鞍とスキー
先日、徳川美術館で馬に乗る時の鞍を見た。
江戸時代の殿様が乗る馬につける鞍であろう、漆塗りの黒い立派な鞍で、鞍と対になっている鐙(あぶみ)も同じように黒い漆塗りであった。
そこで好奇心がむらむらと湧いてきた。
馬に乗る道具としての鞍がどうして日本と西洋、特に西部劇に出てくるものとこうも違うのか不思議な気がした。
日本では道具としての鞍に何ゆえにああも凝った装飾を施すのか。
西部劇に出てくるあの鞍は見るからに実用一点張りである。
この違いは一体何なのであろう。
馬に乗るという目的は同じなはずであるが、片一方はオーバー・デコレーションで、片一方は実用一点張りである。
この違いには当然農耕民族における馬の捉え方と狩猟民族の馬に対する捉え方の違いがあると思う。
これと同じ発想の違いは、雪の上を移動する道具にも如実に現れている。
西洋では雪の上を速やかに移動しようという願望のもとにスキーというものが生まれた。
ところが同じ願望のもとで、我々の発想は「輪かんじき」というものになった。
この違いはやはり農耕民族と狩猟民族の潜在意識の違いで、それはスピードというものに対する認識の違いではないかと思う。
以上、Minesanのミニ比較文化論です