれているが、その中で実際に敵の銃弾で倒れた人は一体どのくらいいるのであろう。

同胞の理不尽な扱いで、死ななくてもいい命が無意味に失われたケースが非常に沢山あったのではないかと推察する。

私は、純粋な気持ちで、靖国神社に奉られている英霊達は、戦闘での死者と思いたいが、実際は、我々の同胞の不手際、理不尽な扱い、強要された死というものが数限りなくあったのではないかと想像する。

しかし、敵と果敢に戦って命を落とし英霊達には、心から追悼の意を表しなければならないと思う。

敵と果敢に戦うという行為は、敵味方の枠を超えて、美しい行為だと思う。

だからこそ、国際交流の場では、外国を訪問した国家首脳は、旧敵国の英霊にも献花をして、元の敵国の兵士達をも称えるのである。

それは自分の祖国に対してあくまでも忠誠であったことの証でもあるわけで、自分の祖国に対して忠誠をつくしたという意味で、敵味方の枠を超えて、人類の模範として、英霊に対して敬意を表すということだと思う。

こういう概念を、戦後の日本人は全く無くしてしまった。

それはある意味で無理もない話しで、あれだけ「勝つ!勝つ!」といわれて、結果的には大敗北であったわけで、戦い済んで生き残った同胞・日本人にしてみれば、自分たちの祖国に嘘をつかれていた、政府に騙されていた、自分たちの政府は金輪際信用ならない、という感情は致し方ない面もある。

今、戦後60年たって、この思いは生き残った今の高齢者に特に顕著にみうけられる。その意味で、中曽根氏や後藤田氏も、そういう生き残りの範疇の一人として見ることができる。

「熱さに懲りて膾を吹く」という状況に陥っていると思えばいい。

ところが我々は戦後といえども、我々を騙した同胞に対してその罪を追い求めるという作業を全くしていない。

我々に、「勝つ!勝つ!」と言いつづけた指導者に対して、我々の内側からの糾弾を全くしていないというのは一体どういうわけなのであろう。

靖国神社参詣に対して、中国側のいう問題点は、「ここにA級戦犯が合祀されているから駄目だ!」、というものであるが、このA級戦犯という言葉も、我々は何等違和感も感じずに使っているが、これもおかしなことのはずである。

云うまでも無く、この言葉は戦勝者が、日本の旧指導者、あの戦争を指導した当時の日本の政府高官、つまり当時の日本の為政者に対して付けた呼称であって、我々の側からすれば、厳密な意味での戦争犯罪者ではないはずである。

政策の失敗者、間違った政策を押し進めた、という罪はあると思うが、それは犯罪とは又別の次元の問題だと思う。

戦争遂行を指導したという意味では、確かに戦争指導者ではあったが、戦争遂行を指導したからといって、犯罪者と呼称するには無理があるはずである。

戦後の我々の発想では、「戦争は悪いことだから、それを指導するということは犯罪だ」という認識だろうと思うが、これは明らかに間違った認識だと思う。

もしそうだとすれば、アメリカのルーズベルトも、トルーマンも、スターリンも、チャーチルも、ドゴールも、毛沢東も、周恩来も、蒋介石も全部犯罪者ということになってしまうではないか。

1945年、昭和20年8月という時点で考えてみると、勝った連合軍側にも多大な犠牲者がいるわけで、連合軍側としても自分の祖国に対して、「我々の軍は日本に勝ったのだぞ!!!」という何らかのアピールが必要であったことは否めない。

そのことを考えれば、勝った側が勝った側の論理で、負かした側の為政者の首を手土産にするという発想は十分うなずけるものである。

しかし、それは負けた側の我々の発想とは相容れないものがあるのは当然で、それとは別に、我々の立場からすれば、我が同胞を騙して、負けるような戦争指導をしながら、「勝った!勝った!」と我々に嘘を流し続けた指導者を告発する必要があったのではなかろうか。

戦後60年、我々はこの努力を怠ってきたのではなかろうか。

A級戦犯という言葉から、日本人ならば誰でも真っ先に東条英機を連想すると思うし、その東条英機は日本を奈落の底に突き落とした極悪人というイメージが出来上がっていると思う。

このイメージの形成こそが戦後のマス・メデイアの術中に嵌っている結果だ、ということに誰も気が付こうとしていない。

戦後に生き残った我々の同胞は、戦争中の失敗の帰結を、何でもかんでも東条英機一人に追い被せて、それで自分の罪を免れようと図っているとしか思えない。

なんとなれば。戦勝国が東条英機と他の6人をA級戦犯として刑場の露として葬ってしまったので、死刑に処されてしまった以上、死人に口無しで、何でもかんでもその責任を東条英機に被せてしまえば、自分の犯した罪も実質消滅したことになると考えたに違いない。

メデイアの功罪

 

戦前、戦中、戦後を通じて、我々はマス・メデイアというものによくよく注意しなければならないと思う。

近代の戦争と、報道の関係は実に難しい問題だと思う。

極端なことをいうと、報道を如何にコントロールするかという問題は、極めて政治的に難しい問題だと思う。

だから為政者は報道を如何に味方に付けておくか、ということに頭を悩ますわけであるが、報道機関のほうでは、それに丸まる依存すると、戦争中の大本営発表という形で国民を騙すという結果になってしまう。

だから、報道機関が勝って気ままに取材するようになればなったで、自国の国益が損なわれかねない状況に陥り、治安維持法のような規制の網を被せなければならないようになるわけで、この兼ね合いが非常に難しいと思う。

東条英機悪玉論というのも、戦後のメデイアが作り上げたフレーム・アップに極めて近いイメージ戦略と見なさなければならない。

戦後の、食うにも事欠くような苦しい生活の中で、これらの諸悪の根源は総て東条英機の所為だということで、彼をスケープ・ゴートに仕立て上げておけば不承不承とも納得がいったわけである。

南京大虐殺のときに引き合いに出される「100人斬り」の報道なども、戦意高揚のために誇張された記事にもかかわらず、それが真実となってしまったわけで、それが裁判に持ち込まれても、裁判官が左翼系の人ならば、それを真実として扱ってしまうのだからたまったものではない。

記事に書かれた本人が、後からいくら弁解したところで、一旦真実と認定・誤認されたら最後、本人の弁解は受け入れられず、政治的に利用され続けてしまったのである。

書いた記者が本人達を弁護しないものだから、一旦真実として確立したら最後、後からいくら嘘だった、虚報だったといっても決して正されることはない。

誇張された記事が真実として政治的に利用されてしまうわけである。

東条英機悪玉論もこの類のものだろうと思うが、今更彼は真面目な政治家だった、といっても誰もそれを信じないということだと思う。

メデイアを如何に使いこなすか、ということはきわめて政治的な手腕にかかってくると思う。

ところがメデイア側からすれば、政治との係わり合いの中では、あくまでも傍観者の立場なわけで、批判さえしていれば済むわけで、報道の結果には何等責任がないわけである。

マス・メデイアの報道の結果から先行きを判断するのは、あくまでも読者の責任というわけで、彼らは読者に判断材料を提供するだけ、という醒めた感覚でおれるが、読者の側では報道されることは総て真実と思い込みがちである。

メデイアが戦争を煽れば、簡単に煽られて、その意図するところに簡単に感化してしまうのである。

だから為政者としては、メデイアが国民を自分の思う方向に煽ってくれるようにコントロールしなければならないのであるが、メデイア側としては、常に為政者を批判する立場でいようとするものだから、ここが非常に難しいところである。

これが独裁国家とか専制国家ならば、比較的簡単であるが、民主主義国家ではマス・メデイアをコントロールするということは至難の業である。

戦前、戦中の日本のメデイアは、完全に軍に牛耳られていたわけで、自主的な報道というものは完全に封殺されていた。

 

日本の奢り

 

ここで我々が考えなければならないことは、政府と軍の2重構造のことではなかろうか。

戦前、戦中の報道の管制も、政府の行為ではなく軍の管轄であったことを考えなければならないと思う。

そのことを突き詰めていくと、再度、明治憲法の根幹に関わってくるのではないかと思うが、あの時代、昭和の初期の時代、軍が政府を差し置いて行動していた、ということは一体どういうことなのであろう。

そこにはやはり統帥権の問題が深く関わっているのではなかろうか。

政府は軍の行動に関与できない、という足枷があったればこそ、軍が独走したのではないかと考える。

しかし、その軍の独走をあの時代の国民は案外歓迎していた節が見られる。

昭和12年の南京陥落などは、日本各地で「勝った!勝った!」と提灯行列まで行なわれたわけで、軍を批判する風潮というのは全く無いに等しかった。

しかし、昭和15年には斉藤隆夫が粛軍演説を行なっているが、これを当時の政治家達は、寄ってたかって彼、斉藤隆夫を封殺してしまった。

これは一体どういうことなのであろう。

このことは、日本の全国民が戦争を、つまり日中戦争を容認し、イケイケドンドンと、押せ押せムードに浸っていたということに他ならない。

無理もない話で、日本軍が中国大陸に上陸して、中国の田舎に行って、ワーッと時の声をあげて集落に突進すれば、先方は一目散に奥地に逃げ込むわけで、それを見た我々の側は「勝った勝った」という気持ちになるのも当然のことだと思う。

それをメデイアは戦意高揚という下心で、先ほどの「100人斬り」の話のように、尾ひれをつけて、脚色を交えて報道するものだから、日本の全国民が熱狂し、軍の行動を容認するのも当然のことであろうと推察する。

この、尾ひれをつけて、脚色を加えて報道したことが、今日、日本人のした残虐行為として先方から槍玉に上がっているのである。

太平洋戦争の開戦の時の首相、東条英機は、この中国大陸の感覚のままでアメリカと戦おうとしてのではないかと思う。

アメリカとの戦いが、中国との戦いとは異質のものだ、という認識が彼にあったとは思われない。

とはいうものの、彼は首相を拝命したとき、アメリカとの開戦を極力回避しようとしたのだけれど、結果的には開戦になってしまったので、戦後は諸悪の根源のようにいわれ続けているが、これもマス・メデイアが作り上げたフレーム・アップに他ならない。

日米開戦は、あの時点で、日本側の首相が誰であっても遅かれ早かれ同じ結果、つまり開戦ということになっていたに違いない。

ある意味で東条英機は運が悪かったということもいえる。

あの時点では誰が首相であろうとも日米開戦ということは避けられなかったに違いない。

その意味からすると、石原莞爾の予見はまさしく正鵠を得ていたということになり、それを左遷させた東条英機には、先見の明が無かったということはいえると思う。

結果として東条はA級戦犯となってしまったが、石原は「俺こそ裁かれるべきだ!!!」と、本人が言っても戦犯にはならなかったという皮肉な状況が生じたわけである。

あの東京裁判の趣旨から言えば、本当の戦犯は、東条英機よりも石原莞爾のほうが罪が重いと思う。

勝った側、つまり連合軍のほうにしてみれば、本当に正確な事実などどうでも良かったわけである。

なんとなれば、この東京裁判、極東国際軍事法廷というのは、日本を懲らしめるという色彩よりも、自分たちの祖国に対する戦果の報告に準ずるものであったから、本当の戦争仕掛け人が誰であろうとも、日本の指導者と思しき人を、見せしめに血祭りにあげ、縛り首にしさえすれば、それで祖国に対する責任を果たしたことになったわけである。

東条英機には石原莞爾のような遠大な構想というものが最初から無かったといわれているが、石原莞爾の方は、地球規模で物事を見ていたので、日米開戦というものは避けられない、ということを前々から察知していたに違いない。

我々は四周を海で囲まれた小さな島国の民族なるが故に、どうしてもものの見方が矮小化してしまう。

自分たちの領域という視点からしか世界というものを見れない。

ある意味で「葦の髄から天を覗く」ということになってしまって、視野が狭く、平面的な思考ということが苦手である。

昭和の初期の時代に、我々は既にアングロサクソン系のヨーロッパ人には嵌められ続けていたわけであるが、我々の先輩諸氏、我々の同胞はこれに全く気がついていない。

アングロサクソン系のヨーロッパ人は、日本が日清戦争、日露戦争に勝利した時点から、日本をすこぶる警戒していたにもかかわらず、我々の側は、全くそれに気がついていなかったわけである。

石原莞爾は多分そのことに気が付いていたであろう。

だからこそ、日米最終戦争というものを考えついたに違いないと思う。

我々がヨーロッパ系の人々からこのように嫌われていたのは、当時の我々があまりにも勤勉実直で、頭脳明晰で、律儀で、健気なるが所以だったからだと思う。

彼ら西洋人は、同じ黄色人種でも、中国人には決してこういう嫌悪感を抱かないのは、彼らが怠惰でいい加減な民族だったから、ある意味で近親感があったものと考える。

ところが同じ黄色人種でも、日本人は中国人とは大いに違っていたからこそ、彼らは「日本人は何をしでかすか判らない」と警戒したわけである。

現に、我々日本人、大和民族は、彼らの度肝を抜くようなことをしでかしていたではないか。

日清戦争の勝利、日露戦争の勝利というのは彼ら西洋人、コーカソイド系のヨーロッパ人にとっては驚天動地のことであったわけで、彼らにとっては素直には信じられないことであったに違いない。

ところが当の我々は、世界中が我々のことをどういう目で見ているのか、ということをさっぱり理解していなかったわけである。

ここが「葦の髄から天を覗く」という意味で、それは地球人としての視野に欠けるという意味でもあったわけである。

我々の民族が日清戦争、日露戦争で勝利を納めたということは、西洋列強の白人ばかりではなく、アジアの黄色人種の間にも大きな驚きを与えたわけで、それはある意味で、地球規模の衝撃波となって、あの時代の地球上を駆け巡ったのである。

あの時代、つまり20世紀という時代は、まさしく激動の時代であった。

アジアでは日本の躍進があり、ロシアでは共産主義革命が成功し、ヨーロッパでは第1次世界大戦から地球規模の第2次世界大戦まで、まさしく激動の時代であったが、こういう状況下においても、我々はあまりにも日本だけにこだわりすぎたと思う。

石原莞爾が夢想していた満州国の建国も、あまりにも日本の国益追求の態度がひどすぎて、国際的には大いに顰蹙を買ってしまったわけである。

日本の国益からすれば、確かに成功したかに見えたが、これが結局は日米開戦の隠れた原因となっていたことに、我々は戦争に敗北するまで気がつかなかった。

中国大陸で我々が進むと、先方はドンドン奥に引っ込むわけで、そのことを我が国の国益の進展、つまり戦に勝ったというわけで、内地に向けて大々的に宣伝すると、内地にいる我々の同胞は、大喜びをしていたのである。

そのこと自体が「葦の髄から天を覗く」というもので、地球規模で見た場合、世界の人はどう思っているのか、という視点が抜け落ちた結果である。

満州国建国に際して、リットン調査団というのが来て、調査をした結果、あれは整合性に欠けているという結論を出したものだから、国際連盟に出席していた松岡洋右はケツを撒くって脱退してきてしまったが、それこそが国際連盟という国際社会に背を向けた行為であったわけで、日本という国益だけに固執した結果である。

松岡洋右という当時の日本人の中では極めて国際感覚に秀でた人物が、こういう態度に出たということ自体が我々の祖国そのものが驕り高ぶっていた証拠だと思う。

そして、我々の国民は、その松岡洋右の行為を拍手喝さいでもって歓迎したわけで、それこそ為政者と国民がグルになって驕り高ぶっていたと言わなければならない。

我々が、身の程も知らず奢った態度に出たということは一体どういうことなのであろう。

一言でいえば、世間を知らなすぎたということだと思う。

 

アジアはアメリカのフロンテイアだ!

 

その間に、アメリカは日本を真綿で締め付ける手法を錬りに錬っていたわけで、片一方で奢りたかぶって威張り散らしているときに、片一方は手薬煉捻って日本を叩く方策を錬っていたのである。

大使館員というのは基本的にスパイでなければならないと思う。

自分の赴任している国のあらゆる兆候を綿密に調査、研究して、今どういうことが起きつつあるのか探ることも海外駐在員の重要な仕事だと思う。

ただただ表向きの仕事をこなすだけでは普通の官僚と同じで、海外にまで出てくる意味がないと思う。

そういう点からしても、昭和の初期の海外駐在員、大使館員たちは怠慢であったと思うし、それは今もそのまま、怠慢なまま息づいていると思う。

アメリカ人からすれば、日本人など何処までいってもジャップにすぎないと思っているに違いない。

人間としては認めていないのかもしれない。

普通にアメリカ人といった場合、我々はアメリカ国籍を持った人は全部アメリカ人だと思いがちであるが、本当の意味のアメリカ人というのは、東部出身のWASPだけがアメリカ人であって、アメリカ国籍を持っているだけでは、真の意味のアメリカ人ではないと思う。

そういう人から我々日本人を見ると、臍だしルックでちょろちょろニューヨークの町を歩いている日本の若い娘など、猿以下の人間としか見えていないものと思う。

我々は、日本人というと夜の盛り場に屯している若者から過疎地の農村で一人暮らししている老人まで等しく日本人だと思っているが、アメリカ人の場合は、あくまでも移民で成り立っている国家であるからして、真のアメリカ人といえば東部出身のWASP以外ありえないものと考える。

問題は、そういう人達が日本をどう見ているかということを考えなければならないはずである。

それを考えるに一番適したポストは、当然、駐米日本大使館の人間以外にありえないが、彼らはそれだけのことをしているであろうか。

アメリカのWASPは、やはりグローバルな視点からものを見ていると思う。

その視点から日米戦争というものを見てみると、これは日本とアメリカの文化の衝突であったと見なさなければならない。

我々は、シナ事変から満州国建国にいたる紛争を、日本とシナの問題として捉えていたが、これは日本だけの問題ではなく、アメリカが大いに絡んだ問題であったわけである。

そのことに我々は日米戦で敗北するまで気がついていない。

けれども、それは日米開戦の直接原因とされているコーデル・ハルのハル・ノートに明白に出ているではないか。

その内容は、日米開戦の原因が中国大陸にあることを歴然と示しているではないか。

アジアの問題は、アメリカの問題であるという認識を今日においても忘れてはならないと思う。

アジアの問題は、アメリカの立場からすれば、太平洋のかなたに果てしなく広がる荒野としての西部開拓の延長線上の問題に過ぎないのである。

又、アジアはアジアで、自分たちの問題とは全く認識していないわけで、中国が駄目ならアメリカがあるさ、というわけでアメリカ詣でに腐心している。

中国、韓国、北朝鮮のあり方を見れば一目瞭然とそれがわかるではないか。

そういう意味からしても、あの戦争はアジア対ヨーロッパ系の白人との戦争、つまり文明の衝突であったわけである。

そして、それらを全部網羅して、一番の罪作りは誰かといえば、それは中国である。

日本は、あの戦争をアジアの解放を謳い文句として行なったが、中国が西洋列強に媚を売って、日本に対抗したから、我々は敗戦国民となってしまったのである。

中国人にしてみれば、彼らは有史以来、中華思想で、アジアの盟主を自認していたので、さらさら日本と協力するという発想自体が生まれてこない。

まして、自分自身が西洋列強に蚕食され、虐げられているので、アジアの他の民族を解放しようなどという発想も、そういう気もさらさらないのが当然であるが、日本は生真面目にそれを考えていたのである。

アメリカにとってはこれが最大の恐怖であったのである。

ところが肝心の中国国内には、はたして主権があるかどうかも定かでない状況なわけで、戦後の日本人も、共産中国も、あの時代の中国をきちんとした主権国家だったという仮定で、「日本に侵略された」という文言を使っているが、現実にはアメリカ西部のインデアンの跋扈と何等変わるものではなかったわけである。

孫文が辛亥革命を起こして中華民国が誕生したといっても、地方に行けば、張作霖のような軍閥が跋扈していたわけで、それは西部劇に出てくるインデアンの跋扈と同じ状況であったということを忘れてはならないと思う。

戦後の日本の進歩的知識人というのは、この中国の状況、つまりシナの状況を、まともな主権国家とみなしたうえで議論をしているが、現実にはあの時代のシナには主権のかけらもなかったと思わなければならない。

アメリカはそれだからこそフロンテイア・スピリットで、中国大陸に目をつけていたわけで、利権あさりに奔走していたのである。

そして中国の蒋介石にはドンドン武器を輸出して、日本に対抗せしめていたのである。

あの中国大陸を一つの主権国家として纏め上げることは、有史以来、様々な皇帝が出現してはそれを試みたが、ある意味で、出来ては消え消えては出来るという按配で、定着することはなかったが、共産主義革命によって戦後50年ばかりは比較的安定期を迎えたようだ。

しかし、先のことは誰も保証しきれないと思う。

アジアの安定は、ひとえに中国の安定に掛かっているが、共産主義国家といえども中味の人間は有史以来の中国人、いわゆる過去の歴史の延長として漢民族が牛耳っている限り、その過去の歴史を超越することはないだろうと考えざるを得ない。

共産主義国家とはいっても、やっていることは昔の秦の始皇帝の行政手腕と何ら変わることはないわけで、首長の呼び名が共産主義的な呼び名になっているだけのことで、中味は太古からの政治手法と全く変わることはない。

昔は農業を主体とする封建主義的な行政システムであったものが、今日では共産主義的な社会システムに変わっているだけの事で、中国の有史以来の統治手法としてはいくらも変革していない。

アジア大陸の大部分を占める中国が、共産主義国家であろうとなかろうと、アジアの安定には中国の安定が不可欠なわけで、これが実現していない限りアジアの安定というのはありえないと考えなければならない。

ということは、アメリカの立場からすれば、アジアは今でも西部開拓時代と同じ状況下にあるわけで、あくまでもフロンテイア、未開の辺境に過ぎないのである。

昭和初期の日本は、このアジアの安定ということを自らの安全保障の問題として考えていたが、日清、日露の勝戦で慢心していた我々には、他の国が我々のことをどう考えているのか、という視点が欠けていたのである。

我々は、あの時代、他の国、いわゆる西洋列強からは非常に恐れられていたのである。

だから、逆に警戒されていたのである。

ヨーロッパ人とアメリカ人は、中国人は少しも怖くはないが、日本人には恐れを抱いていたのである。

同じ様な黄色人種でありながら、白人から見て完全に相反する価値観で見られていたということは、つまるところ中国人は要領を掴めば簡単に御せるが、日本人はそうは行かないという点にあったと思う。

ヨーロッパ系の白人とアメリカのWASPはそれに気が付いたが、中国人は未だにそれに気が付いていないわけで、中国では有史以来の華夷秩序の思考から未だに抜け切れていないのである。

中国の人々は、20世紀に至っても未だに華夷秩序の思考から抜け切れないからこそ、西洋列強の植民地支配に甘んじなければならなかったし、国土は共産主義者に蹂躙されているし、社会主義国家になったとしても国内には総てのことにアンバランスが存在し、それが社会不安を助長し続けている。

ヨーロッパ系の白人とアメリカのWASPが日本人を恐れたのは、我々の民族の持つ勤勉性とものの考え方の柔軟性だと思う。

明治維新から約30年後には日清戦争で清帝国に勝ち、約40年目には史上最大の大帝国ロシアを破っているのであるから、このままの勢いで行けば遠からず全地球を制覇してしまうのではないか、という恐怖心であったと思う。

それに呼応するかのように、我々の側では「アジアの解放」を叫んでいるわけで、彼らが心配するのも無理からぬことであった。

昭和の初期の時代に、我々は中国大陸でドンパチを始めてみたものの、それはあくまでも日本対シナの問題として捉えていたが、ヨーロッパ系の白人とアメリカのWASPの視点から眺めれば、その行為は日本の世界制覇の序曲としか映らなかったのである。

目下、北朝鮮との6者会談が暗礁に乗り上げているが、この会談に対する日本の期待には拉致問題が含まれているにもかかわらず、他の米、韓、中、ロシアには拉致問題というのは存在しないわけで、会議全体の雰囲気は核の問題に集約されているのと同じことである。

つまり、我々は目先のことばかりに目を奪われるので、世界の大きな動きを見落としがちということである。

だから、我々はシナ事変を日本と中国の問題としかみていなかったが、地球規模のグローバルな視点から見ると、世界的には日本の世界支配の端緒だというふうにとられてしまったのである。

シナ事変というのは、ただたんにシナと日本の小競り合いという問題ではなく、ロシア(旧ソビエット連邦)やアメリカとの国益の衝突が絡んでいたのである。

アジア大陸というのは、アメリカから見れば国益の草刈場であって、西部劇のフロンテイアでありつづけていたのである。

国益とメデイア

 

しかし、如何なる国家でも国策を遂行するには、国民の協力が必要なわけで、為政者一人がいくら頑張ったところで個人の力で成し得るものではない。

そして、為政者の国策遂行には、発案の段階において賛否両論が出ることは普通の人間の集団であれば当然のことだと思う。

いくらヒットラーやスターリンにしても、側近から何もアドバイスを受けずにことを決するということはありえないと思う。

側近にいくつかの案を提示させて、その中から自分の気に入った施策を取り、それを実行せしめるというのが独裁者としての有態だと思う。

まして民主的な国家の首脳ともなれば、外の敵と戦うよりも、内なる反対者を説得させるほうがよほど困難ではないかと想像する。

問題は、何かをしようとすると、そこには必ず反対意見というものが出てくる、いわゆる賛否両論というものであるが、人間の集団としてなにか事を決めようとすると、必ず反対意見というか慎重論というか、それに素直に同調しない人間が出てくるが、この処理が非常に難しいと思う。

日米開戦をするかしないかの御前会議など、出席者の誰一人としてイケイケドンドンと勇ましい発言をしたものがいないにもかかわらず、結果として「開戦止むなし」という結論に至った。

出席者の誰もが開戦を避けたいと思いつつ、結果としてはその反対になってしまった。

しかし、一旦ことが決まった以上は、国民としては自分の祖国に協力することは、その国の国民として当然の義務だと思う。

ことがここまで来た以上、それが良いとか悪いとか、正しいとか正しくないという選択の余地はないと思う。

国家が国策として決めた以上は、その国の国民としては、好むと好まざると自分の祖国に忠誠を誓うことは普通の国家の国民としては当然のことと思う。

日本でもアメリカでも、政府の方針に反対してデモ行進する反体制派の人々というのは大勢いる。

政府の方針に反対することは、民主主義国では法的に許容された行為であるので、法に抵触しない限り、それは罰せられないが、問題はこれを報道するメデイアにある。

反体制派のデモ行進を誇大に報道して、さも国民の大部分が反対しているかのような報道をすることは、メデイアとしてのモラルの問題に帰結するが、こういう偏向した報道があまりにも多すぎると思う。

戦後、人類はメデイアの発達で、瞬時にして世界中のニュースが知れ渡る状況下に生きているにもかかわらず、この21世紀に至っても尚「葦の髄から天を覗く」ような思考から脱し切れていない人がいる。

つまり、一国平和主義というものがそれであって、「戦争は如何なる動機であったとしても罷りならぬ」という発想にそれが現れている。

為政者とメデイアの関係は、如何なる民主主義国家でも犬と猿のように上手く噛みあわない存在であるが、我々の場合、メデイアが極端に偏向していることがその関係に尚一層油を注いでいる。

そして、国策というものはある程度秘密のものでなければ意味を成さないわけで、為政者の側はこれを秘密にしておきたいと願っているにもかかわらず、メデイアの方はそれを暴いて、自分の手柄にしたいという欲望に駆られているのである。

そしてメデイアの偏向ということは、メデイア自身が自己規制するということでもある。

昨今のように、人権意識が高まってくると、差別用語を使わないようにしよう、ということが進歩的に見られると勘違いして、自分たちで自己規制する分には何も問題ないが、他人が彼らの自己規制に抵触すると、さも悪魔でも叩きのめすような勢いで糾弾する態度である。

我が民族のこの態度というのは一体どういうものなのであろう。

差別用語を使わないということが、メデイアの中だけの自己規制であった分には何等問題ないが、それが何時の間にか大儀となってしまって、「癲癇」という言葉を使っただけで、作家生命を絶ってしまいかねない勢いで糾弾するということは一体どういうことなのであろう。

タバコの嫌いな人が、自分の我儘を通そうとして、嫌煙権などと自分勝手な権利を主張しだすと、嫌煙権ということが世間一般にさも人間の基本的人権の一つでもあるかのように錯覚して、嫌煙権という言葉を振り回すということは一体どういうことなのであろう。

こういう矛盾を突き詰めるのがメデイアの仕事でなければならないが、日本の場合、メデイアはそういう根も葉もないことを大儀として仕立て上げるように作用している。

その最大の理由は、メデイアというものがオピニオン・リーダーとしての役目を担っているという自負心だろうと考えられる。

これもメデイアの勝手な奢りである。

確かに、メデイアに関わっている人達というのは、一般大衆から見れば高学歴の人が多いと思うが、その前に、彼らも金儲けをしているという点だろうと思う。

メデイアそのものが金儲けの手段であるとするならば、金になる報道をしなければならないわけで、その為には大衆が喜びそうな素材を提供しなければならないということだろうと思う。

そういう枠の中で、為政者の提灯持ちのような記事では大衆から飽きられるので、大衆の関心を引き付けるためには、為政者の痛いところを突付くほかないわけである。

そして報道の記事が嘘だろうが真実だろうがそんなことは構わず、とにかくあることないことセンセーショナルに書き立てって、間違っていればあとから謝罪すれば済むことなわけである。

嘘の報道をして名誉毀損で訴えられたところで、相手の損害を確定することは極めて難しいわけで、当然、相手の言いなりに金を払うことにはならないわけである。

結局のところ、やり得ということになる。

昭和の初期の日本のメデイアというのは、軍国主義というものを率先垂範して鼓舞吹聴していたわけで、その中の一事例として例の「100人斬り」の話までフレーム・アップされたのである。

話そのものがフレーム・アップであったとしても、メデイアの側としては、謝罪しようともしなければ事実を訂正するということもしないわけで、それがメデイアの本質だろうと思う。

ところが一般国民というのは、メデイアを頭から信じてしまうわけで、「新聞にこう書いてあった」、「テレビでこう言っていた」といわれると、それを信じてしまうのが普通の人たちだと思う。

メデイアの報じているものは,盲人が象を撫ぜているようなもので、記者なりカメラの視点で見た現実の一部に過ぎないということがなかなか理解されにくい。

ところが情報というものは、メデイアの報ずるものとは全く異質のもののはずであるが、戦後の日本では、その峻別が全く忘れ去られている。

だから何でもかんでも公開しなければならないと思い込んでいる節があるが、国家の仕事をしているものは、決してそれに惑わされてはならないと思う。

国内政治にしろ、外国との交渉にしろ、決して手の内を見せてはならないものもあると思う。

政治には、そういう面があるからこそメデイアはそれを暴こうと躍起になるわけであるが、当然、そこには国益というものが存在するわけで、為政者の側は国益のために隠そうとするし、メデイアの側は国益のためにそれを暴こうとするわけである。

メデイアと為政者では、国益というものを挟んで反対方向に引っ張り合っているわけで、この兼ね合いの部分に、民主主義の成熟の度合いがあると思う。

共産主義の専制政治の元では、国家というのは完全なる独裁政治なるが故に、メデイアも国家の広報担当部署と考えればいいが、民主主義国ではそういうわけには行かず、メデイアは国民の意思がきちんと表明するための資料を提供する役目を背負わされている。

それが為、国家か考えていること、つまり国家の指針のようなものを探り出して、それを国民に開示することによって、より良き選択、より良き将来を作ろうという意図は察して余りある。

ところが現実にはそれは政府の足を引っ張る方向に作用するわけで、政府の目指すより良き将来と、メデイアの目指すより良き将来では、天と地ほどの違いがあるわけである。

健全なメデイアならば、少なくとも自分の祖国をいくらかでも良い方向に導きたいという願望を持っているはずであるが、戦後の日本のメデイアというのは、そういう気持ちを全く失っているのではないか思えてくる。

自分たちの祖国のためというよりも、外国の利益に奉仕しているのではないかとさえ思えてくるのはどうしたことなのであろう。

先の大戦で、我々は同胞の政府から騙され続けだったものだから、それ以降というもの、自分たちの政府を一切合財信用しなくなったというのは、理屈としては理解し得るが、そうは言いながらも我々がこうして生きておれるのも、祖国があるからであって、過去の同胞の為政者を何時までも怨んでみたところで、一歩も前に進まないことは判りきったことではないか。

過去の我々の指導者が国民を騙し続けたから、今の政府も国民を騙し続けているに違いない、だから協力しないというのは、やはり近視眼的な発想だと思う。

政府というものは、国民を騙し続けるものだ、という思考も改めなければならないと思う。

政府というのも、国民を騙すつもりで統治をしているわけではないが、結果として騙したということも多々ありうることだとは思う。

目標設定した計画が、目標どおりに達成しなかった場合、結果的に政府が国民を騙したといわれても仕方がないが、その原因には不本意な理由もあるものと考えざるを得ない。

だからといって、政府のすることなすことにことごとくに反対というのも筋の通らない話だし、自分の国よりも外国に気を使って、外国の利益に奉仕するというのも、どういう根拠でそうなるのか非常に疑問な点である。

人の世には理想主義というものがあることは現実問題として当然のことであるが、我々は毎日の日常生活の中で、理想の実現に努力することを良いことだというふうに認識している。

若者が自分の夢の実現に精魂を傾ける行為を素晴らしい行為だと賞賛する。

人は理想に向かって突き進むことを美しい行為だと賞賛する。

確かに理屈としてはそうであるが、何事にも程度というものがあるわけで、一部の人が理想だとおもう事を、他人にまで強要してはならないと思う。

「これは人類の理想だから、お前もこの理想の実現に努力せよ」と他人に迫ることは、あまりにも独善的であり、僭越な行為だと思うし、その発想自体が傲慢のそしりを受けかねない。

共産主義者が社会主義社会を目指す行為もそれに類する行為であって、理想を追い求めるあまり、視野が狭くなってしまって、他人の思考が目に入らなくなった結果である。

メデイアで活躍している人達というのは、無学文盲の人達とは違うわけで、高学歴なるが故に、それにふさわしい理想を抱いていることは理解できる。

そういう人達から、実際に実務として行政を取り仕切っている官僚なり、統治を取り仕切っている政治家という人達を見ると、知的水準の低さに辟易するということは理解できる。

彼らから見ると、公務員や政治家の行為がまどろっこしくて仕方がない、という気持ちを抱いていることも頷ける。

だから「俺たちならばこうする」、「こうすれば一気にあらゆる問題が解決できる」と、思い込んでいても、実際に行政を動かし、統治を牛耳っている官僚や政治家というのが、彼らの思い描いているとおりに動いてくれないので、ある意味で切歯扼腕している。

その気持ちがストレートにメデイアの報道として表面に出てくるので、日本のメデイアはどれもこれも金太郎飴のように同じ局面の展開でしかないように見えるのである。

まず日本でいくら反政府のポーズを取っていても、所詮は資本主義体制の中で、儲けを得て、利益を上げ、それで従業員を食わせ、企業そのものの存続を図っているわけで、その意味からすれば、儲からなければ倒産してしまうわけで、そのためには売れる商品、つまり国民に買ってもらえるように、国民の思考に合わせた記事にしなければならないのである。

そのためには、政府の提灯持ちのような記事では、誰も新聞やテレビを見てくれないが、政府をコテンパンにやっつけた内容ならば、それを買った国民は、その記事を読んで溜飲を下げるわけである。

売れるメデイアとしては、反政府でなければならないのである。

政府のPRとか、政府の指示とか、新しい法律の布告とかは官報があるわけで、官報などというものは、読んでも全く面白みのない味気ないものである。

それと、ものごとには必ず裏と表、があるわけで、同じ出来事でも、視点を変えると全く違う印象を受けるものである。

橋を一本かけるにも、道路を一本とおすにも、必ず賛否両論があるわけで、それを遂行しようとする側は、必ず自分にとって有利な面のみを強調するが、その裏には多少ともデメリットというものがあるはずである。

反体制側としては、必然的にそのデメリットを強調するということになる。

統治する側としては橋をかけたり道路を作るとき、計画を遂行しようとするものの常として、そのメリットを大々的に強調して案を錬り、資金を投資してきたのだから、デメリットよりもメリットのほうが大きいと確信してことを進めるわけである。

ところが反対する側というのは、ただただデメリットの点のみを声高に叫んで反対だけをすればいいわけで、非常に安易な手法で、この問題に参画しているという満足感が味わえる。

自分たちの主張が通れば初志貫徹で自己満足に浸れるが、仮に負けたとしても、そのメリットは享受できるわけで、何等失うものはないわけである。

メデイアはそこまでは考えることをせず、ただたんなるニュース・バリューとしてしかものごとを見ず、ニュースとして価値があるかどうか、という点だけがメデイアの関心ごとである。

だからこそ非常に無責任というわけである。

 

誰がモラルを説くのか?

 

何度もいうように、メデイアに携わっている人達というのは普通の人以上に高学歴であり、教養も知性も豊富なはずである。

そういう人達が、表面的なニュースのみを追っていては本当のところ世のため人のためにはなっていないと思う。

つまり、オピニオン・リーダーとしての社会的使命を十分に果たしていないと思う。

ならば、日本のオピニオン・リーダーとしての使命を遂行するということは一体どういうことになるのであろうか。

当然のこと、反体制というポーズだけではその使命は果たされていないと思う。

メデイアに携わっている人達が一般の人々よりも高学歴なことは現実的な事実であろうが、それでも戦後の日本、21世紀の日本では、一般の国民の側も相当に高学歴社会になっているわけで、日本そのものが非常に知的に豊かな国家を形成していると思う。

国民の知的レベルが相当に高いところまで底上げされているからこそ、自分たちを統治する側に対する不平不満が露骨に暴露されて、それが国民的合意として反体制というムーブメントが湧き上がっているものと推察する。

人間の過去の歴史は、高学歴、つまり人が教養と知性を積めば積むほど、心豊かな社会が出来るに違いない、という妄想にとらわれていた。

今日の日本の問題は、それが妄想に終わっている点だと思う。

国民の知的レベルが向上すれば、それにつれて社会生活も心豊かになるはずだ、ということが実現していない点だと思う。

その妄想を現実のものにしなければならない、という発想に至っていないのが最大の不幸だと思う。

普通のありきたりの常識で考えれば、大企業の経営者ともなれば、無学文盲の経営者ということはありえないはずであるが、そういう人が次から次へと捕縛に付くという現象をどう考えたらいいのであろう。

高級国家公務員の天下りとか、汚職とか、収賄という刑事犯の現出というのをどう考えたらいいのであろうか。

人は学問を身につければ立派な人間になる、というのは神話なのであろうか。

高等教育が人間のモラルの向上には何一つ貢献していないではないか。

こういう社会を見続けているメデイアにすれば、報道すべき内容が、この世の悪い点にばかりになってしまうのもある程度は致し方ない。

だとすれば、オピニオン・リーダーといわれる人々は、それを少しでも是正すべく、モラルの向上を説いて回らねばならないと思う。

モラルの向上を説くさいに、まずしなければならないことが、現実の問題の究明、つまり今日の問題点を探ることからしなければならないが、それに直面するとどうしても現体制の批判ということになってしまうものと考える。

諸悪の根源は、今の政府、今の官僚、今の体制が悪いからこういうことが起きるのだ、というアプローチになってしまうものと考える。

戦争というものが形を変えた政治の一環だとすれば、我々の経験した先の大戦争は明らかに政治の失敗であったわけだが、それは敗北という結果から、日本人ならば、いや世界中でそれは確定された事実だと思う。

ところが、戦後60年にして、我々は見事に復活したかに見えるが、それは表層的な面ではそう見えるにしても、精神的な面では決してまともな主権国家、理知的な国民、人間として健全な精神を持った社会人には成り切っていないと思う。

一つの国家、一つの民族に、こういう理想を追い求めることは、それこそ画餅を追い求めるに等しいことかもしれない。

この地球上には191ヶ国も主権国家があるといわれているが、何処に理知的で、精神的に健全で、モラルの高潔な国家があるのか、と問われると返答に窮することは当然である。

戦争が政治の延長線上の形を変えた統治の手法だとすれば、戦争に負けるということは、個々の作戦の失敗と同時に、政治的にも失敗したということに他ならない。

この政治的失敗は戦後60年を経った今でも、明らかに失敗のまま継続していると思う。

それは何故かといえば、我々は未だに理知的でもなければ、健全な精神構造も持ちきれず、モラル的にも高潔な社会を築くことが出来ないでいるからである。

人を律するのに、過酷な刑罰で律するということは極めて野蛮な発想だと思うが、人間の根源的な邪な心というのは、この野蛮さでもってしなければ、その邪な心に対等に対抗しきれず、根絶できないのかもしれない。

過酷な罰則がなければ人はモラルを維持できないということである。

しかも、それが高学歴の立派な社会人であったとすれば、人間として実に嘆かわしいことではなかろうか。

こういう野蛮な発想は、知的に進んだ文化人、いわゆるオピニオン・りーダーと称される人達は、それを文明と人権の名でもって糾弾するが、高学歴で社会的地位の高い人の犯罪というものを、他にどのような手段で押さえ込むことが可能なのであろう。

高学歴で、知的に優れており、教養も知性も持ち合わせた人間が、何故にモラルに反するような行為をセルフ・コントロールできないのであろう。

自分のしている行為が、犯罪に抵触する、犯罪に手を貸す、社会的なモラルに反する行為だ、ということが自分自身判っていないのだろうか。

だとすると、彼の受けた高等教育というのは一体なんであったのか、ということに帰結する。

こういう人たちというのは、そんなことは重々承知の上で、この程度ならば判らないだろう、多分摘発されないであろう、誤魔化せるであろうと、という甘い観測、自分勝手な思い込み、世間を舐めた思考でもって悪事を働いているのではないかと推察するが、こういう知的な人達に対抗するには徹底的に野蛮な手法、つまり重い刑罰を科して、自分のしでかしたことが悲惨な結果を招くということを切実に本人に悟らせないことには、こういう立派な人のセルフ・コントロールを引き出せないのではなかろうか。

刑罰が過酷だから悪事に手を貸さない、というのは極めて低俗で、野卑で、野蛮なことであるが、今日の日本をモラル的に健全な社会に作り変えようすれば、こういう手法しか残っていないのではなかろうか。

 

「教育勅語」

 

現時点で、社会的に立派な地位をしめている人達というのは、もうすでに戦後生まれの戦後の教育を受けてきた人たちだろうと思う。

戦争が終わってもう既に60年経っているわけだから、その時に生まれた赤ん坊でも、もう既に60歳にたしているわけで、そういう人達が今あらゆる組織の頂点に達しているのではないかと考える。

こういう人たちの受けた教育というのは、戦後の混乱期で、基本的に日教組に牛耳られた学校を出ていると思うが、その過程では精神教育というのが徹底的に遺棄された状況下で学校を卒業していると思う。

精神教育というとすぐに戦前の修身を連想しがちであるが、こういう短絡的な発想こそが戦後教育の欠陥だと思う。

戦前の修身が軍国主義を助長したことは否めないが、それは修身という教科の中味よりも、それを教える過程が軍国主義的手法だったということで、その中味を全否定してしまったからこそ、戦後の精神の荒廃の原因が潜んでいると思う。

例えば、あの軍国主義の権化のように思われている教育勅語でも、あの文章の何処に民主的でない部分、つまり軍国主義的な部分があるというのだろう。

教育勅語こそ全地球規模でもって、人が人として存在する最低限のモラルを説いたものではないか。

基本的に、こんなことは取り立てて学校で教えるべきことではなく、子供の成長に伴って、各家庭で教えるべき内容であるが、この当時の日本は、それほどに貧しく、その貧しい中で、全国民にミニマムのモラルを浸透させるためにこのような措置がとられたのであろう。

内容的には全地球規模でもって当たり前のことであり、何処の国でも通用する一般概念に近いものであって、人としてのミニマムのモラルであった。

戦後の教育は、この人としてのミニマムのモラルを失ったまま、民主主義というものが上から強制的に押し付けられたので、土台のないままその上に家を作ったようなものである。

60年経ってみると、その家が傾きだしたということだ。

社会の上も下も腐敗だらけで、一見、経済成長を謳歌しているように見えるけれども、その社会を支えている柱はシロアリに食い荒らされているようなものではないか。

柱がいくらシロアリに食い荒らされていても、家として一応立っており、雨露はまがりなりにも凌げているので、その緊迫感に全く気が付いていない、というのが今日の状況ではないかと思う。

我々は60年前、アメリカとの戦争で敗北したことによって、アメリカの奴隷と成り下がってしまった。

アメリカは非常に巧妙に我々日本民族を奴隷化した。

だから我々自身、アメリカの奴隷であるということさえ感じさせないほどそれは巧妙であった。

太古、人類は戦争で勝利すると、勝った方は負けた方の殺傷与奪をほしいままにして、勝った方は負けた方を古典的な奴隷として使役に使い、婦女子は文字通り性の奴隷化して、勝利を享受した。

ところが20世紀のアメリカは、負けた方の自治を一応認めた形のままで、基本的なところでは首根っこを押さえ、自分たち、いわゆるアメリカよりも前に進むことを阻止し続けた。

勝った側が負けた側の自治を曲がりなりにも認め、一応、負けた側の自尊心を尊重する振りをしながら、最終的な殺傷与奪権はきちんと握る手法というのは見事なものだと敵ながら天晴れだと思う。

人類で最古の歴史を誇る中国人には到底真似の出来ない芸当だと思う。

それにつけても、負けた側の我々は、実に情けない存在だと思う。

確かに、経済力ではアメリカに次ぐ経済大国かもしれないが、その中で生きている日本人、日本民族には、人間としての健全な精神、民族としての誇り、人から馬鹿にされたら反発する勇気、同胞のために血を流す勇気、汗を流して苦難に立ち向かう気力、そういうものが一切合切欠けてしまって全く無いではないか。

これこそギリシャ時代の奴隷の根性そのものではないか。

ただただ細く長く生をまっとうし、食って糞して寝るだけの不抜けた人間ではなかろうか。

戦争に敗北して60年経っても未だに自分たちの憲法を作ることに躊躇して、作ろうか現状のままで行こうか、迷いに迷っているではないか。

我々の憂うべきことは、憲法を作るか作るまいかという議論をしているときに、積極的に作らないほうに加担する、現状維持に甘んじようとする同胞の存在である。

こんな馬鹿なことがあっていいものだろうか。

主権国家の国民で、自分たちの憲法を作ることに反対する心理というのは一体どういうことなのであろう。

確かに我々は、今、勝った側に押し付けられた憲法が生きていることは事実で、それが戦後60年も経過してきたことも歴然たる事実であるが、「だから我々の自主憲法が要らない」という論理はなりたたないと思う。

主権国家が他国の押し付けた憲法を後生大事に守ることの恥ずかしさ、というものがまるでわかっていない。

憲法があろうが無かろうが、我々がすぐさま死んでしまうわけではない。

民族の誇りや、自尊心や、愛国心だけで我々は食を確保し、生を維持することはできない。

しかし、今ある衣食住を享受し続け、飽食な世の中を少しも下降させないために、民族の誇りや、自尊心や、愛国心を捨て去ってしまうというのは、まさしくギリシャ時代の奴隷根性丸出しというものである。

アメリカとの戦争も、元はといえばそこに遠因があったわけで、あの戦争で諸悪の根源と見なされている東条英機も、ルーズベルトが日本を兵糧攻めにしたことへの反発であったわけだし、勝った連合国軍の最高司令官マッカアサー元帥も、日本が兵糧攻めにあえばああいう行動、つまり戦争という手段に出ることは致し方ないと認めているのである。

なのに何ゆえに、我々の側で「悪いことをした」と謝罪して回らねばならないのか。

自らの正当性を自ら否定するという馬鹿は、奴隷以外のなにものでもないではないか。

勝利を収めたアメリカは、日本を奴隷にしたけれど、我々の側では、自分たちが奴隷にされていることが少しも判っていないわけである。

まさしく民族の誇りも、名誉も、愛国心も、奇麗さっぱりと失ってしまったから、自分が奴隷であるということに気がつかないでいるわけである。

奴隷であろうとなかろうと、奇麗な車に乗り、流行の衣装に身を包み、臍だしルックで自由気ままに遊んでおれるので、自分が奴隷などとは露ほども思ったことがないのであろう。

しかし、この状況は西洋列強、つまりコーカソイド系の白人から、アメリカのWASPから、ロシア人から、韓国人、中国人、地球規模から見てあらゆる人々が、日本がこういう腑抜けの国になることを望んでいたわけで、人畜無害なエコノミック・アニマルに徹することに希望を抱いていたのである。

日本がこういう腑抜けな国家だからこそ、中国は小泉首相の靖国神社の参拝に文句を付け、韓国は日本の教科書にまで嘴を入れることができ、アメリカは沖縄に基地をおき、北朝鮮は拉致問題を引き伸ばしているのである。

北朝鮮の日本人拉致の問題など、北朝鮮とホットな戦争を覚悟しなければ解決できるわけがないが、我々は腑抜けな国家だから、その覚悟が出来ない。

だから小泉首相も「対話と圧力」などと判ったようなわからないようなことをいってことを引きのばしているが、これは小泉首相一人の問題ではない。

国民の側に、戦争に訴えてでも解決する勇気があるかどうかを問われている問題である。

経済制裁などと、さも特効薬かのように言っているが、そんなもので解決するわけはなく、ただのスタンドプレーに過ぎない。

戦争しか解決の方法がないが、それが言えないものだから、経済制裁などと当たり障りのない言い方で、その場を逃げているに過ぎない。

早急に解決しようとすれば戦争するしかないが、事が発覚するまで十数年を要していたことから考えて、あと十数年かけて「圧力と対話」を継続すれば、あるいは解決するかもしれない。

しかし、それでは意味をなさないと思う。

だが、現状の我々の同胞に、血を見ることを遺棄する国民感情がある限り、誰が首相になっても、これがスムースに解決することはありえないと思う。

血を見ることを遺棄する国民感情、自衛隊員を危険地域に派遣することを嫌悪する感情、国家のために命を顧みず奉仕することを軽蔑する、こういう諸々の戦後思考というのは、ひとえに戦後の民主教育の名の下での教育の成果だと思う。

先に述べた教育勅語が戦後全面的に否定されたことは、ある意味で致し方ない面がある。

それは、勅語の本文は実に理にかなった文言であるが、これを普及せしめる段階において、その教え方に非常な齟齬があったからだと思う。

ということは、これを小学生に丸暗記させたが、その丸暗記の過程で、個々の子供にはそれぞれ個性があって、物覚えの速い子もいれば遅い子もいるわけで、それを一律に軍国主義的手法で律したものだから、それを受けた世代が、教育勅語そのものに嫌悪感を抱いたものと推察する。

本文の内容を子供に詳しく説き聞かせることよりも、丸暗記したかどうかに教える側の関心が向いてしまって、教育としての本来の使命を履き違えてしまったのではないかと思う。

私は無学で詳しくはしらないが、多分、教育勅語というのは昔の文部省が上からの指令で、小学校で教えるということを指示したのではないかと思う。

それを受けて末端の小学校の現場では、それを小学生に丸暗記させたものと想像する。

その過程で、教え方に多少問題があったことは十分考えられるが、文部省の指令を末端の先生が実に真面目に取り組んでいる点が実におどろきである。

戦前の我々、日本人の生き様というのは、このことに見事に現れていると思う。

これはあの時代の日本社会のあらゆる面に見られるわけで、軍人勅諭にしても、戦陣訓にしても、我々の同胞は、政府や、お上のいうことには実に生真面目に応じてきたことが伺える。

これこそが世界の人々が日本人を恐れた最大の理由であろうと思う。

そして、時が移り、時流が逆向いてベクトルが反対方向に向いても、又、同じ様に実に生真面目に新しい方針に忠実足らんと努めるところが我々の民族の民族的特質ではないかと思う。

教育勅語が完全否定されると、現場の先生は見事に方向転換して、民主化を受け入れたわけで、この変わり身の速さというのは見事という他ないと思う。

海の中にすむいわしの大群は、群れ全体で一斉に方向転換することがあるが、我々の民族の特質も、あれと全く同じで、見事に時流に迎合する特質を持っているように見える。

昭和初期に軍国主義が一世を風靡すると、猫も杓子も軍国主義者で、戦争に敗北して平和主義が主流を占めると、またまた猫も杓子も平和主義で、高度経済成長で投資をしないのは馬鹿だという風潮が起きると、それこそ猫も杓子も投資をしてバブルに踊ったわけで、この我々の民族の生き様というのは一体なんなのであろう。

 

慢心とその反動

 

こういう世の中の移り変わりの中では、当然、大儀の価値観も、正義・不正義の基準も、ことの良し悪しも、その基準となるものが時代に合わせて変化してしまう。

大衆というのは時流に迎合して生きて行けばいつかは幸せを獲得することが出来るかもしれないが、人間の集団として民族というものを眺めたとき、こういう時流に流されない孤高の人というのが居てもいいのではなかろうか。

その人は、当然、無学文盲であるわけはなく、人並み以上に学識・経験が豊富でなければならず、それに基づいて人としてあるべき姿を説いて回らねばならない存在だと思う。

人間の集団というものを眺めてみると、それは社会を眺めるということになるが、この社会というのは色々な階層で成り立っている。

その中で大雑把に区分けすると、統治する者とされるものという階層の存在であるが、それは政治という形で語られる。

だから政治を語るときには必ず統治するものとされるものという対立軸で語られるが、こういう対立軸で我々の社会というものを眺めてみると、批判されるのは常に統治する側で、統治される側が批判されるということはありえない。

これは地球規模で眺めても民主主義国ならば如何なる国家でもそうだと思う。

あの国民が悪い、国民の側が馬鹿だ、国民が怠惰だ、だから当然の帰結だ、という論評はありえない。

つまり統治される側というのは何時の世でも批判されるということがないわけで、だとすると当然のことながら、何ででもかんでも統治する側が悪いということになってしまう。

ある意味でこれは真実でもある。

なんとなれば、馬鹿な国民を上手にリードできなかった、馬鹿な国民を上手い具合にコントロールできなかった、という意味で、統治する側の不手際という言い方も成り立つからである。

こういう背景の下、世の知識人とかオピニオン・リーダーと称する人々は、とにかく為政者を糾弾することに血道を上げているが、これで本当に世の中が良くなるであろうか。

現代の日本の最大の政治の失敗は、いうまでもなくあのアメリカとの戦争に敗北したことであり、その後アメリカの奴隷に成り下がったことであるが、犯した失敗はもうなんとも取り返しの仕様がないが、それはそれとして、21世紀の我々は、地球規模で見て、誇りと名誉に満ち、世界に名だたる東洋人として振舞うことが求められているのではなかろうか。

我々がそうなるためには、為政者を責めるだけでは駄目だと思う。

国民各階層の意識の底上げが必要ではないかと思う。

我々は今、良い車に乗り、良い家に住み、飽食に馴れてしまっているが、この享楽を失うことを恐れていてはならないと思う。

「金持ち喧嘩せず」で、何事も金で解決できると思うようでは、世界中から再び顰蹙を買うことになると思う。

今の日本の知識人とか文化人、オピニオン・リーダーといわれる人々は、日本経済が下降線を辿り、昔ほどではないにしても、今よりも窮屈な生活を強いられる状況がくることを説いて回らなければならないのではなかろうか。

今の日本の政治家というのは、選挙の票に恐怖心を抱いているので、票に影響するような思い切ったことは言い切れない面がある。

例えば、増税の話などは決して真剣に言い出せないと思う。

その点、票にびくびくしなくても済む知識人とか文化人、オピニオン・リーダーといわれる人々ならば思い切ったことがいえるわけで、政治家として言えない部分をはっきりと国民に掲示すべきだと思う。

ところが福祉の後退だとか、介護の削減だとか、弱者切捨てのようなことは誰もいわないのである。

誰でも良い子でいたいので、そういうことは極力避けようとするわけである。

これはある意味で無責任体制でもあるわけで、今までどおりの福祉も介護も弱者救済も続けようとすれば、当然、先行き破綻することは間違いないが、誰もそれをはっきりとは明言しないのである。

悪いことはなんでもかんでも政府というわけで、責任を政府に転嫁しているだけのことである。

政府や為政者を糾弾することは実に安易なことである。

小泉首相の嘆きではないけれど、リーダーシップを発揮すれば「独裁」といわれ、人に任せれば「丸投げ」といわれ、熟考すれば「優柔不断」といわれるとすれば、一国の首相たるもの浮かばれないと思う。

政府を批判することも、戦後は民主化の一環として大きく容認されているが、これもそろそろ限界点に達しているのではないかと思う。

戦前の治安維持法も、この天皇制の国家の中で、天皇制を否定する共産主義が広範に浸透してきたので、それに対する対抗手段として制定されたのである。

ある意味で、共産主義者たちが慢心して、非合法であるべき活動を舐めてかかるようになってきたので、その反動としての検挙であったと思う。

日本が日中戦争で中国大陸から足を洗えなくなったのも、陸軍の慢心が元で、世界情勢に高を括っていたから、その対抗手段として我々は罠に嵌められたのである。

この世のあらゆることは慢心とその反動としての締め付けという構図で成り立っていると思う。

民主主義というのは、そのバランスの上に成り立っていると思うが、反政府運動というものがあまりにも慢心しすぎて、目に余るような情況を呈するようになれば、必ずその反動として締め付けが起きてくると思う。

民主主義国家では国家首脳というのは選挙で常に入れ替わるので、メデイアとしても特定の為政者を特別こっぴどく叩くということはあり。

だからこそ、統治する側では自浄作用が機能するが、この自浄作用というのは統治される側には全く存在していないわけである。

統治される側には自浄作用が機能しないので、何処までもエスカレートしてしまうため、行き着く先は、自分の国の利益よりも他国の利益を優先するという妙なことになってしまうのである。

戦後の我々には、自分の祖国という概念がないので、自国と他国の峻別さえないわけである。

人の形をしていさえすれば総て平等だと負い違いをして何等恥じないのである。

 

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