050704   東京デイズニーランド

 

2005年、平成17年7月2日、東京デイズニーランドに行くことになった。

今、32歳の娘が嫁ぐ何年か前に、家内と二人揃って行ったことがあるが、今度は二人のコブ付きの行脚で私は子守担当のようだ。

私一人ならば決して行くことのない場所だと思う。

私はああいう人工の娯楽施設というのはどうにも好きになれない。

私が一人で自由気ままな旅が許されるとすれば、決してこういう選択にはならないはずである。

私ならば大自然にあこがれ、寂れた村や、人気のない漁村や、かって人が住んでいた廃墟や、失われたものが埋没されていそうな人気のないところをさ迷ってみたいという願望はあるが、人が知恵を絞って人を楽しませようと画策した場所というのは、最初から嫌悪感が出てしまって、素直に飛び込めないものを感じる。

家内と旅行するとき、乃至は家族旅行のとき、私は常に引っ張り出されて、しぶしぶついていくという感じである。

自分の好みでない旅行でも、家族サービスのつもりで、子守役に引き連れられていくという感じだが、向こうに着いてしまえばこれはこれで、結構楽しんでしまう。

ただ最初のきっかけが何とも不器用で、素直に人の意見に従えないだけのことかもしれない。

それで、今回も家内と二人で出かけた。

娘とその子供達とは名古屋駅で落ち合うことになっていたが、地下鉄を降りて階段を上って、名古屋駅の新幹線用の改札口の前に出てみると、目の前を我が娘とその子供達が歩いているではないか。

3歳の孫は我々の姿を見ると大喜びであったが、この上の孫は、もう嬉しくて家の中でも本人用のリュックを背負っては落ち着いておれず、そのために下の孫の物を忘れて出てきてしまったということだ。

それで新幹線に乗るまでの時間もたっぷりあることだから、高島屋でそれを買うことにしたが、これが今回最初のトラブルとなった。

高島屋の8階で買いものをしている間、私が上の孫を連れて近くにあった幼児用の遊び場で遊ばせていたところ、此処がすこぶる気に入って、夢中でその場にあったおもちゃで遊んでいた。

買い物が終わったので、さあその場を離れようと孫を抱っこしたところ、遊びに夢中になっていた孫は、火のついたように暴れ泣き出した。

もう少し遊ばせろということらしいが、これには往生した。

娘に言わせると、本人を納得させなかったからだというが、そうだったかも知れない。

それをなだめるのに大童であった。

何とかなだめて新幹線の中は比較的おとなしくしていたが、幼児を連れた旅というのは実に大変だ。

私たちの子育ての時は、いつも車でしたので、こういう苦労はとうとう経験することなく過ごしてしまった。

それと、ジジババと一緒に旅行をするということもなかった。

それで、新幹線は東京駅に着き、京葉線に乗り換えるわけだが、この路線は私にとってはまことに馴染みのない路線で、連絡通路があんなに長いとは思っても見なかった。

しかし、乗ってしまえば舞浜というのは案外近く、すぐにデイズニーランドの前に来てしまった。

駅の階段を下りて、左のほうにウエルカムセンターというのがあって、周辺のホテルの受付カウンターが5つ6つ集合しており、娘と家内はそこでもうホテルの手配をして、余分な荷物を預けてしまった。

身軽になったところで、その前にあるデイズニーリゾートラインというモノレールに乗ってほんの2、3分で、東京デイズニーランド入り口に到着。

愛知・万博の北ゲートとたいした違いはないが、午後1時近い入場の割には結構人出も多かった。

ゲートを通過した正面がワールドバザールというエリアらしいが、如何せん小さな子供連れでは十分に見てまわるということも不可能だったし、かって知った娘がさっさと前に進んでしまうので、こちらは子供を追いかけるのに精一杯でろくに見学も出来ない。

正面は大きなアーケード街といった感じであった。

ただ天井が高いのと周りの店が異国情緒の溢れているのでなんとなくエキゾチックな雰囲気が漂っていた。

此処を抜けると大きく開けたスペースとなっており、正面にはファンタジックはお城が出現し、まるで不思議の国に迷い込んだような気になった。

人の波と、その波の中に子供を見失わない様に追いかけるのとで、何処がどういうふうになっているかもさっぱり判らないまま、娘と家内は子供にいろいろな物を買い与えていた。

上の孫はプーさんの風船が結構気に入っていたし、これにはヘリウムガスが注入されていると見えて、常に空中にさ迷っているのはいいが、それが丁度私の顔の前を行ったりきたりするので私は非常に迷惑であったが、腹を立てるわけにも行かない。

それで奥の方のクリッターカントリーというエリまで来たとき、そこのボートに乗ることになった。

丁度、商船学校のカッターくらいの大きさの船であったが、それを操縦するのが若い青年で、恐らくアルバイトであろうと思われるが、忠実に職務を全うしていた。

前にユニバーサルスタジオジャパンを見たときにも思ったのだけれども、日本の若者も何かと不評を買っているが、こういうところで働いている若者は実によく教育されていると思う。

恐らくこのボートの運用というのは会社側からマニュアルを渡されて、その通りにしているのだろうが、昔あったバスガイドのようなものに近い存在だと思う。

ボートが進むと両側の岸辺に象や、カバや、ワニや原住民や、襲われた探検隊やらが出てきて、そのたびごと若いガイド兼操縦者が説明している。

この辺りの仕事というのは相当に訓練をされたもののように見受けられる。

私は根が皮肉なたちなので、此処に現れる総ての動物は作り物という醒めた目で見てしまうので、ガイドもしにくいだろうが、それでも当人は一生懸命なところは大いに買える。

翌日はその近くにある大きな蒸気船、マークトウエイン号に一同5人揃って乗ったが、ここでもやはり同じ様に若い男女がきちんと決められた制服を着て、決められたとおりの仕事をこなしていた。

しかし、世界各地の秘境をこういう形にして、この東京に再現し、人々を楽しませるということはウオルト・デイズニーの発想ではあろうが、発想は彼だったとしても、それを実現しようとしたのは彼以外の人たちではなかろうか。

そして、それでもって金を儲けるという発想は、実にたいしたものだと思う。

日本でもこういう発想、つまり見世物興行というのは昔からあったに違いないが、これほど大規模なものは、この東京デイズニーランドが出来るまでなかったわけで、その意味では、我々はこういうアイデアを思いつかなかったということであろうか。

東京デイズニーランド略してTDLというのは、日本ではじめてこういう形のテーマパークというものを実現させたわけであるが、それが今から25年も前というのだから驚く。

娘と家内が二人で揃って出かけてのは、恐らく10年くらい前のことで、それが未だに衰えもせず隆盛を極めているということは、企業側の努力が並々ならぬものがあるということだと思う。

翌日は、娘がわざわざ予約券まで取って乗ることを期待していた、ウエスタンランドにあるビッグサンダーマウンテンというジェットコースターにつき合わされた。

娘が折角用意してくれたものだから、我を張り通すことは可愛そうに思って付き合うことにしたが、これも此処の名物であるだけに相当な代物である。

ジェットコースターが真っ暗なトンネルの中で右に左に傾くのはいささか恐怖を覚えるが、今までに営業実績があるのならば、今更事故に合うこともなかろうと思って、身を委ねることにした。

怖いといえば怖いが、事故に合うこともなかろうと思えば、そうそう心配することもない。

このジェットコースターは、ほんの短い時間の中に、アメリカの大西部を垣間見れるように出来ていたが、それを実感できるのはやはり現地を体験したものでなければ意味を成さないであろう。

グランド・キャニオンやイエロー・ストーンのマンモス・ホット・スプリングス・テラスが再現されていたが、それに気付いた人はほとんどいないのではなかろうか。

ジェットコースターそのものが、モニュメント・バレーのビュートに似せたものを土台にしてあった。

まさしく大西部を凝縮した感じである。

この本物を既に見ている我々は、ある意味で非常に幸せだと思う。

このほんの2分か3分のジェットコースターの旅の中に、アメリカの大西部が凝縮されているところはまさしくウエスタンランドである。

しかし、我が娘は、我々、気の小さな夫婦から生まれ育った割には、こういう大胆な面があるというのは一体どういうことなのであろう。

独身時代にはずいぶん大胆なことをしてきたようだ。

此処では毎日何らかのパレードがあるようで、前日にはデイズニー・ドリーム・オン・パレードというのを見ることがで来た。

大きな山車をかたどったものが移動していく際に、踊り子達がその山車の周りを踊りながらパレードするというものであったが、まあ壮大かつ奇麗、そしてメヌヘンチックで、小さな子供ならば大いに喜びそうな代物であった。

 

翌日見たパレードはこれまた徹底的なロックサウンドで、1950年代のロンクンロールの時代に逆戻りしたようなものであった。

これはUSJでも同じ様なものを見たが、巷ではもうロンクンロールというのは見れなくなってしまったが、こういうところでは未だに生きているようだ。

不思議な現象だと思う。

こちらの方は大きな自動車をサイケデリック調に塗って、3輪バイクにリーゼント風の頭髪をした、せいぜい不良ぽく見せたものが露払いをしながらパレードしていたが、私はビデオをとるのに一生懸命で、十分に見ることは出来なかった。

来た者を飽きさせることなく一日中楽しませるというのはまさしく素晴らしいエンターテイメントの精神だと思う。

此処では7つのテーマに沿ったエリアがあって、それぞれに趣向を凝らして、来た人を楽しませる工夫がなされている。

子供向けのおとぎ話をテーマにしたものから、西部劇を思い出させるものまで、とにかく人々に感動を与えるべく工夫が随所になされている。私の趣向に一番合ったものは、当然のことながら、西部劇の雰囲気であったが、これも生半可な凝り様ではない。

アメリカの大西部を旅行した時の情景そのままに再現してあったので、ますます恐れ入ってしまった。

しかし、これも現地を知らない人からすれば、比較が出来ないであろうから左程意に介さないかもしれないが、私には大いなる驚きであった。

そしてそのテーマ毎にバック・グランウンド・ミュージックが違っていたが、娘や家内は一向にそれには気がついていない様子であった。

西部劇の舞台であるウエストランドではマウンテン・ミュージックが流れ、アドベンチャーランドではデキシーランド・ジャズが流れ、他のところではロックンロールが流れていた。

二日目のワールドバザールではデキシーランド・ジャズ・バンドが実演をしていたが、こういうのはあまり幼い子供では意味を成さないだろうが、興味あるものにとっては非常に楽しいものだ。

スケジュールをしっかり下調べをしてくれば機能的に見てまわれそうであるが、娘はそれをしてきたようだが、如何せん私とは趣味が合わないので、私の方はさっぱり機能的に見てまわれなかった。

ただただ、行き当たりばったりでしかなかったので、運次第である。

初日は相当歩き回ったので、そろそろ夕食でも、ということになって、TDL内唯一の和食レストラン北斎に入って全員揃って食事ということになった。

幼児を連れてのレストランで食事というのも大変なことである。

子供は少しもじっとしておらず、ちょろちょろと歩き回るし、箸やスプーンは落とすし、付き添いの方はすっかりくたびれてしまって、食事をしたような気分にはとてもなれない。

西洋では、子供をどういうふうに躾ているのであろう。

彼らはベビーシッターを付けて、家においてくるということであるが、家族連れの旅行ということはしないのであろうか。

我々、日本人は子供の躾に甘いとよく言われるが、果たしてそうなのだろうか。

我が家の孫が特別横着なのだろうか。

上の子は食が細いといわれていたが、この時は注文したうどんをよく食べていた。

それと昼間歩いている時は、ポップコーンを食べながら歩いていたので、食が細いといいながら、必要なものは何らかの形で摂取しているに違いない。

それやこれやで夜の7時ころTDLを出たが、ここから再びモノレールに乗ってホテルの前まで来て、此処でホテルの送迎バスに乗り換えたが、このバスが特別に子供達が喜びそうなデザインになっていた。

モノレールの窓も子供の喜びそうなミッキーマウスの形をした窓であったが、この送迎バスもそれこそミッキーマウスのバスといった感じであった。

ホテルに着いて7階の部屋に行く途中のじゅうたんも子供が喜びそうな魚やたこや、海の生き物を漫画チックに描いたものでいささか違和感を覚えたが、これもTDLという巨大娯楽施設に付随した施設という意味で致し方ないと思わなければならない。

ホテルに着いたので、子供達はさぞ疲れているだろうからと思って早速風呂に入れて寝かせようとしたが、こういうバスタブで子供を風呂に入れるというのはいささか勝手が違った。

我が家の風呂のように洗い場がないので、バスタブの中で頭や身体を洗うのはいいが、いつもの手順どおりにはいかない。

上の子はいつも私と一緒に風呂に入っていたので泣くことはないが、下の子の場合、生まれたての頃は私と一緒に入っていたが、知恵がつき始めたら泣くようになってしまって、どうも母親の姿が見えないと心配のあまり泣くようだ。

あれやこれやで一日が暮れた。

ビールを一本飲んだらこちらもダウンしてしまった。

このTDLとデイズニーシーTDSを二つあわせて東京デイズニーリゾートを呼称するらしいが、実によく出来たリゾート施設だと思う。

遊園地を中心にして、ホテルや鉄道が一体となってエンターテイメントを提供するという姿は今までにない発想であろうと思うが、悲しいから日本人の発想でないところがえもいえない悲しさが漂う。

「ライオン・キング」を見たときもそう思ったけれども、こういう発想は、日本人には出来ないもののような気がしてならない。

ウオルト・デイズニーはアニメーションでもいくつかの名作を残しているが、日本のアニメが世界で認められたといっても、まだまだデイズニーにはかなわないと思う。

アニメ映画というのは、一枚一枚透明のセルロイドの紙に絵を書いて、その数が多いほど細かい仕草が表現できるわけで、その数の多さでは日本のものは遅れを取っていると思う。

それは、いわば金の問題で、セル画が多くなればなるほど金が掛かるわけで、日本のものはそこをケチるからアニメの動きがどうしてもぎこちないものになる。

微妙な仕草が演じきれないということになる。

このアニメの話しも相当古い話で、今はかなり違っているとは思うが、人間の発想というのは、そうそう一気に革新の図れないものではないかと思う。

人間はやはり経験から学ぶもので、自分が経験したこともないものには、むやみやたらと飛び込んでいくということはないのではないかと思う。

このTDLの人出の多さは一体どういうことなんのであろう。

目下、愛知万博で1日10万人の入場者があったと報道されているが、このTDLの人の多さも、それに劣るとも思えない状況である。

そして客層が明らかに違う。

愛知万博では年寄りが多いが、こちらは若夫婦という感じのものが子供連れで来ている姿が目に付く。

もともとこの遊園地が子供向けのものであるからして、子供に親がついてくるという感じが非常に濃いが、万博の方はあくまでも官僚の企画(全部ではなかろうが官僚主導であることには間違いない)という雰囲気が拭いきれていない。

同じ様なテーマパークであろうが、TDLの方は企業生命を掛けて、決して潰してはならず、常に利益を追い求め、発展を至上命令としているので、期間限定で半年間の官製博覧会(?)とは根本的に意気込みが違う筈である。

TDL内のあらゆるセクションで働いている若者達も見事に躾けられて、マニュアルとおりの仕草、言い方、対応の仕方であろうが、それが実に小気味よい。

そのマニュアルを考え、それを今時の若者に教え、そのとおりにさせる努力というのは、本来ならば学校教育ですべきことであろうが、それがこういう企業内の教育でなされているということは一考すべきことだと思う。

つまり、目の前に金というニンジンをぶら下げているわけで、それが為、若者は教えられたとおり、マニュアル通りの行為、行動、言い方、対応の仕方をしているのではないかと思う。

ゴミを拾うとか、ポンプコーン、アイスクリームを売るというような単純な仕事ならば年老いたものを雇用しても良さそうに思えるが、年老いたものにマニュアルをマスターさせることはやはり難しいわけで、そういう意味で此処で働いている人たちは若者ばかりである。

そしてジェットコースターとか、マークトウエイン号とか、既存の固定された施設だけではリピーターに飽きられてしまうので、それを飽きさせない為に、次から次へと新しいイベントを企画して、年がら年中楽しませる工夫がなされている。

そして様々な店も、それぞれにスポンサーが着いているようで、その辺りも実に巧妙に事業化されているようだ。

しかし、なんといってもアクセスとホテルと遊園地が一体となっている点であろう。

JRがほとんど遊園地の正面玄関まで横付けされている点であろう。

愛知万博もこうでなくてはならないと思う。

こちらの方は期間限定で、半年後にはまた野に返されるというわけで、恒久的な投資が出来なかったということであろうが、そもそもそこから発想が間違っていると思う。

万博・EXPOを開催する以上、その跡地は恒久的に利用するという発想が先にないから、跡地を野に返すということになるのである。

万博・EXPOを開催する以上、その後は恒久的に利用するのだ、という発想が最初からでないものだから、終わった後のことばかり考えて、総てのものが中途半端なアイデアしか浮かばないという結果になっていると思う。

そこが官製博覧会の域を出ることの出来ない最大のネックになっていたのであろう。

そういう発想が先にあれば、会場もあの場所にはならなかったかもしれない。

最初、「海上の森」で行なうところであったものが、反対運動が起きると、それを前の青少年公園に移したりして、一貫した筋の通ったアイデアに欠けていたので、反対運動が起きるとあっちにフラフラこっちにフラフラと揺れ動いていた。

その為、総てのものが中途半端なものになってしまったものと考える。

愛知万博の最大のネックは、やはりアクセスの問題だと思う。

会場入り口まで、地下鉄を延長すべきであったと思う。

会場入り口というよりも、愛知環状鉄道の八草駅までそれを伸ばして、そこで連絡できるようにしておけば、立派な社会基盤整備ということになるはずであったと考える。

そうすれば今後のアクセスが非常に便利になると思うが、そう出来ないところが縦割り行政の悲しい現実なのであろう。

TDLの場合は、既に25年ぐらいの実績があるわけで、JRと周辺のホテル群と、二つの遊園地が緊密に力を合わせて、お互いに儲けようと必死になっているのではなかろうか。

設備投資の金も膨大なものだろうが、見返りも相当あるのではなかろうか。

人出の数が万博並みにあるわけで、それが年がら年中こういう状態だとすれば恐ろしいことだといわなければならない。

当然、国内だけのことではなく、周辺諸国からも人が来ているわけで、その盛況には眼を見張るものがある。

翌日は13時ころ会場を出て、しばらくホテルで休憩して、その日の7時頃家についた。

娘とその子供達とは名古屋駅で別れた。

上の孫は、前日プーさんの風船を買って貰って、それをリュックに括りつけてえらく気に入っていた。

それのガスが抜けて元気がなかったので、会場内で新品のものと交換してもらったが、モノレールの駅でたまたま壁の脇にあった柱との隙間を通り抜けようとしたら、身体は通り抜けたが風船は引っ掛かってしまって糸が切れ、天上まで上がってしまった。

そうしたら、またまた火が着いたように大泣きに泣いて大騒ぎになった。

完全に本人の不注意だが、そんなことが本人に判るわけはなく、文字通りキレてしまった。

此処でまたまたなだめるのに大童であった。

子供連れの旅は、まさしく大変なことだ。

名古屋駅に着いて孫達と別れて本当にホッとした。