05072302伊勢湾マリンフェスタ05

伊勢湾マリンフェスタ05

 

今月(平成17年7月)の初めのころ、小牧隊友会の方から、名古屋港に海上自衛隊の艦艇が入港するという情報を得た。

それでインターネットを調べて、海上自衛隊が「伊勢湾マリンフェスタ05」という企画で、名古屋港に入港し、7月22日には艦艇の一般公開があるということを知った。

一昨年には、縁があって元の職場の古い先輩から観艦式の切符を融通してもらって、それを見学したことがあったので、それ以来というもの海上自衛隊の艦艇には非常に興味を持つようになった。

今の海上自衛隊というのは、その戦力を航空機と艦艇で二分していると思う。

しかし、海上自衛隊の航空機というのは攻撃性は全くないわけで、あくまでも人命救助とか、潜水艦を探すという用途でしか活躍の場がないはずである。

そこが諸外国の海軍と、日本の海上自衛隊の最も大きな差異であろうかと思う。

戦後の60年間という時の流れの中で、日本の国を守るということを、そういう風に位置づけにしたのは、我々の国民自身の選択であったわけだから、それに不満をぶつけるべきではないが、その中でも艦艇はその少ない攻撃力を持った極めて限定的な存在だと思う。

それはさて起き、このマリン・フェスタの本命は、7月23日と24日の体験航海であったようだ。

ところが、情報に接する機会が遅くて、この体験航海に申し込むのが遅れ、これには参加できなかったが、このプレ・イベントとして22日に停泊中の艦艇の一般公開が行なわれるということで、それを見に行ってきた。

14時からの公開ということで、家を

12時少し前に出たが、時間的には十分すぎるほど余裕があった。

我が家から名古屋港までは非常に近くて、1時間もあれば十分いける。

地下鉄で名古屋の街を一直線に北から南に突っ切るわけで、非常に便利だが、惜しむらくは名古屋港に行く用事というのが我々にはほとんどないということである。

1年のうちに1度あるかないかである。

それで地下鉄の終点、名古屋港駅で地上に出て、そのまま真っすぐに進むとガーデン埠頭に行き着く。

夏の昼下がりということもあって、この日もカンカン照りであったが、埠頭まで行ってみると、既に海上自衛隊の艦艇が6隻岸壁に係留されていた。

その手前にはスペインの帆船、ビククトリア号が係留されていた。

この船は例のマゼランの世界一周航海の時の船を復元したものということであるが、愛知万博と関連つけて此処に寄航しているということであった。

防腐剤で塗り固められて黒っぽい塗装であった。

海上自衛隊のマリンフェスタも愛知万博と関連つけられており、今名古屋に来るあらゆるイベントは何でもかんでも愛知万博に関連つけられているようだ。

それで14時の時間までまだかなりあるので、当然この船も見学することになったが、こちらの方はあまり人も集まっておらず、万博の行列のことを思うと天と地の違いだ。

それでもガイドが一生懸命、暑い中で注意事項を説明していた。

マゼランがスペインを出航したのが今から約500年前ということであって、その時にこの船と同じもの、全く同じというわけではなかろうが、これと極めて類似した船に乗って出かけたということだと思う。

日本でいえばまだ足利時代で、遣明使が行き来していた時代である。

「西洋先進国」という言葉を、我々は何も躊躇することなく使っているが、まさしくこの事実を知るだけでも「西洋先進国」という言葉は、真に迫ってくるように思う。

船自体はそうそう変わったものではない。

いわゆる水に浮かぶ樽のようなもの、という意味ではそう我々の概念を大きく壊すものではなく、水に浮かべて物を乗せるという機構が洋の東西を問わず同じである限り、そう突飛なものではない。

船内に入って様々なものを見ても、これが帆船というローテクである限り、そうそう珍しいものがあるわけではない。

しかし、此処で見るべき物というのは、やはり我々と西洋人の発想の違いだろうと思う。

16世紀という今から500年も前において、同じ時系列で考えたとき、我々のものの考え方と、西洋人のものの考え方の違いを較べてみることは非常に興味あるところである。

以前、徳川美術館で、日本の武将の乗る馬の鞍を見たときにも、この西洋と東洋のものの見方の相違というものをツトに感じたものであるが、此処でもそれは如実に現れている。

船の歴史にもその構造にも詳しいわけではないので、無責任は放言に近い言辞ではあろうが、これら西洋に船は大きな樽のような構造になっているが、我々の和船はたらい(盥)の様な構造だと思う。

西洋の船には船首から船尾にかけて一本の太い竜骨というものを通して、それに貼り付けた板を上部に曲げて、全体として下膨れの樽のような形に纏め上げているが、我々の場合は、何処までいってもたらいの域を出るものではないように思う。

この構造の違いは当然運用にも関わってくるわけで、西洋のものは遠洋航海にも耐えられるが、我々の場合はしょせん渡し舟的なものでしかないと思う。

しかし、それがペリーの黒船の来航で、我々の認識は一遍に覆されたわけで、我々は一度価値観の相違に気がつくと、後はまさしく猪突猛進で意識改革が進んでしまうのである。

その延長線上にこの「伊勢湾マリンフェスタ05」に参集した海上自衛隊の艦艇群があるものと思う。

岸壁手前から護衛艦「しらゆき」、「たちかぜ」、潜水艦救助母艦「ちよだ」と3隻が並んで係留されていた。

その後ろにも同じ体系で3隻係留されていたが、こちらの方は割愛した。

それでビクトリア号をひとわたり見学してから、こちらに移動してもまだ時間があったので、準備の状況を見ていたが、今は夏の真っ盛りで彼らは全員夏服を着用していた。

この真っ白な制服というのは如何にもスマートである。

そして昨今の自衛隊では如何なるセクションにも婦人自衛官の姿が見れるが、世俗の若い女の子と較べると、制服をきちんと着た彼女達の姿は実に凛々しく見える。

男女共同参画という風潮が今は普通であるが、もしこの風潮がもっともっと浸透すると、世の中というのは全部女性に席巻されてしまうかも知れない。

アメリカのブッシュ大統領の側近であるライス国務長官などという女性は、世界の軍事の頂点に立っているわけで、我々から見ると国務長官と呼んであまり偉そうには見えないが、彼女の場合、実質アメリカ外交の頂点でもあり、アメリカ四軍の頂点でもあり、文字通り大統領の右腕なわけだから、日本の大臣の比ではないと思う。

そのうち日本でも軍艦(護衛艦)の艦長が女性などということがありうるかもしれない。

今ときの軍艦・護衛艦は最先端技術の塊と見ていいと思う。

しかし、先端技術というのは日進月歩の勢いで進歩しているわけだが、そのことは同時に、日進月歩の勢いで時代遅れになっているということでもある。

この護衛艦、横須賀地方隊の旗艦「しらゆき」の兵装もレジメで見る限り、仰々しく掲げられているが、実質は時代遅れだろうと思う。

いわゆる、「無いよりもあるに越したことがない」という程度のものではないかと思うし、同時にそれは決して使うことのない兵装なのだから、少々時代遅れでも訓練さえ出来ればそれでヨシといった程度のものではないかと想像する。

面白いと思ったのは、3隻が横付けされていて、岸壁から次々と船を渡っていくのだが、その艦ごとにそれぞれにパンフレットを用意していることである。

こういう広報活動に関して、それぞれの艦の独自性が出ていて、パンフレットの出来具合が微妙に違っているところが非常に面白く思う。

一番岸壁に近いところには護衛艦「しらゆき」が係留してあったが、ここでは艦橋の見学が出来た。

以前見た観艦式でも、艦橋での仕事振りというものをつぶさに見ていたので左程驚くべきものはないが、やはり軍艦ともなれば艦長の席は一等席である。

あらゆる組織ではトップの意向を以下に具現化するかということが問われるわけだが、軍艦の場合、時間的な判断力が非常に大事なわけで、1分1秒の判断ミスで取り返しの付かない結果を招くこともあるのだから、その意味からすれば指揮をするのに一番都合のいい場所を得るというのも当然のことであろう。

この日の一般公開では大事なところは見せないのでよくは判らないが、艦長のほかにどこかに戦闘指揮所があるのではないかと思う。

これだけレーダーを装備していて、COC(コンバット・オペレーション・センター)がないということはありえない。

艦橋というのはあくまでも艦の運用にだけ責任を負っているようで、戦闘に関してはこの艦のどこかにCOCがあるはずである。

そして、そこでは女性の活躍の場であって、戦闘指揮所というと男性の職域かと思いがちであるが、あに図らんや、それこそ女性の活躍の場である。

レーダー・オペレーターなどという職域は、女性向の仕事であって、男性がするには肉体が勿体ない仕事だ。

しかし、私が見たいと思うところは総て秘密であって、どうでもいいところしか見せてくれない。

艦橋等いくら見たところで目新し物は何もない。

艦の両サイドには20mmバルカン砲が装備されていたが、これも恐らくレーダーとFCS(ファイア・コントロール・システム)が連動しているはずで、今更隠さねばならない代物ではないはずである。

艦首には「しらゆき」の場合76mm砲が装備されていたが、「たちかぜ」の場合それが5インチ砲となっているが、こういう点は実に不合理だと思う。

片一方はメート法で表示され、片一方はポンドヤード法で表示されているわけで、こんな不合理なこともないと思う。

それぞれの艦のコンセプトが違っているということは理解できるが、各兵装がそれぞれに違っていては相互に互換性がないわけで、こういうところに日本の縦割り行政の弊害がモロに出ているのではないかと想像する。

逆に言えば、艦の独自性ということも可能であるが、兵種、つまり武器が多様化すれば後のフォローがそれだけ難しくなるわけで、こういう点に日本の軍隊が兵站を考えない、ロジステイックを考慮に入れない弊害が出てきていると思う。

昔のままの思考から一歩も進んでないのではないかと思う。

一番外側に係留してあった潜水艦救難母艦というのは目新しい船であった。

これは戦闘艦ではないが、潜水艦を救助するというコンセプトにより、潜水艇を2つも搭載していた。

しかし、潜水艦を救助するための母艦ということは、非常に用途の広い船ではないかと想像する。

海の研究というのは日本が海洋国家である割には案外進んでいないように思う。

しかし、ここでも日本の縦割り行政の弊害が出ていと思う。

例えば深海潜水艇にしても科学技術庁のものから海上自衛隊のものから、東海大学のような大学のものから様々あるわけで、ひとつの物を各団体で共有して使うという発想にかけているので、各団体がそれぞれに自分のものを持ちたいという欲求が優先されている。

それを作るメーカーとしては、それだけ注文が多くあるということで、ありがたい存在であるが、日本全体としてみた場合の効率という観点から考えれば、一つのものを廻りもちで利用したほうがコスト面でも有利だと思うが、そういう意味で、この潜水艦救難母艦という存在意義は大きなものがあると思う。

南極観測船も所管は海上自衛隊になっているわけで、こういうものは経験を積むということが非常に大事なことだと思う。

その経験が次世代の新しい発想につながるものと考える。

我々、日本人というのは従来から基礎研究に金をかけないとよく言われているが、ロケットの開発等でもそういう先行投資、あるいは基礎研究のデータ収集という意味でも、当座の見返りがすぐに現れなくても、敢えて果敢に挑戦することは必要だろうと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

3隻の21世紀の日本の軍艦、護衛艦を見て廻ったが、賞味1時間ぐらいで済んでしまった。

それにつけても体験航海に参加したかった。まことに残念である。

 

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