050514    徳川縁

徳川園

先日(平成17年5月8日)、ふらっと徳川園に行ってみた。

徳川美術館は数年前にも見に来たことがあるが、その時には結婚式場の裏のほうで何か工事をしていた。

この徳川園も様々な改良工事がなされているようで、あの正門と正面の美術館の位置には大きな変更はなかったが、その他の部分は大きく変わってしまっていた。

私がまだ高校生の頃は、あの門を入った左側には結婚式場があって、その玄関前の玉砂利の上では結婚式の記念撮影をする光景が見られたものだが、今はその木造の建物は見当たらない。

かわりに観仙楼という見た目にも高そうなレストランに様変わりしていた。

正面の美術館も位置こそ変っていないが、大分、大きな改修工事が行なわれたようで、以前は南側の道路に向いたところが美術館の入り口になっていたように記憶している。

数年前きた時には今の蓬左文庫のある西側はボタン園になっていたはずだが、今はそのところが奇麗に整備されて近代的な遊歩道に変わっていた。

今回は車できたので、止めるところを探すのに一回りしてしまったが、結局、美術館の駐車場に入れることになった。

美術館の元の入り口前の空間であったが、ここに車を止めると再度外に出て、外の道路を通って西側正面の黒門から入らねばならなかった。

この道路に面したあたりの風情は全く昔と変っていないが、それでも西側の黒門の辺りには大型バス用の駐車場が出来たりして、細部には様々な改修工事が加えられている。

正面の黒門から入って突き当りが美術館になっていたので早速そこに行ってみると、この日は源氏物語展を開催していた。

源氏物語は日本最古の現存する絵巻物ということで、何人もの方が複製を試みられているようで、それらの解説が記されていたが、私はそういう古いものにはさほど興味がないので、通り一遍の閲覧しかしなかったが、興味あるものにとっては尽きることのない好奇心を掻きたてられたに違いない。

この絵巻物に書かれている絵というのは、錦絵とか大津絵のように、対象を明確にかたどりして、それに色彩がつけられているが、この輪郭の線と色彩のマッチの仕方が何か日本独特の表現方法のような気がしてならなかった。

当然、原本の方は色はかすれ、輪郭も崩れ、時代を感じさせるに十分な貫禄を示している。

だからこそ、それを原本に近い形で表現しようという試みがなされているのだろうと推察する。

美術館の中に入って、順路を辿って進んでいくと、知らぬ間に蓬左文庫の建物に入ってしまい、なおも進むと知らぬ間に旧館のほうにも入っていってしまう。

途中、旧館の玄関というのがあったが、この旧館が何時頃のものか知る由もないが、こういう古い建物はまさしく明治村にでも持っていても良さそうに思える。

想像するに、恐らく明治の後半ぐらいのものではないかと思うが、こういうものは如何にも建物がしっかり出来ていて、贅を尽くしたということが窺い知ることができる。

流石、徳川家というだけあるように思われる。

この美術館、そういう意味で新旧が上手くマッチしており、新しいものと古いものが上手に組み合わさっているので、違和感を感じさせない。

私が高校生の頃は旧館しかなかったように記憶している。

その頃といえば、結婚式場の裏はみすぼらしい木立になっていて、沼と、高低のある小山には雑木が鬱そうと茂っていたように記憶している。

木漏れ日の中で、その汚らしい沼というか池というか薄汚い水辺にはカメが居たりしたものだ。

落ち葉の坂道を自転車に乗って散策というか徘徊というか、仲間同士で語り合った青春の一こまの場所だ。

ところが今回来てみると、そこは見事に様変わりしていて、実に立派な公園になっていた。

昔は、真ん中に池というか沼があって、周囲が小山になっていたが、今では見事に近代化された公園に様変わりしてしまった。

遊歩道に沿って歩くと、滝あり、川あり、池あり、池には鯉が放たれ、水辺にはアヤメがアレンジにされ、総ての造作が真新しいので、近代的ということが尚のこと強調されている。

以前は結婚式場の前にあったボタン園は、この公園の北西角に引越しをしていた。

ボタンを鑑賞するにはしょうしょう時機を逸しており既に遅かった

 

 

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