USJ 04・12・14

USJの1日

 

遅ればせながら大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行ってきました。04(平成16年)・12・14

私自身はあまり気乗りがせず、家内にせつかれてしぶしぶ腰を上げたという感じでいってきたが、やはり自ら好奇心一杯で出かけたわけではないので、そう感激するほどのものではなかった。

東京のデイズ二ー・ランドに対抗して、大阪にもユニバーサル映画を主体とした一大エンターテイメントの殿堂を作ろう、という意気込みで出来たものであろうが、時の経過と、季節的にも冬の到来ということもあって、そう混雑しているという風でもなかった。

デイズニー・ランドの方は大人でも十分楽しめるという風に聞いてはいたが、ここもそういう意味では十分満足できるものであろうが、私に限っていえば、元々がひねくれ者なので、その狙うところが十分にマッチしなかっただけのことだと思う。

私はどういうものかあまり関西方面には関心が薄く、自分が住んでいるところよりも西のほうは全く地理不案内で、大阪なども64年の人生の中でほんの2,3回程度しかきたことがない。

それで新幹線を大阪でおり、JRを乗り継いで西9条までいき、そこからユニバーサル・シテイー行きの電車に乗ったが、この電車がどういうわけかまるでサイケデリック調のなんとも奇妙奇天烈な塗装がしてあった。

最近、公営、私営を問わず公共交通機関の電車、バスの塗装がどういうものか広告塔に早変わりしたような感がする。

落書きで一杯のバスや、全体を丸ごと広告にした電車を見かけるが、これはどういう傾向なのであろう。

飛行機までも漫画を描いた機体まで運行する始末で、我々のように感覚的に、旧石器時代の人間では考えも及ばない状況になっている。

そのサイケデリック調の電車でわずか2区だったと思うが、それでもうユニバーサル・スタジオ・ジャパンの入り口についてしまった。

ここまで来て思ったのだが、この遊園地というのは自治体と、企業が一緒になって、この巨大な遊園地を運営しているようだが、まさしく平和産業の最たるもので、人々に金を払っていくばくかの喜びを与える産業ではないかと。

駅から遊園地の入り口まで約300mほどの間は門前市をなすという状況で、みやげ物やら飲食店やら、ちょっとした盛り場の情況を呈していた。

駅を下りてすぐのところに日航ホテルがあって、家内はここで予約の確認をしてから、園内の入り口に向かった。

入り口を入って、うろうろ、右を見たり左を見たりして奥のほうに進むと、街中でデイスコ・ダンスをしている光景にぶつかった。

若いスタイルのいい女性が5・6人、デイスコ・ミュージックに乗って、踊っていたが、こういう光景は好きだ。

天気は最高に良く、澄み切った青空の下で、デイスコ・サウンドとダンスというのは健康そのものだと思う。デイスコというと、盛り場の薄暗いところでひといきとタバコの煙でもうもうとした中での、なんとなくエロチックな開放感で酔いしれるというイメージが強いが、本当はこういう健康的なもののほうがいい。

中の女性の一人はアフロ・ヘアであったが、これは当然、鬘(かつら)であろう。

この光景を見るとあの「天使にラブソング」という映画でウービー・コールドバーグが、キャバレーの踊り子をしているシーンを思い出す。

出番が終って、そのアフロ・ヘアの鬘を脱ぐシーンを思い出した。

踊っている女性たちが果たして日本人かどうかは定かにわからない、

なにしろ全員スタイルは抜群に洗練されており、背も高いし、身のこなしも日本人離れしていたので、あるいはアメリカから遠征してきている人たちかも知れない。

ここを過ぎてもう少し奥に入ると、こんどはゴスペル・ソングを歌っている4人組にであった。

この4人のゴスペラーはおそろいの紅いベルベットのマントを着ていたが、時節柄クリスマスソングを歌っていた。

このグループは何度も同じところで演奏していたので帰りにもまた見ることがで来た。

家内は「ウオーター・ワールド」なるものが見たいということをしきりに言うので、最初にそこに向かって足を運んだが、これは遊園地の一番奥にあった。

奥に行くに従い、だんだんと戦後に戻ったような雰囲気になって、行き着いたところはまるで戦後のバラック立ての建物の世界ではないか。

名古屋の金山駅が近代化する前に、電車の窓から見えたあの赤茶けたバラクの建物、はたまた明和高校の前の堀端を走っていた瀬戸電の窓から見えたバラック住宅の光景と全く同じではないか。

破れたトタンをつなぎ合わせた掘っ立て小屋の大きなものが出現したではないか。

中にはいってみると、正面にはこの破れたトタン板でできた要塞と思しき舞台装置があり、後方は野球場の観覧席のようなスタンドになっていた。

席に座るとすぐにショーが始まったが、前口上の長いことといったらない。

しかも観客に向かって水を掛けるところなどは、客をショウの演出に引き込む新しい手法であろうが、最近のテレビにもよく使われている手法ではある。

ショウの流れとしては環境破壊が極限に足した地球上で、陸地が水没して水の世界になってしまったが、そこに陸地を見つけた女性が帰ってきて、そこに移り住もうというわけだが、それを悪漢達が横取りしようというストーリーである。

これがどういう映画から来たストーリかは定かにわからない。

陸地のない水の世界という設定なものだから水上スキーやプロペラ船や、モーター・ボートが大活躍するわけで、世紀末の世界で派手なアクションを演出するため、ふんだんに花火や火薬が使われているらしい。

その上、音で効果を高めようと音響効果も並大抵のものではないと想像する。

最後には飛行機まで観客に向けて打ち出されて演出効果を高めているが、65歳の爺さんでは、その演出に逆に気持ちが醒めてしまって、出るのは苦笑いだけであった。

映画のスタントを観客に見せるという設定であろうが、こういうSFがかった物は、私はあまり好きになれない。

人間が無理やり脳みそで考えたシナリオは、どうしても自然の摂理を超えることができないわけで、不自然さが目に付いて仕方がない。

総てのエンターテイメント、芝居でも、演劇でも、映画でも、テレビドラマでも人間が人間の脳の中で考えて作り上げているが、その中でもサイエンス・フイックションというのは、無理に無理を重ねているような気がしてならない。

まだ人情話というのならば、人間の心のうちを表現するのだから、理解しやすい部分があるが、サイエンス・フイックションとなると雲を掴むような話に、更に人間の作為が入り込んでその虚偽性が計り知れないので私はあまり好きになれない。

それから映画「ジョーンズ」という鮫の登場する映画のシーンを再現するところに行った。

ここはボートに乗って、船頭兼ガイドが演者もかねており、ボートのハンドルを取りながら、左右に鮫が現れると銃で撃ったりして、観客を楽しませ、最後にあの「ジョーンズ」が大口を開けて観客のボートに向かって進んでくるという趣向であった。

大きなボートほどもある鮫が、大きな口を開けて観客を飲み込むが如く迫ってくる光景は、小さな子供ならばきっと胆を潰すに違いない。

これを見た後、パンフレットとショウの時間割を見比べて次に興行をするところにいったら、これがモンスターライブ・ロックンロール・ショウとなつていたが、これはまるで劇場のようなところに案内されたわりには出し物は面白くなかった。

それからファイアー・バランスというものを見たが、これは消防士の映画のセットで、撮影にまつわるエピソードとその撮影現場の再現という趣旨であった。

化学工場の火災現場という設定で、ドラム缶が燃えたり、階上の高いところから火花が落ちたりと、ここも火薬と花火が大活躍である。

そこにもってきて大音響で恐怖艦をそそるという趣向である。

最後に観客の乗っている足場が火災で崩れ落ちるという設定で10cmぐらいドスンと落ちて終わりとなる。私はこういう手の込んだ演出というのはあまり好きになれない。

それよりもやはり音楽がいい。

薄暗い劇場の中でロックンロール・ショウを見て外に出たら、その街角では蒼空の下でオールデイーズのロックンロール・ショウをやっていた。

こちらのほうがどれだけいいか知れない。

こちらではオールデイーズと名乗るだけあって1960年代の風俗、つまり男はリーゼントというヘアスタイル、女性は落下傘スタイルというフレアー・スカートといういでたちでロックンロールをしていたが、時間があまりなく、すぐに終わってしまった。

こちらのほうを見ていればよかったと思った。

それから園内のアメリカ、ニューヨークの雰囲気の広場ではトラックの上でラップを歌っている三人の若者がいた。

このニューヨークの雰囲気というのは実に上手く再現されていて、小物として備えられていたトラックも荷台の煽りを全部取っ払ったままで、如何にもアメリカという雰囲気がよく出ていた。

この広場には大きなクリスマスツリーが出来ていて、17:30に電飾が点灯するということで、その時間まで待ってそれを見た。

それはそれなりに美しかった。

この点灯を見終えてからホテルに戻ったが、この日は一日中歩き回った所為か、夕食を済ませたら一気に眠くなってしまって、折角入ろうと思っていた展望風呂にも入りそこねて、そのまま翌朝まで眠りこけてしまった。

 

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