出初式  04・01・11

   平成16年度
名古屋市消防出初式

 

 

 

会社に配布されてきた名古屋市の広報によって1月11日に名古屋市の出初式が行なわれることを知った。

場所は名古屋港のガーデン埠頭ということで出かけてみることにした。

この名古屋港というのは我が家から非常に便利になって、一度地下鉄を乗り換えるだけで行ってしまうので、まことにありがたい。

当日は朝寝坊してしまって、出かけるのが億劫に思ったが、年初から挫折していては一年間ろくな事がないだろう、と思い直して出かけた。

天気はすこぶる上等であったが少々風があった。

地下鉄の名古屋港駅で下り、地上に出るともうあたりは消防の職員が交通整理と案内にいっぱい出ていた。

会場はポートビルの東側にセットされており、もう既に名古屋市長の挨拶が始まっていた。

その他の来賓の挨拶が終わるとすぐに各消防分隊の分列行進が開始されたが、これを見たとき真っ先になんともいえぬ違和感を感じた。

以前より感じてはいたが、この消防の礼式というか教練というのは軍隊のそれと大いに異なっているので、私にとっては違和感が拭い去れない。

仮に、かっての日本軍、帝国陸軍乃至は帝国海軍の礼式や教練と較べても、かなり異なっているような気がしてならない。

当然、自衛隊のものとも違っているわけで、私の受けた感じからするとなんとなく様にな

っていないような気がしてならない。

最近、イラクに自衛隊を派遣する問題に関連した報道の中で、度々テレビの映像に登場する陸上自衛隊の行進の光景とも違っている。

昔、同じ職場の中に消防署員を経験した先輩がいて、彼が披露した消防体操というのは全く異質なもので驚いた事がある。

ラジオ体操や自衛隊体操というのは手足を素直に揃えて、上げたり伸ばしたりするが、消防体操というのは、左右の動きが非対称で、大いに面食らった事が記憶の中に残っている。

戦後の日本の学校教育の中では、教練とか礼節.礼式いうものが全く考えられていないので、団体としての行動の規範というものが国民的規模で消滅している。

こういう現状から鑑みれば、そういうものに対する違和感も致し方ない。

例えば、夏の高校野球の甲子園での入場行進などを見ても、選手たちは入場に際して一つの団体としての行動、行進という発想そのものがないわけで、前のものに続いて歩けくだけで、歩く姿そのものの、団体としての行動そのものを美しく見せなければ、という発想は微塵も感じられない。

その対極にあったのが昔のヒットラーの率いる軍隊の行進で、これは文字通り一糸乱れぬ団体行動であった。

21世紀に生きる現代人に、あれと同じものを求める気はないが、分列行進というものや、団体としての礼節というようなものを考えてみる必要はあるのではなかろうか。

戦後50年以上経過した我々でも、団体行動をしなければならない時と場合は日常生活の中にも往々にしてあるわけで、その祭、挙手の敬礼も、敬礼に対する答礼も、旗手の礼法も全く知らないでは様にならないように思う。

例えば、町内会の運動会でも入場行進しようとすれば既に団体行動としての礼法というものが必要になってくるわけで、今学校教育ではそういうものが全く無視されているが、これではいけないのではなかろうか。

国旗掲揚でも、関係者以外のものは「何を馬鹿なことをしている」という感じの無関心でいていいものだろうか。

国旗掲揚だとて、卒業式や入学式だけではなく、昨今ではスポーツのイベントでも国旗掲揚が行なわれるし、入場行進という団体としての行動の場はあるわけで、その時でも全く予備知識というか、団体としての礼法というものを知らないでは済まされないと思う。

ただなんとなく立ってみたり、人が立つから立上がってみたり、前の人に何となくくっついて歩くだけで、何となくうやむやのうちに終わってしまうようではいけないと思う。

それと同時に、団体として集合した人々の前に立たねばならない時と場合も日常生活の中では往々にしてある。

町内会の運動会でも、地域の防災訓練でも、長という立場の人は往々にして壇上に立たねばならないが、その時にきちんとした礼法に則った答礼が出来るかということである。

ただなんとなく帽子を被ったまま頭を下げていれば、誰も不満を言うものがいないので、そのまま終わってしまっているのが現状ではないかと思う。

それよりもその場にいる全員が団体行動、団体としての礼節、団体を率いるものの礼節というものを全く知らないので、そこに何も違和感を感じない事の方が危機的な状況だと思う。

戦後の民主教育の中で、礼節ということを古い封建的な思考と決め付けて、ことごとく排除してきたのが、戦後の日本人ではなかったかと思う。

それで、この消防隊員の分列行進を見ていると、まるで甲子園大会に入場する高校生と同じレベルである。

名古屋祭りのパレードの行進の方がまだ訓練されている。

恐らく基本的な分隊教練というものを受けていないのであろう。

前の人について手を振って歩いているというだけである。

旗手も、旗手としての誇りも名誉も何も感ずることなく、ただ上から命令されたから旗を持って歩いているというだけである。

これでは高校野球の入場行進と同じだし、オリンピックの入場行進と全く同じである。

今の、つまり21世紀に生きている日本人は、恐らくこの違和感には気がついていないのではないかと思う。

軍隊、警察、消防の行進が高校野球やオリンピックの入場行進と同じで何故いけないか、という事の本質が理解できていないと思う。

私がこの目で見て一番違和感を感じるのは、分隊行進するときに、手の指を真っすぐに伸ばしている点である。

私が自衛隊で習ったときは、手は握りこぶしにして握りしめていたが、指先を伸ばすというのは旧軍からの伝統だと思う。

我々の世代は、小学生の時の運動会の行進では、このように手の指を伸ばして振るように習ったはずである。

だからそれをそのまま引きずっているものと想像するが、我々が習った自衛隊では、握りこぶしを作って手を振ったものである。

尚、旗手の礼法は昔も今も変わらないはずであるが、これも自衛隊と較べると気の抜けたサイダーのような感じがしてならない。

気合が入っていないとでも言うのでしょうか。

この隊員たちの分列行進の後には車両の行進が続いたが、これは小さな車両から大きな車両と逐次移っていった。

これはこれで可もなく不可もなしという感じがした。

現代の消防というのは車両というものを抜きではありえないわけで、用途に合わせて種々雑多な車両を維持管理しなければならないことは理解できる。

その中で、ウニモグという車両があった。

この車の存在は世間一般にはあまり知られていないのではないかと思う。

スーパー・カーのような格好いい車ではなく、本当の多目的車で、多用途作業車である。だから一部のマニアでなければ知らないと思う。

ドイツ製で日本にはあまり数多くは入っていないと思う。

この車の特徴は、不整地の走破性で、消防という立場から言えば、地震で街が瓦礫の山と化したようなところでもどんどん乗り入れることが可能というところにあると思う。

その他の車両は街でよく見かけるものばかりで左程物珍しいというものではない。

梯子車なども、自衛隊のように隠匿された存在ではないので、消防署に行けばいつでも誰でも見ることの出来る代物で、左程珍しいという物ではない。

この隊員と車両の行進の間にヘリコプターが飛んできた。

しかし、消防というのは余程ひねくれた人間が多いとみえて、消防で使っているヘリコプターというのはフランス製である。

行事進行の主催者側のアナウンスによると、これが15機もあるといっていたが、この辺りにも旧内務省としての潜在意識が大きく作用しているのではないかと思う。

国政というか、行政というか、国民の生命と財産を守るというキャッチ・コピーの元に存在意義のある団体組織というのは、いうまでもなく軍隊と警察と消防ということになるが、その3組織とも戦後という時期を共有しており、それはアメリカとタイアップしなければ国そのものが生きて来れなかった。

その背景の下、軍隊、いや自衛隊というのは、アメリカ製の機器を購入、乃至はライセンス生産をして、糊塗をしのいできたわけである。

消防が諸般の事情からヘリコプターを導入しようと考えたとき、アメリカ製にしておけばその後のメンテナンスや維持管理に何かと便利なはずなのに、あえてフランス製に踏み切ったという事は、ある意味で旧内務省のくびきから逸脱しようとしたのかもしれない。

車程度ならば、実験的に変わったものを購入するという事は極普通のことだろうと思うが、ヘリコプターとなると高い買い物ではあるし、一度買ってしまえば終わりという性質のものではない。

毎年毎年その維持管理には気を配らなければならないわけで、そのたびにフランスと交渉しなければならないが、フランス語というのは英語以上に我々にはなじみがない言語のはずである。

TO(技術指令書)を読むだけでも大変なことになるのではないかと思う。

これがアメリカ製ならば、機種は違っても言葉の意味はそのまま通じるはずだが、フランス語となるとそうはいかないのではないか、と素人なりの心配するわけである。

自衛隊というのはどうしても旧日本軍のイメージを引きずりがちである。

それと同様、警察と消防は古い人間からすれば内務省をイメージしてしまう。

ヘリコプターの災害救助という事は、自衛隊の行動、つまりレスキュー活動と完全に一致しているわけで、このレスキュー活動というのは空自、海自、陸自と、3軍が夫々に訓練している。

これが同じ機種であれば人も機材も共に互換性を生み、そのことは同時に運用面でもお互いの協力がより容易になるとことは誰の目にも明らかなことである。

しかし、現実はそうなっていない。

そういう愚痴はさておいて、今日の消防というのは実に大変な業務だと思う。

昔のように、粋でいなせな火消しなどとは言っておれないものと思う。

我々の日常生活がこれだけ複雑になってくると、これに対応する消防業務というのも世の中の進化に遅れることなくついてこなければならないわけで、昨年起きた石油火災からごみ焼却炉のRDFなどという新物質の火災等を見ても、我々の考えも及ばない状況である。まして、これから確実に起きるであろうところの東海地震についても、考えただけでも空恐ろしい状況だと思う。

私も現役のときに少々消防のことに関わりあったので、その経験から察すると、今の消防というのは火を消すだけでは済まされないわけで、危険物の管理とか、新建材の特質などという研究も大いにしなければならない。

そのことは非常に高度な知識と、それについていくだけの探究心が要求されるものと思う。しかし、この消防の分野にも女性の進出というのは目覚しいものがある。

とはいうものの、尚、今後の進むべき方向としては、消防業務でも事務系の仕事はことごとく女性に任せるべきではないかと思う。

何処の、どういう組織でも、総務とか庶務という役職があるが、こういうセクションはことごとく女性に任せるべきではないかと思う。

火事場に駆けつけ、実際に体力に任せて仕事をしなければならない現場作業は男性が受け持たなければならないが、体力を伴うことのない事務系の仕事は、女性の方がきめ細やかにこなしてくれるのではないかと思う。

今はあらゆる現場作業で合理化が進んで、現場作業といっても真に体力を要するものは少なくなった。

高いところの作業は高所作業車があり、重いものを持ち上げる作業はフォーク・リフトがあり、物を運ぶことは目的に合わせて各種の自動車があるわけで、こういう合理化のおかげで本当の意味で人間の体力によらなければならない作業というのは皆無になった。

そのことは、仕事をする上で男女の性差は全く関係なくなったということになる。

そういう意味からも、消防関係にももっともっと女性の進出があってもおかしくはないと思う。

しかしながら、消防の現場作業というのは危険な仕事に変わりはないわけで、やはりそういう場面では男性が活躍すべきだとは思うし、それこそ男の誇りであり続けると思う。

そうこうしていると、会場の西側で高層ビルからの救難訓練と称する展示訓練が実施された。

会場内に駐車した大型消防車からホートビルの高いところにロープを張り渡し、それに救護者を担架に載せ、救護隊員が付き添ってロープを滑り降りるというものであった。

これこそ危険な訓練だと思う。

担架を4点で支え、それを一点で滑車に固定しているので、その水平バランスを取るのが非常に難しいのではないかと思う。

重心が偏っていれば、傾斜したロープを下りている間に患者が落ちてしまいそうに感じられた。

この訓練と平行して会場の東端では公園の休憩所の柱に同じようにワイヤーを固定して、離れた場所に救助隊員が移動する訓練が展示された。

陸上自衛隊のレインジャー訓練では同じような訓練でも自分の体と腕力だけで逆さまになって移動している映像を見るが、この場合は滑車を利用していた。

ワイヤーに滑車を下げ、それに体重をかけていたので軽々と移動していたが、高いところから低いところに移動する時はいいが、登りの時はどうするのか不思議に思った。

これらの模範訓練が終わる頃、岸壁に小型ポンプが一斉に現れて、海に向かって七色の放水を始めた。

沖合いに漂っている消防艇からも放水されていたに違いないが、それは物陰に隠れて私の位置から見ることは出来なかった。

一斉放水が出揃ったところで訓練は終了した。

天気は快晴であったが、風が少々あった。

出初式というのは真冬の寒い時期の行事で、関係者にはまことに気の毒な催しだと思う。しかし、21世紀の火消しというのも、馬鹿やチョンでは勤まらない難しいものとなりつつあるようだ。

これは消防だけではなく、あらゆる部門で、昔のように経験と感だけで事がすむ時代ではなくなってきた。

事故車からの救出訓練

 

 

 

ヘリコプターの模範演技

最後の一斉放水

 

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