050428 列車事故
JR日日本、福知山線の脱線事故は実に痛ましい事件である。
事故が起きると「安全」が急にクローズアップされるのが常であるが、事故が起きなければ誰も「安全」ということに関心を示してくれない。
今回の事故でもまだはっきりと言い切るわけにはいかないが、1分30秒の遅れを取り戻そうとした事故と思えてならない。
運転手が自分のミスで1分30秒の遅れを出したとなれば、会社から叱責されるので、それを免れたいという心理が働いたと考えられるが、会社は何故遅れを出した運転手を叱責するのかといえば、乗客のクレームを回避するためである。
定時運行は乗客サービスの第一歩だ、という認識が会社側にも乗客の側にもあって、1分でも遅れると乗客が会社側に詰め寄るので、会社側も定時運行を運転手に強要するというパターンだと思う。
その中で「安全」ということは会社側も乗客の側も完全に忘れているわけで、事故が起きて始めて「安全」の事を思い出すということだと思う。
話は飛躍するが、毎日のメデイアの報ずる自動車事故というのは実にさまざま形態があり、何人もの犠牲者と加害者が出ているが、その中でゴールド免許、つまり5年間、無事故無違反というのは非常に貴重な実績だと思う。
運転者が安全に非常に気を配っているからこそ達成できる実績だと思うが、世間では誰もそれを正当に評価していないと思う。
「安全」で当たり前ということは言えているが、当たり前のことが当たり前に行なわれないから事故が起きるわけで、そのことから考えれば当たり前のことを当たり前に実行するということは非常に評価すべきことだと思う。
当たり前のことを当たり前にしている人がいる一方で、片一方では重大事故を起こして、大勢の人に迷惑を掛け、無駄な金を使い、生命を奪うような行為が起きていることを思えば、5年間も無事故無違反という事績はもっともっと評価してもいいのではないかと思う。
「安全」ということは実に地味な行為で、重大事故に繋がりそうなことを事前に予防したとしても、事故が起きない以上、それは全く評価されず、「ああそうか!ごくろうさん!」で終われば良い方で、「いちいち細かいことを言ってくるな!」と言われかねない。
「安全」というのは口でいうのは優しいが実に奥が深いことである。
事故が起きたとき始めて話題に上るが、起きなければ全く話題にもならないことである。