050507JRの事故、その後の考察
何度も申し上げますが、107人もの犠牲者を出した今回の事故に関連して犠牲差の方々には心よりお悔やみ申し上げます。
ところが今回の事故もあくまでも事故だということを我々は真摯に受け止めなければならないと思います。
亡くなられた若い運転手の方は、なにも事故を起こす気で起こしたわけではないと思います。
前の駅で少々ミスったので、それを挽回しようと真面目な気持ちで焦ったことが事故を引き起こしたと考えられますが、この世の中のあらゆる事故と称するものは、当事者が起こすつもりで起こしたものは一つもないと思います。
その後に起きた
まさしく「注意一秒、怪我一生」ということだと思いますが、大量輸送機関に携わっておられる方々は常にこういう危険と隣りあわせで仕事をされていると思います。
過密ダイヤが原因だとも列車制御装置が古かったとも言われていますが、それはあくまでも遠因であって、今まで事故が無かったことは大部分の運転手が運良く綱渡りをこなしていたからだと思います。
運で安全が保たれるようではかなわないと思うが、人が機械を操作している以上、仮に一時間に一本のダイヤでも、一日に一本のダイヤでも、起きるときには起き、人間の叡智では計り知れない魔の刺すこと、まさしく運命とか、天命としか言い様のないことが、この世の中には存在していると思います。
30kmのスピードオーバーなどということは東名、名神の高速道路では日常茶飯事で、当然それによる事故も多発しており、犠牲者の数がこれほど多くないのでありきたりの交通事故として処理されて目立たないが、運さえ良ければそれで何事もなく通ってしまっているのが通常の社会だと思います。
JR西日本の事故も、運が悪くなければ、今まで通り安全で便利な交通機関として人々は何の疑いもなく安心して使っていたものと思う。
問題は事故の遠因としてのそういう要因を掘り下げてつぶしていかなければならないことは云うまでもないが、その要因をいくら改善しても起きるときには起きると思います。それが事故というものだと思います。
だとすれが事故に遭遇するということは運命と見なさなければならない。
運が良ければ綱渡りのような芸当も何の不安感もなく見逃され、運が悪ければこういう悲惨な事故になるということは、人間の予知をはるかに越えた天命ではないかと思います。
同じ事故に遭遇しても、助かった人と助からなかった人がいるわけで、これは運命としか説明のしようがないと思う。
だが事故後の対応は、人間の叡智・英知・理知・理性が大きく作用する場であり、関係者の人間性が大きく問われる場であります。
あの事故で、下り急行(?)列車が踏み切りの手前100mで止まって、2重事故を未然に防いだということはもっともっと賞賛されてもいいと思うが、報道のされ方が少なすぎると思います。