カールビンソン 05・03・25
Minesanのミニミニ時評
4月12日(平成16年)、土曜日、民放テレビで日高義樹の「ワシントン・リポート」という番組を見た。
日高義樹がアメリカ原子力空母「カールビンソン」を取材した番組である。
イラクでは最後の詰めの戦闘が行われているが、このドキュメンタリーを見る限り、アメリカに勝てる民族は、この地球上には存在しないのではないかと思う。
彼らは実に良く働く。
9万トンの空母の中で、男も女も過酷な訓練、熾烈な労働を12、3時間も続けているのを見ると、世界最強の軍隊は世界最強の人々によって成り立っていることが実感として理解できる。
そして彼らは嬉々として自らのミッションに携わっており、そのミッションそのものが、ハイテク機器を酷使したもので、イラクの戦場でも恐らくあれと同じことが起きているに違いない。
1日に5回6回も神頼みのお祈りをしている民族が束なってかかっても勝ち目はない。
今のアメリカは徴兵制ではないので、質の高い要員を確保できているのかもしれないが、彼らは男も女もじつにたくましく、果敢に自らの任務を遂行している。
空母、航空母艦に女性兵士がいること自体私には大いなる驚きであり、今回のイラク戦争でも女性兵士が捕虜になるほど前線に配置され、それをまた救い出したというのだから驚きである。
自国民を空爆の盾にするような為政者とは人間の本質が違っていると思う。
動物界を見ると、犬の仲間ではセントバーナードからチワワまで、猫の世界ならばシャムネコからペルシャ猫等々、多種多様な種類があることから見てもわかるように、人間もアフリカのマサイ族から南洋のポリネシア人、アメリカ先住民のナバホ族からインデイオまで多種多様である。
であるとするならば、地球上の種としての人間の中には、本質的に近代的な民主的政治を受け入れることの出来ない民族があったとしても何ら不思議ではない。
結論としては、砂漠のべドウインに近代的な民主政治を望むこと自体が無意味なことで、彼らが近代文明に対してテロを仕掛けることさえ封じ込めれば、彼らに近代的な民主政治を押し付けることは不要と思わなければならない。
彼らは彼らで勝手に殺し合いをさせておけばいいと思う。
スンニ派だとか、シーア派だとか、クルド族など我々には関係のない存在と考えるべきだ。
近代化した世界とは別の世界を彼らに与え、お互いに住み分けるべきだと思う。
そのためには、かっての我々が刀狩をしたように、銃器狩りを先行させるべきだ。
野蛮人が武器さえ手にしなければ、我々はテロを恐れることなく枕を高くして眠れる。
べドウインの駱駝がトヨタの車に変ったところで、べドウインはべドウインでしかない。
べドウインとアメリカでは何一つ共通点がないわけで、同じテーブルにつくことさえできず、価値観は180度違っており、同じ土俵に乗ることさえ不可能だと思う。
べドウインにはべドウイン誕生以来何千年という砂漠の中で生きた歴史があり、それは根本的に近代文明とは相容れないものである。
9・11事件というのはべドウインの一部が西洋、特にキリスト教文化としての近代文明を知ったために、それに嫉妬するあまり、そのキリスト教文化の象徴としてのWTCとハイテク旅客機を使って反逆を試みた図だと考える。
テロを聖戦と言い包めるあたりは、べドウインの価値観でしかないではないか。
我々の側から見ればテロ以外のなにものでもないものが、彼らの側から見れば聖戦となり、正義の名で行われているではないか。
この二つの相容れない価値観はどこまで行っても交差する事のない平行線だと思う。
彼らに民主主義を教えようということは、成熟した近代文明社会、および近代民主主義国家の思い上がりもはなはだしいわけで、我々は謙虚に彼らの言い分を聞き、彼らのテリトリー、彼らの価値観を犯さないようにすべきである。
それには近代化したもの、つまり文明の利器というものを徹底的に彼らの手から遠ざけ、渡さないようにすべきだと思う。
テレビも、ラジオも、コンピューターも、飛行機も、車も、銃器も、キリスト教文化圏のあらゆる物を彼らから取り上げるべきだと思う。
彼らを太古の世界に逆戻りさせるべきだと思う。
空母「カールビンソン」は、彼らを民族ごと根絶、殲滅、撲滅、皆殺しにするという仕事は出来るが、彼らに民主主義を教えるという仕事は恐らく出来ないであろう。
犬に例えれば、セントバーナードはチワワを一口でかみ殺すことは出来るが、チワワにセントバーナードと同じ生き様を要求しても、それは叶わないのと同じだと思う。