050515  伊豆旅行

西伊豆旅行

 

出発

 

平成17年5月10日、町内の有志による旅行会に参加して西伊豆を訪問した。

この旅行会は前々から設立していたが、数年前誘われて入会したものの仕事の都合で今まで参加できずにいた。よって、今回始めての参加となった。

というのも、本年度の役員に選出されてしまったので、会の様子を知っておきたいという意図もあったが、そう度々欠席していては申しわけないという贖罪の気持ちもあった。

事前に配布されたスケジュールに沿って指定の場所に行ってみると、知った顔もあったが知らない顔もあった。

しかし13人というこじんまりとしたグループなので、そうそう気を使うこともない。

総ては幹事さんの言うことに素直に従えば事なきを得るわけで、そう思ってバスに乗り込んだが、これが中型の観光バス、サロン・カーで、30人は乗れそうなのに、本日のお客はたった13人なので非常にゆったりとした按配であった。

それに旅行会社の添乗員とガイドさんが付いて、旅行を提供される客の立場としては非常に行き届いたサービスを享受できるというものだ。

このガイドさん、こういう言い方をすると本人に申し訳ないが、いわゆる年増女で、年のころ四十代になっていようかと思う。

それだけにガイドにそつがない。実に上手い語り口である。客あしらいが実に上手い。

名実共にガイドのベテランと言っても過言ではない。

何事もベテランと言われるまでになるには年月を要するのが常で、その意味で今まで真面目に経験を積まれたものだと思う。

皆さんの集合が早かったので、バスは定刻よりも早く出発し、東名高速を東に向かったが、他人の運転に身を任せて窓外の景色を漠然と眺めるのも実にいいもんだ。

自分で運転していると外の景色など見るゆとりもなく、ただただ前の車の後ろのみを見続けなければならないが、バスの高い窓から眺める景色も実に良いもんだ。

東名高速も愛知県内においては相当大きく改修工事がなされたようだ。

名古屋インターを東に抜けると、万博会場に向かう支線が出来ていたのにはいささか驚いた。

これが橋脚によって空中に弧を描いて走っているので、それは見るものにとっては美しく感じる人もいれば、無味乾燥な人工の構築物と感じる人もいるかもしれない。

次には伊勢湾岸道路と接続する道路がまた出現してきて、更に第2東名の工事まで現れて、愛知県中、道路だらけという印象を受ける。

愛知県は云うまでもなくトヨタ自動車の本拠地で、EXPO2005も別名トヨタ万博といわれるぐらいで、万博を口実に愛知県内のあらゆる道路が整備されたと見ていいと思う。

尤も、ものつくりという意味では愛知県はトヨタのみならず日本の中心といっても過言ではないかと思うが、トヨタが突出しているので、こういう陰口が出るのも致し方ない。

東名高速というのは過去に何度も往復しているが、年々両側の防音壁が増えているように思えてならない。

防音壁というのも周辺の住民には必要なものであろうが、旅行者の立場からすると、景色がさっぱり見えず、あたかも雨どいの中を走っているような味気ないものにしている。

適当なクルージングで正午前には沼津インターを出て、最初の昼食の場所に到着した。

 

柿田川湧水

 

沼津インターから国道一号線に出たところに柿田川湧水という泉の傍のレストランに入って昼食となった。

このレストランが少々変っていて、駐車場で車を降りると、目に前に土蔵のような建物がいくつか目に入り、その土蔵の裏手にある屋敷で昼食を戴くという寸法であったが、この建物がまるで水戸黄門のテレビドラマにでも出てきそうな、庄屋ドンの屋敷というか、大店の屋敷というか、そういう風情をかもし出している由緒のありそうな雰囲気を漂わせている。

玄関の上がり框で靴を脱いで畳みに上がると、畳を敷いた大きな和室があって、そこには既に膳がしつらえてあった。

メニューとしては我々庶民にとって可もなく不可も無しといったもので、特別に美味というわけではないが、こういう大衆的なレストランではこれ以上を望むことは期待できない。

しかし、この建物自体が相当に興味あるもので、写真に収めておきたかったが、デジカメに入れたスマートメデイアが一番容量が少ないものであったことを失念していたので、容量不足で写真に撮れなかった。

相変わらずアホなことをしたものだ。

それで食事の後、玄関先をぶらぶらしていたが、この土蔵を改造した店は、見た目にはいかにも時代を感じさせるが、中は結構現代風にアレンジしてあるから面白い。

時間になるとガイドさんが柿田川湧水というところに案内してくれた。

このレストランの脇の細道から国道一号線に出て、そこを100mぐらい歩くと公園があり、この公園の中にその湧水、いわゆる泉があるというわけだ。

湧水といわれると、なんだか特別なもののように聞こえるが、要するに泉なわけで、公園に入ると第一展望、第二展望となっているので、ますます特別のものがあるように思えてきた。

それで案内標識に沿って歩いていくと、下におりていく階段があって、行き着いた先に確かに展望台風の施設があった。

その下、4、5mのところに直径20mぐらいの水溜りがあり、その脇に泉があって懇々と水を噴出していた。

噴出し口の周囲では奇麗な黒ッポイ砂が透明な水の中で舞っていた。

そして次から次へと水が溢れてくるのであろう、ぶくぶくと泡立つように水が噴出していた。

ぶくぶくと泡立つということは、水流が波打っているということであろうか。

常に一定の水圧が掛かっているとしたら波打つわけはなく、常に同じ状態のままでなければならないが、ぶくぶくと出てくるということは、水量に変化があるという風に見えるが、私の推察はどこかに欠陥があるのだろうか。

本当の意味の泉であるが、この水が富士山に積もった雪が何年という年月をかけてここに出てきているという意味で、有名なこともうなずける。

第二展望台も全く同じで、湧水であることには間違いないが、この噴出し口と見物の位置にも4、5mという落差のある点では珍しいといえるかもしれない。

泉そのものは我々の子供のころにはあちらこちらで見かけたものだ。

ただこの泉が富士山の雪解け水という点では価値があろうが、そしてこの段差は富士山の噴火の後遺症として火山灰の堆積したものであろう、ということは大体想像が付く。

我々の住む21世紀の地球というと大げさであるが、我々の住む周辺の地形というものにも、それぞれに曰く因縁があって、何千年、何万年という歳月がこういうものを作りだしたに違いない。自然による造形というのは実に面白いと思う。

人が作り出したものとは又別の面白さがあるように見える。

どうもこの公園はこの泉の存在をPRし、現状のまま維持するために作られた節がある。

この柿田川湧水を見て駐車場に戻って、バスが発車すると、しばらくは沼津市内を走っていたが、そのうち郊外に出ると、後は快適なドライブだった。

ガイドさんは次から次へと客を飽きさせないように喋り捲っているが、聞いている方は左から右へ筒抜けでさっぱり頭の中に残らない。

だから何処をどう走ったか皆目わからないまま海岸線に出て、左側に海を見てたどり着いた先が西伊豆町堂ヶ島の観光センター前であった。

堂ヶ島の観光ということで、ここでは散策の時間が採ってあったものだから、地下道を通って港の船着場に行っては見たものの、この日は波と風があって、観光船は欠航していた。

仕方がないので眺望のきく高台の展望台に足を運んでみると、そこから見る海は非常に波荒く、岸壁に打ち寄せる波は白波立っていた。

海中の岩に当たった波は大きく弧を描いて、その岩を乗り越えていた。

この高台には天窓洞という案内があったので、大体は想像できたが、一体どういうものかこの目で見たいと思って少々登ってみたが、どうにも時間が気になって途中で引き返した。

 

加山雄三ミュージアム

それで観光センターに戻ってみると、この施設の3階に加山雄三のミュージアムがあるということで、騙されたと思って覗いてみることにした。

それで3階まで上がってみると、大体のレイアウトを示す表示があり、その中に鉄道模型というのがあったので俄然興味がわいた。

入ると真っ先に彼の船、光進丸のキャビンから見た光景が映像として表れる仕掛けがあったが、そういうものはあっさりと通過して、鉄道模型の部屋に入ってみると、これが4畳半ぐらいの大きさの立派なジオラマになっており、HOゲージの鉄道模型が並んでいた。

模型の鉄道は動いてはいなかったが、つい数日前にあるデパートの鉄道模型展で、こういう模型が走り回っている光景を見てきたものだから、ついそういうイメージが掻き立てられた。

そのほかにも彼自身が幼少のころに自分で作ったボートとか、彼の出演した映画のポスターだとか、彼自身のレコードだとか、ギターだとかが展示してあったが、彼自身、上原健という芸能人の息子という恵まれた家庭に育って、我々のように貧乏に追いまくられて、したいことも出来なかったという環境とは違うから、様々な才能が芽生えたものと考える。

それにしても本人の才能を裕福な家庭が大いにフォローアップしたものと考えなければならない。

家が裕福であったから彼の本来持っていた才能が遺憾なく発揮できたといえるが、そういう意味では現在の東京都知事の石原慎太郎と裕次郎の兄弟についてもいえると思う。

家が裕福であったということは、そうでないものから較べれば確かに有利だったと思う。

そんなことに思いを巡らしているとき、何人もの女性を監禁した小林泰剛という犯罪者のことが頭を掠めた。

彼の場合も、父親は青森県五所川原の資産家ということであるが、同じような金持ちでも、子供の育ち方が全く逆方向を向いているわけで、これは一体どういう事なのであろう。

私が推測するに、この違いは子供の幼少のころの躾の問題だと思う。

子供の育て方であり、そのことは親の生き様が子供の躾に現れてくるということだろうと考える。

小林という犯罪者の場合、幼少のころはベンツで送り迎えしていた報道されていたが、こんな馬鹿なことをする親であってみれば、子供が当たり前に育たないのも当然である。

ベンツであろうとなんであろうと、子供の行く先々に送り迎えすることの是非もわからないような親にしてみれば、その子が普通に育たないのも当然である。

子供に良かれと思ってする親心が、如何に常軌を逸しているかどうかも判断できないような親にしてみれば、子供が異常になるのも当たり前である。

金があるのだから、子の願うことならばなんでもかなえてやればいいと考える、親自身の発想が既に子供の異常を推し進めていると言ってもいいと思う。

子供を躾けるということは、子供にある程度の強制を押し付けることで、その強制に耐えてこそ、自我の活路が健全に育つわけで、その結果として加山雄三があり、石原慎太郎や裕次郎があるわけで、金があるからといってむやみやたらと野放図にしておけばいいというものではない。

「鉄は熱いうちに打て」ということは、幼少のころには試練に耐えることを学ばせよ、と言う事だと解釈する。

気骨のあるきちんとした人間に仕立てるには、幼少のときに厳しく躾なければならないということだと思う。

幼少のときにきちんと躾がなされていないと、何時までたっても自己の確立が出来ず、成人として失格人間にしかならないということだと思う。

加山雄三のミュージアムを見て、金持ちに生まれるということは実に羨ましいことだと今更ながら思ったものだ。

この場所からは宿のアクーュ三四郎というホテルはほんの近くで、歩いてでも来れるところであった。

我々のグループが少人数で、集合時間前にはきちんとメンバーが揃っていたので、時間が少しずつ前倒しになって、ホテルに着いた時間も相当早くゆとりがあった。

 

天窓洞

(西伊豆町HPより)

 

夕食までにまだ1時間半ぐらいの余裕があったので、私はすぐに天窓洞を是非ともこの目で見て見たいと思い、ホテルを抜け出して見に行った。

ホテルの従業員から場所を聞くと、ほんの近くだというものだから、先回は時間が気になっていけなかったが、今度は時間のことを気にせずともよかった。

蓋を開けてみれば、何のことはないほんのすぐ近くにあった。

先ほどの時は海側から小高い丘の上の方を回っていく道であった。

それで道も細く、まわりは林で囲まれ、地理不案内という要素もあり、少々心細かったので断念したが、ホテルの側から行くと丁度反対側になるわけで、ものの5分も歩かないうちについてしまった。

そして、こちら側からは遊歩道もきちんと整備されていて実に行きやすかったが、現物は実に奇怪なものであった。

地中に大きな穴が開いていた。

そこに海の波が押し寄せているのが上から見えるではないか。

この土地が伊豆半島の西側に面しているので、この天窓の大穴の海の方向が当然西になり、陸側が東になるが、西側から大きな波が洞穴の中まで押し寄せており、入り口から光も差し込んでいた。

近くにあった説明板には、この地下の海には入り口が3つあって、2つが西側にあり、東側に1つあるとなっていた。

波が静かならばこの中まで観光船が入ってくるということだが、確かにそれだけのスペースはある。

この日は海側の入り口を自分の目で見ることは出来なかったが、東側は確認した。

帰り道、笹薮の細道の右手の奥の方からどうも海のさざなみの音が聞こえてくるようなので、近寄ってみたいが笹薮が崖になっているのでさっぱり状況がつかめなかった。

それで国道まで出て遠くから見てみようと思って、国道まで出てみると、道路わきの薄汚い飲み屋の脇に下っていく細道があった。

それを下りてみると海岸に出てしまったが、その海岸というのがあの天窓の洞窟を通過した波が押し寄せている海岸であった。

当然、入り口というか、そこには大きな洞窟の横穴があいていた。

要するに、海によって侵食された大きな空間に、入り口が3つ出来たというわけだ。

インターネットで西伊豆町のホームページを調べてみると、この土地は白色凝灰岩という岩で出来ており、それが海の浸食を受けてあのような洞窟が出来たということであるが、この洞窟の中にはまだ余り人に知られていない観光化されていない未知の洞窟があるらしい。

しかし、自然の力というのは実に恐ろしいものがある。

一頃、洞窟探検が流行ったことがあるが、まさに格好のフィールドだと思う。

こういう自然の造形には実に興味惹かれるものがある。

その意味で、以前行ったアメリカの大自然をこの目で見たということは、私の人生にとって非常に意義のあるものであった。

私にとって旅する意味はこういうところにある。

そういう意味で、日本国内でもまだまだ見てみたいものは沢山あるが、思い込んだら即実行と言うわけにも行かないところに人生の悲哀もある。

ここから帰って早速風呂に行き、夕食となり、程ほどに皆さんとお付き合いして、そうそうと寝てしまった。

夕食の時のアルコールがよく効いたとみえて朝までぐっすりと眠り込んでしまった。

 

長八美術館

 

翌日も時間的にはかなりゆとりがあって、出発は9時であったが、出発したと思ったらすぐに長八美術館というところ着いた。

この美術館は今までの私の絵の認識を一変させるものであった。

というのは、この長八は本名を入江長八という。

この松崎出身の左官職人だったということだ。

この左官職人が漆喰で素晴らしい絵を書いて、それが今でも現存しているということで、ここに展示してある絵というのは筆で書いたものではなく、総てコテ、左官屋さんが壁を塗るときに使うコテで描かれているということだ。

油絵の号数で言えば10号ぐらいの作品が展示してあったが、それはどう見ても油絵、乃至は日本画という感じにしか見えないが、そうではなく、その総てが漆喰を材料とした作品で、総てコテで描かれているというのには驚いた。

長八という人は、壁を塗る左官の延長線上に、それを芸術の域にまで上げたということだと思う。

ところが、日本という風土は、恐らくそれを芸術とまでは認めないだろうと思う。

ある意味で、それは技術の領域だと見なして、芸術とは一線を画すに違いない。

しかし、その出来栄えは実に素晴らしいものがある。

小さな美術館であったが、その建物のモダンさもなんだか場違いな感じさえする。

辺鄙な漁村・漁港にはあまりにもモダンすぎる。

しかし、長八という人の残した作品の精密さにはいささか驚いたものだ。

ここを出発したら後はバスに身体を委ねるだけで、何処をどう走ったか皆目判らない。

ただガイドがしきりに河津サクラのことを言っていたが、今は時期はずれなのでなんとも致し方ない。

それでバスは下田街道を北上していたようだが、これは別名、踊り子ラインというらしい。

言わずと知れた川端康成の「伊豆の踊り子」にちなんで命名されたらしいが、道中東洋一のループ橋というもの通過した。

確かに東洋一だろうと思う。

何時出来たかは知らないが、ループが2重になっているではないか。

下から見ると橋脚が2階建てになっており、360度を二回まわっているのだからまさしく東洋一だろうと思う。

同じようなものは美濃白鳥の油坂峠にもあるが、あそこのものも立派だが一重でしかない。

 

浄蓮の滝

 

これを過ぎて下り坂になると大きな土産物屋というか、バス・ストップというか、サービス・エリアというか、そこに着いて、ここで昼食となった。

例によって既に膳はセント済みで、食べるだけに段取りが出来ていた。

ところがここが例の「浄蓮の滝」であった。

あの石川さゆりの「天城越え」の歌に出てくる滝であるが、この文章を書くにあたって古い地図を調べてみると、「浄蓮の滝」などというものはあまり詳しく掲示されていなくて、極控えめな表示しかされていない。

私の推測では、あの石川さゆりの歌がヒットしたからここに大きなサービス・エリアが出現したのではなかろうか。

滝はこの店の裏から細く長い階段を川底まで降りていくと、正面にとうとうと水が滴り落ちていたが、滝は何処までいっても滝であって、下から上に水が上がっている訳ではない。

滝の幅も落差もそう驚くほどものものではないが、どのインターネットを調べても、一応名漠となっている。

私の推測を裏つけるように、滝の前には石川さゆりのポートレイトと楽譜つきの歌詞がレリーフとして出来ており、それは相当の年月の経っていることを示していた。

滝の両側にはシダが生い茂っていたが、このシダについて付近にあった古ぼけた説明板にはかなり詳しく記載されていた。

要するに、このシダは日本ではこの地が北限で、「ジョウレンシダ」ともいい、「ハイコモチシダ」とも言われて、その繁殖の仕方がどうも特異のようだ。

普通、シダは胞子で繁殖するが、これは無性芽というものが出て、それでも繁殖すると書かれていた。

ところが、この無性芽というものが判らない。

それで引き続きインターネットで調べてみると、胞子というのは雄と雌で受精して胞子を作って増殖するが、無性芽というのは雄は雄の固体を作り、雌は雌の固体を作るというものらしい。

まあ世の中には難しいことがいくらでもあるようで、いちいち詮索していては夜も眠れなくなるので、この辺りでやめておく。

この滝には女郎雲のまつわる伝説もあるらしい。

だからあの石川さゆりの歌の冒頭にああいう形で出てきたのかもしれない。

ここを出発したら後は沼津インターの手前でもう一度休憩を取り、そこで各自お土産を整え後は一路家路のみであった。

 

 

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