2005・3・19 雨の東名高速
3月17日、孫が幼稚園を卒業するということで、その姿を爺婆も見てやってくれという要望があったので、のこのこと
名古屋から一日掛けて先方に着けばいいと思い、心の内はおおらかな気持ちでいた。
今回は、そういうゆとりの気持ちがあったので車で出かけることにしたが、出掛けから雨が降り出した。
車ならば雨でもたいした支障はないだろう、と安易に構えていたが、気候の変わり目で、雨というよりも霧がかかって、非常に視界が悪かった。
特に、
まるで墨絵の中を走っているようなもので、前方にかすかに車の輪郭が判別できるような状態で、非常に走りつらかった。
トラックを追い越すときなど、まるで洗車機の中を潜り抜けるような感じがして、かなり神経を使った。
昼間にもかかわらず、ヘッドライトもフォッグランプも全部点灯したが、それで視界がよくなるというわけでもない。
隣のシートにいる家内も、それなりに注意を払っているつもりなのであろうが、やれ「近づきすぎた」だの、「前に車がいる」など、「車間距離をとれ」など、「スピードを落とせ」など、喧しくて仕方がない。
静かだなと思ったらもう居眠りをしていたりして、のんきなものだ。
起きているときはさんざんわめき散らしておいて、さっさと居眠りをするということは、私の運転を多少とも信用しているということだろうか。
雨で視界が悪く、スピードも必然的に100km以下にせざるを得ず、安全運転に努めていたが、神経を使っていた分、疲労も激しかった。
先方に着いたらどうにも一眠りしたくなってしまった。1時間ぐらい寝たら気分もすっきりとした。
昭和47・8年頃、まだミニカ70に乗っていたとき、これと同じ経験をしたことがある。
伊豆半島にある会社の保養施設、伊東山荘に、まだ幼かった子供を連れて家族全員で出かけたが、道中雨に降られっぱなしで、路上は川のように水が溢れており、篠つく雨の中でトラックが路肩に停車したりしていたが、私のミニカ70(排気量360cc、空冷エンジン)はとぼとぼとその雨の中を走りきり、沼津まで無事走ってしまった。
当時、開通してまだ2・3年しか経っていない東名高速は、高速走行に不慣れなドライバーが多く、追い越し車線を右側ウインカーを出しっぱなしで走る車が多かった。
帰りは翌日(18日)昼頃にあちらを出て,陽のあるうちに帰り着きたいと思いながらも、ゆっくり走るつもりでいたが、この日は正に上天気で、富士山も奇麗に見えた。
ところが、あまりの上天気というのもまぶしすぎて私にとってはいささか運転しづらい面がある。
高速道路には信号がないので比較的楽であるが、普通の道路ではあまり天気がいいと、この信号が非常に見づらく、特に正面から射す西日がいけない。
いづれにしても経年変化で、加齢と共に車の運転ということもだんだんしづらくなってきている。
こういう時にはなんとなく自分の年を意識せざるを得ない。