着物について 03・09・18
日本の伝統的な織物、西陣織の衰退を嘆いておられ人は多いと思いますが、私も日本古来の織物の衰退には憂いております。
しかし、我々はここで伝統とか古来の文化と称するものを真摯に見直さなければならないと思います。
日本古来の着物の高価さといったらないわけで、着物が40万50万ではユニクロに太刀打ちできないのも当然だと思います。
我々の世代ですとまだかすかに母親などが一人で着物を着る光景というものを瞼に描けますが、着物が一人で着れないでは実用の域を出てしまっていると思います。
まして着付けの学校に行かなければ着物が着れないでは、洋装に押されるのもむべなるかなだと思います。
そして日本の文化というのは実用品に華美な装飾をすることで成り立っているような気がしてなりません。
実用品に華麗な装飾を施せば、ますます実用から遠ざかってしまいます。
以前、徳川美術館で見た乗馬の鞍の話を書きましたが、鞍という乗馬のための道具が、日本とアメリカであのように相違があるというのは一体どういうことなのでしょう。
まさしく和服と洋服の違いそのものだと思います。
輪かんじきとスキーの違いそのものだと思います。
一方、今日の日本では、好むと好まざると、合理主義でなければ生活が成り立ちませんが、そういう中でこそ非実用的な着物の存在価値があると思います。
それこそ究極の贅沢だと思います。
要はTPOだと思いますが、くつろいだ時の着物姿というのは懐かしいものです。
とはいうものの着物があれほど高価では、臍だしルックにかなわないのも至極当然だと思います。
高価さの裏には人件費があることは理解できますが、こういう産業は遅かれ早かれ淘汰されるのも世の流れかと思います。