観艦式   03・10・22

 

平成15年度観艦式

 

平成15年10月22日
   事前訓練
横須賀から相模湾上

 

(訓練支援艦「くろべ」)

長谷川峯生

たどり着くまで

 

今年も縁があって、富士総合火力演習というのも見ることが出来た。

これは陸上自衛隊の年一度のお祭りというと誤弊があるが、正式には一年の訓練の成果を国民の民さんと同時に自衛隊の高級幹部に披露するという趣旨ものである。

よって、その基本計画というのは陸上自衛隊富士学校が計画の全般を掌握している。

この場合、最高の視閲者は防衛庁長官である。

ところが観艦式というのは海上自衛隊の総力を視閲するという意味で、内閣総理大臣が視閲するので、規模もそれだけ大きく、ロケーションも駿河湾一帯で行われるため、規模もその分大きい。

一度これを見てみたいと思いつつ、今まで全く機会がなかった。

ところが今年は会社の先輩で、在職中から色々お世話になっている方から、この観閲式の切符を融通していただいたので、自分の目で平成15年度の観艦式の予行演習というものを目の当たりにすることが出来た。

自衛隊の演習というものは、見ようと思ってもなかなか見れるものではない。

自衛隊側も、国民へのPRの必要性を認めつつも、無制限に見学者を募るわけにも行かず、なかなかチャンスに恵まれないものである。

それで当日早い時間に観艦式の会場に出向いたはいいが、この日は運悪く朝から雨降りであった。

京浜急行を京浜田浦で下りて、駅構内から外に出ると、その出たところにもう海上自衛隊員がレインコートを着て雨の中でたっていた。

当然、この日の乗船者を迎えるためにその案内に出ていることは一目瞭然だったので、早速声をかけて案内を請うた。

駅前の歩道橋を渡って左回りに歩いていけば良いということで、その通りにいったらものの15分ぐらいで入場門のようなものに行き着いた。

そこにも5,6名の隊員がいたが、時間前だったものだから中に入れてくれない。

こちらは一分でも早く屋根の下に入りたいのに入れてくれない。

雨はしきりに降り続き、道はぬかるみ、傘は小さくて,両腕が濡れてしまっていた。

やっと時間になって入れてくれたが、ここからまた本日私が乗る「くろべ」という船まで、かなり歩かねばならなかった。

その途中にテントが4つか5つあって、そこで切符のチェックと手荷物の検査が行われていた。

私は手荷物検査には積極的に協力することにしている。

何も後ろめたいものを持っていない以上、積極的に協力した方が事がスムースに運ぶと思っているからである。

空港で行われているボデイ・チェックと同じことをされたが、疚しいことがなければ何も逃げ隠れする必要はないわけで、堂々としておればいい。

ところが、ここでも活躍しているのは女性の自衛官である。

される側からすれば、無骨な男性よりも女性の方が何となく緊張感が薄らぐのも当然なことではなかろうか。

 

訓練支援艦「くろべ」

 

この関門を潜って初めて自分の乗る船に近づけるわけであるが、手前の方には掃海艇が2隻停泊しており、その奥に訓練支援艦「くろべ」とその姉妹艦「てんりゅう」が停泊していた。

海に突き出た突堤の両側に、それぞれ係留されていた。

「くろべ」のほうは右側にあった。

両方ともタラップが懸けられていたが、このタラップを渡る時は少々揺れたが左程の恐怖感はなかった。

このタラップ、艦の丁度中ほどに懸けられており、艦に乗ると後部甲板にあたるところに案内された。

指示に従ってハッチを潜ると、そこは小さな格納庫のような広間になっていた。

床には青いビニール・シートの上に毛布が敷き詰められており、青函連絡船の3等船室のような感じであった。

青函連絡船の3等船室は床にじかにというわけではなく、一応畳みの大広間という感じがしていたものであるが、この場合はまるで水害地の避難所といった感じのほうが強い。

さもなくば、花見の席取りといった感である。

しかし、この日はこれでやった屋根の下に入れたわけで、ここで濡れた衣服を着替えた。幸い、この日は防寒衣と雨衣を用意してきていたので事なきを得た。

着替えをして落ち着いてよく周囲を見渡すと、やはりここは格納庫そのものだと判った。後ろには大きな開口部があって、シャッターが途中で止めてあった。

その向こうには黄色の飛行隊のようなものがあり、昔の映像で見たドイツのV−!ロケットのようなものが治具に固定され、それがまた船体にワイヤーで固定されていた。

その奥にももう一回り小さいロケットのようなものがあった。

この訓練支援艦「くろべ」のパンフレットによると、大きい方の飛翔体が「ファイヤビー」という標的機だそうだ。そして小さなほうは「チャッカー」とい標的機だそうだ。

要するに、この艦はこういう標的機を飛ばして、他の護衛艦の射撃の訓練に協力するという意味で、訓練支援艦と称されているようだ。

ぶっちゃけて言えば、ラジコン飛行機の大きい物と考えればよさそうだ。

隊員の説明によると機体そのものは消耗品で、飛ばして撃ち落されれば、それだけ撃ったほうの技量が向上するというものらしい。

撃った側が未熟で当たらなかった場合は、再度回収して、水洗いしてから再利用するということであった。

後ほど航行中の艦内アナウンスによると、こういう類の艦艇を持っているのは世界広しといえども日本だけらしい。

するとU・S・NAVYやROYAL・NAVYは射撃の練習をどのようにして行っているのであろう。

もっとも射撃というのは、目標を照準に合わせるまでが勝負で、そこまでに技量が必要なわけで、それ以降は弾の方が勝手に目標物に飛んで行ってくれるわけである。

射撃といっても第2次世界大戦後の軍艦というのは大砲ではなくミサイルなわけで、一度発射されれば、ミサイル自身が目標を探しながら飛んでくれるので、これはまさしく戦争の合理化そのものであろう。

昔のように照準を合わせるという動作がいらないわけだ。

それに較べると旧日本海軍の軍艦の大砲の発射というのは、大変なことでなかったかと思う。

戦前においては、巨艦主義という、大きな軍艦に大きな大砲をつけるという考え方と、飛行機に比重を置いて空母を重視した機動部隊に重点を置くべきだという論争があったと聞くが、その後の趨勢は機動部隊のほうに軍牌が上がった。

日本はこのとき巨艦主義に傾いていたので、戦艦「武蔵」とか戦艦「大和」を建造したが、これは時代の趨勢を読みきれなかった証拠である。

しかし、この巨艦の大砲で、相手に命中させるということは非常に大変なことではないかと想像する。

こちらの船も動いており、相手の船も動いているわけで、それに照準を合わせるということは想像するだけでも大変なことだと思う。

基本的には「下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる」式の域を出るものでしかない。

あの太平洋戦争中の日本海軍は、こういう戦法でアメリか海軍と戦っていたに違いない。ミサイルというものがまだこの世にないうちは、日米双方とも「下手な鉄砲」式の戦いをしていたとすると、戦いを制するものは物資の豊富さということになり、結果はその通りの軌跡を辿ったわけである。

今日の海上自衛隊が「下手な鉄砲」式の戦法から脱却できたのは、ガイデッド・ミサイルという新しい飛翔体の出現で、弾自身が目標物を探しながらそれに向かっていく新しい戦法が開発されたからだと思う。

しかし、それに対応するには、新しい訓練が必要になったわけで、それが為この新しい訓練支援艦というものが存在し、訓練のための標的を格納するために格納庫のようなスペースが入用となっていたわけである。

そのスペースをこの日の乗艦者に提供しているというわけだ。

当然、その格納庫というのは飛行機の格納庫と近似的なものにならざるを得ない。

それでその通りになっていた。

 

「くろべ」艦内

 

この避難所のような格納庫で、濡れた衣服を着替えて気分を落ち着かせてみると、またぞろ好奇心が湧いてきて、そろそろ未知との遭遇に出会いたい衝動に駆られ、艦内を歩き回った。

この甲板の奥のほう、つまり艦尾にハッチがあり、そこで下に降りれるようになっていた。で、そこから降りてみると下のフロアーは船首に向かって細い通路があった。

その通路を進んでみると左側にトイレがあったが、小のほうは極普通のものであったが、大のほうは洋式便座であった。

ここで私のトイレ考を披露すると、自衛隊のトイレというのは一般社会よりも進んでいると思う。

何しろ私が自衛隊にいた30年以上も前から自衛隊では洋式便座を採用していたが、これは1銭5厘のはがき一枚で兵隊にさせられたものが軍隊に入って始めて米の飯にありつけたのと同じくらいのカルチャーショックだと思う。

それと、狭い軍艦ではつりハンモクで起居しているのではないかと思うが、その現場は見ることが出来なかった。

しかし私のいた航空自衛隊のベッド・メーキングというのはベット・メーキングとしては世界的に見ても正式なものでなかったかと思う。

その後、国内外を問わず色々なホテルに宿泊してみると、自衛隊で教わったベット・メーキングと全く同じようにベットがしつらえてあった。

そういう現実から推察すると、我々が新兵のとき叩き込まれたベット・メーキングは、世界的に共通な作法とみなしていいと思う。

今の日本の主婦で、ホテルと同じような完全なベット・メーキングの出来る人というのは皆無でないかと思う。

誰もそういう事を女性に教えていないわけだから無理もない話だ。

トイレ考はさておき、もう少しその先に進むと、同じく左側に計器盤が沢山並んだコントロール・ルームのようなものがあった。

目に付いたものをメモしようと手帳を持ってはきたが、リュック中に入れておいたので雨で濡れてしまって使い物にならなかったためメモしきれなかったが、察するところエンジンのコントロール・ルームのようだった。

沢山の計器とCRTのモニターがあちらこちらにあって、5,6人の士官がそれらの計器を見つめていた。

入っても良いというものだから中に入ってしばらく見ていたが、目が悪くてその計器の表示が読めないのでまるで意味を成さない。

視力の欠陥というのはまことに歯がゆいものである。

ここはサブの戦闘指揮所にもなっているようだ。

この部屋の反対側が休憩所になっていた。

テレビとかアイスクリームのボックスとかがあり、隊員が勤務の合間に一息する場所に違いない。

そしてもっと前の方、艦首のほうに進むと今度は上に登る階段があって、その狭い階段を上に登ってみると艦橋に出てしまった。

軍艦の艦橋といえば、その艦の一番重要な場所で、艦全体のコントロール・センターであることはいうまでもない。

ところがここにも見学者が大勢入り込んで、狭い艦橋は人でごった返していた。

エンジンコントロールルーム                      艦橋

おりしも出航間際で、艦隊乗務員にとって一番緊張し、一番忙しい時間帯にもかかわらず、大勢の部外者がわけもわからずうろうろしているので、彼らにしてみると我々の存在は厄介なものであったに違いない。

しかし、この出航の際の人の動きというのが私の一番見たいところで、私は迷惑も顧みずここで見学していた。

丁度8時になったとおもったら、甲板で作業していた隊員が全員不動の姿勢で艦橋に向かって挙手の敬礼をするではないか。

国旗は舳に掲揚されているのに、後ろを向いて艦橋に敬礼するのが不思議でならなかった。帰ってから切符を送ってくれた先輩に聞くと、艦旗に対して敬礼をしたのであろう、という説明であった。これで納得である。

考えてみれば、船というのは動く小国家なわけで、いったん岸を離れれば、船そのものが国家なわけで、艦長なり船長というのは国家元首に相当するわけである。

艦旗はその小国家の象徴となるわけで、それに対する敬礼となれば納得である。

この様子を艦橋から眺めていたら、ラッパが高らかに鳴ったがそれは国歌斉唱でもなく今までに聞いたこともないものであった。

ものを知らないという事はまことに不具合なことで悲しい。

私は航空自衛隊に5年間奉職したことがあるので空自のことならば多少はわかるが、海上自衛隊、旧海軍のこととなるとまことに知識が乏しく、自分でも歯がゆくてならない。

出航の時の作業というのは大変に急がしそうで、皆きびきびと動いていたが、そのうちに艦首に掲げてあった日章旗がとりはらわれてしまった。

艦橋では10名近い乗務員が機敏に号令・指示を出し合って、それを復唱しているものだから、いかにもきびきびした雰囲気に包まれていた。

下ではタグボートがロープを引っ張って、艦を岸から離していた。

この時、素人なりの疑問が湧いた。

というのは、この船の係留の仕方というのは、車で言えば前向き駐車なわけで、岸壁に対して頭から突っ込んだ形で係留されていたが、出るときには一度バックしなければならない。

これでは一旦事が起きたときに時間をロスするのではないかと素朴な疑問が湧いた。

船には一分一秒を争うような緊急性というのはないのかもしれない。

しかし、どうあろうとも出航のときは船の乗務員にとって一番緊張するときではなかろうかと思う。

それはさておき、軍艦の艦橋というのは案外素朴というか、質素というか、そうそう機械類がこれ見よがしに並んでいるようなところではない。

三笠公園の戦艦「三笠」を見学したときにも思ったものだが、軍艦の艦橋というのは前のフロント・ガラス以外のものと言えば、大きな舵輪ぐらいしか素人の興味を引くものはない。

しかし、この「くろべ」の舵輪というのは小さなもので、自動車のハンドルぐらいのものであった。

普通、船の舵輪といえば大八車の車輪ほどのものを思い浮かべるが、それと較べると実に小さなものであった。

そしてその横には多分のエンジンの出力をコントロールする装置であろう、そんなものがあった。

ところがである。このエンジンをコントロールする装置を女性の海士長が操作していた。士長といえば旧軍で言えば上等兵である。

しかも年の頃二十歳前後のうら若き女性兵士が、正面を見つめ仁王立ちのような格好で、コントロール・パネルを操作しているではないか。

操舵輪のほうは3等海曹がにぎっていたが、こうして男女ペアで艦を操っているところはお雛様のようなものである。

男女ともきちんと制服を着て、復唱しながら任務を遂行している姿というのは凛々しいものである。

この二人の前に航海長であろう、それらしき人が艦長と連絡を取り合いながら、艦を進めていた。

艦長というのは、この艦橋の一番右端に赤とブルーのツートンカラーのシートカバーを被せたイスかあって、そこに座っている年のころ50歳ぐらいの人がその人であった。

艦長ともなれば完全に一国一城の主にふさわしく、そうそうこまごまとした指図はしていなかった。

この艦長と航海長の間に多分航海士というのであろう、こまごまと小まめに動き回っている女性隊員がいた。

階級はよく判らなったが恐らく海曹であろう、レーダーを覗き込んだり、海図を見たり、外に出て双眼鏡で周囲を見張ったりして小まめに動き回っていた。

横須賀の港外に出るまでは、艦橋では神経を尖らせて、それぞれに自らのポジションを遺漏なく努めようとする姿が見て取れた。

それぞれが命令と指示を出し、それをいちいち復唱しているものだから、まことに活気あふれる光景である。

そういう仕事振りを後ろでじっと見ていると、やはり私なりに感じるものがあった。

というのは、命令・指示が輻輳して、誰が誰に対してものを言っているのか判らないのではないかと思った。

彼らは日常業務の一環としてルーチン化しているので、それで仕事が成り立っているのであろうが、部外者から見ると、言葉が輻輳して命令・指示が混乱するのではないかと心配になってきた。

陸上自衛隊の演習でも、仕事熱心なるが故に、大声で、早口で命令しているものだから、聞くほうでは何を言っているのかさっぱり判らないことがあった。

それでも仕事が成り立っているということは、仕事そのものがルーチン化しているわけで、それは一種の慣れで仕事が成り立っているということでもある。

船というのは航空機に較べるとスペースが広く取れるので、艦橋にも10名近い人間がそれぞれに仕事を分け合ってしているが、この緊迫感というのは狭い水路を航行中だけのことなのかもしれない。

広い外洋に出てしまえば、もう少しゆとりを持って意思の疎通が可能なのかもしれないが、狭い水路を航行中というのは、緊張感を保たないと大きなトラブルを引き起こすことになりかねない。

港外にでると浦賀水道を通ることになるわけだが、彼らはさすがにプロで、どこまでが港内で、どこからが浦賀水道ということがわかるらしい。

それは多分、ブイによってそれを認知しているようだが、艦橋に陣取っていれば当然彼らの命令・指示、やり取りは聞いているので、判る人は判るに違いなかろうが、門外漢の私には判らなかった。

それで艦橋の左側で本日招待された一般見学者向けに若い隊員、女性隊員、階級はやはり士長が艦内アナウンスで案内をしてくれていたが、このアナウンスが非常に稚拙で、ぎこちないものであった。

無理もない話で、本人自身も海上自衛隊の全容を理解し切れていないほどの小娘の説明である。

アンチョコを見ながらの説明であったが、それでもないよりはましであった。

浦賀水道を通過する時は、女性の航海士が、航海長と艦長にそれぞれに報告していた、

すると伝令がそれを全艦に流すべくヘッド・セットのマイクで流すと、両舷にはそれぞれに見張りが配置についていた。

見張り勤務というのも実に大変な作業である。

(雨の中の見張り勤務)

この日はあいにくと雨で、彼らは雨衣を着ていたが、雨衣を着ているとはいえ、雨の中で立ち尽くすという事はつらいことではないかと思う。

この浦賀水道を通過するのに30分掛かったか一時間掛かっていたのか、定かに覚えていないが、外洋、といっても相模湾に出てしまうと、定常の見張り勤務に復帰したようだ。

この航行中も下手なアナウンスが周囲の状況を説明していたが、如何せん、この日は何も見えなかった。

まるで墨絵か水墨画の世界だ。

外洋に出るといっそう視界が悪くなり、艦長が航海灯の点灯を指示していた。

外洋に出れば出たで、今度は船団を組まなければならない。

これはこれでまたまた航海士の腕の見せ所ではないかと思う。

今回の観艦式では、日本の海上自衛隊が全国から集結しているわけで、それが木更津や横浜と分散して停泊しているので、それをこの海域で一つの船団に纏め上げなければならないわけである。

これはこれなりにある種の特別なテクニックを要するのではないかと思う。

それで、艦長と航海長はこまめに指示を出して、進路を変えたり、増速したり、減速したりと微妙に艦を操っていた。

こうなってくると僚艦との連絡が必然的に出てくるわけで、それはボイスで行っていた。

(海図の記入)

つまり無線機による連絡であるが、そのRTは私の経験した航空自衛隊からみるといささか違和感を拭いきれないものであった。

しかし、テレフォニック・アルファベットを使っているところは流石である。

これならば聴き間違えるという事はないわけだ。

艦長の後ろでは、海図を広げて航海士が常に何かを書き入れていたが、これは恐らく自艦の位置をプロットしているのであろう。

その傍らにはデジタルのGPSが2台セットしてあり、緯度と経度を常に表示していた。度、分、秒のもう一つ下の単位が常に変化していた。

今時の軍艦というのはローテクとハイテクが混在しているところが非常に興味あるところだ。

GPSがあるにもかかわらず、コンパスで海図に書き込みながら航海するということ自体、ローテクとハイテクの混在そのものである。

艦橋で仕事をしている伝令は、ヘッド・セットを使ってはいたが、その傍らには昔ながらの伝声管があったりして、その対比が非常に面白い。

軍艦と軍艦のコミニケーションには、今時は無線機が一般的だろうと思うが、かっては旗によるコミニケーションと発光信号、はたまたモールス通信というものがあった。

艦橋の外には必ず大きなサーチライトのような発光器があるが、これもいわば完全なるローテクである。

今回の「くろべ」には旗を格納した箱には覆いが被せられていたが、この旗による信号も

GPS)

ローテクの代表的なものである。

洋上という環境下ではローテクも立派なコミニケーションの技術だと思う。

今はモールス信号や手旗というのも廃れてしまったが、これもローテクの代表的なものであろうが、現代においても生かす方法はあると思う。

現代はIT技術が進んで、あらゆる通信機材そのものが小型軽量化し、値段も下がって、便利になってはきたが、これらのものは電気がないことにはただのお荷物に過ぎない。

我々は普通の生活において電気がなくなるということを想定していないわけで、電気はあって当たり前という感じで生きている。

ところがここに近代物質文明の大きな落とし穴があるわけで、電気がないともうサバイバルそのものが成り立たない。

ところがローテクというのは電気というものを前提としていないので、電気がなくても所定の目的が達成可能なわけである。

その意味からするとサバイバル技術として手旗信号、モールス信号、旗りゅう信号,発光信号というのは大いに役立つものと想像する。

 

 

演習海域

 

今回の観艦式では9種目の訓練展示が計画されていたが、この日はあいにくの天気で、その中のいくつかが省略されてしまった。

その中でかろうじて見れたのはミサイル艇の航走と護衛艦の甲板散水とP3Cオライオンの爆弾投下、HS60Jヘリコプターの編隊飛行とP3Cの受閲飛行であった。

受閲海域に入って、船団が一列縦隊で駿河湾を西に進むと、この艦の左舷前方から観閲する側の船団がすれ違う形でやってくる。

その時、艦長以下数名のものが艦橋の上の甲板に出て、相手の艦に対して挙手の敬礼をしていた。

艦長に随行していた数名のものは、この時もラッパを吹奏したが、そのラッパの意味は私には理解できなかった。

ものを知らないということはまことに悔しい。

彼らに聞こうとしても、彼らはそれぞれに仕事をしているわけで、仕事中に自分の興味本位の質問をしても悪いかと思って聴かずにいた。

艦橋に立ってみると、雨と風は思いのほか厳しく、そしてピッチングとローリングもそれなりにあるわけで、立って真っすぐに歩けないほどであった。

右に左によろけて、手すり止まらなければならないほどであった。

マストの風速風向計の羽はフル回転をしており真横から風が吹きつけていた。

ブリッジの見張り員はコンパスや双眼鏡の支柱をしかりと握っていなければならないほどであった。

雨の中の見張り勤務というのも大変な仕事だ。

そういう中をミサイル艇は波頭を切り裂くような勢いで我々の艦を追い抜いていった。

これも訓練展示の一環である。

護衛艦の甲板散水というのも、やっていることはわかったが、距離が遠すぎてあまりよく見ることは出来なかった。

P3Cの爆弾投下というのは海上に水しぶきが上がったので爆弾を投下したなということがわかる程度であった。

あとはヘリコプターの編隊飛行とP3Cのデモ・フライトは高いところを飛べば済むことで、これも行われたが私がもっとも見たいと思ったホバークラフトの航走というのが見れなかったのが残念である。

これらの演習が墨絵か水墨画のようなロケーションの中で行われた。

2次世界大戦後の日本の海の守りというのはやはり戦前のものとは大きく変わっていることは一目瞭然である。その最大の変化はいうまでもなくシビリアン・コントロールということではないかと思う。

そして、専守防衛に徹するということから、軍隊と全く同じものでありながら、攻撃のことを考えなくても済む分、守ることに力を傾注しえるということだと思う。

海上自衛隊というのは海の守りとは言いつつも、船でそれを実施するよりも、航空機でそれを行うケースの方が大きくなっている点が、戦前の海軍とは大きく違う部分ではないかと思う。

しかし、昔も今の海軍というものがテクノ集団であることには大きな違いはない。

船というものが、前にも述べたように、ローテクとハイテクの混在した存在であるという点は非常に興味あるところである。

私には海のことが正直よくわからないが、今の大型タンカーなどはオート・パイロットが付いているのではないかと思う。

今の電子技術を持ってすれば、船を衝突させないように運行させるぐらいの技術は既にあるのではないかと思う。

ドプラーレーダーとコンピューターを上手に組み合わせれば、それぐらいのことはできるのではないかと思う。

一方、船を岸壁に係留しようとすると、どうしても人間の手をわずらわせなければならないわけで、その部分はきっとハイテク化されないのではないかと思う。

飛行機では既にオートパイロットは普及して、パイロットの緊張を大きく緩和しているわけだから、船でもきっと同じ事が出来ると思う。

それと同時に、あらゆる機器がハイテク化してくると、男でなければ出来ない仕事というものがだんだん少なくなってくると思う。

エンジンのコントロールとか航海士の仕事などというものは、「男でなければならない」という理由は最初からないわけで、仕事さえまっとうできれば基本的には男も女でも構わないはずである。

それが証拠に、既に自衛艦にさえ女性の乗組員がいるわけで、我々の過去の認識では、「船の仕事は男に限る」と思い込んでいたわけであるが、それは既に過去の遺物となってしまったわけである。

そういう視点で、自衛隊の仕事をオペレーション・リサーチしてみれば、男でなければならない職種というのはほんのわずかなものしか残らないのではないかと思う。

どうしても男でなければならない仕事というのは、ヘリから海に飛び込んで遭難者を救助する救急隊員、レスキュー部隊ぐらいしかないのではなかろうか。

自衛隊のほとんどの仕事が基本的には男でも女でも構わないということになってしまいそうである。

軍艦に女性の乗組員がいるなどということは、旧軍の認識からは考えられないことだと思う。

海上自衛隊も航空機に頼る傾向が強くなればますます女性の活躍の場が広がるわけで、飛行機に関わる仕事というのは、案外女性に向いたものが多いのではないかと思う。

「パイロットは男でなければ駄目だ」というのは、男性の側の思い込みに過ぎないわけで、本質的には男でも女でも全く構わないのではないかと想像する。

特にハイテク化が進めば、腕力に頼らなければならない仕事というものは減少してくるわけで、腕力よりも、繊細で、細やかな神経、気配りが要求されるので、その意味からしても、男女の性差というのは否定される方向に向かうと思う。

ただ女性には出産という事業が付いて回るので、これだけは代替することが出来ないし、2つの命が関わっていることだから、この問題が付いてまわる限り、女性保護、母体保護という概念を払拭するわけにはいかないと思う。

 

男女共同参画

 

昨今、男女共同参画という問題が声高に叫ばれているが、これは人類が過去において、女性を大事にしなければならないという、女性保護の精神とその概念を真っ向から否定していることになる。

男女が同じ条件で仕事をしたとしても、出産ということをどうクリアーするのか、という点を回避した議論で、それは同時、男性と同じ賃金を払えという恫喝でもある。

男女で同じ仕事したとしても、出産で休業した間の賃金は当然カットされて然るべきだが、それが駄目だという言い草である。

偽善ぶった知識人は、それを「社会全体で面倒見ればいい」という論法を展開しがちであるが、出産ということは個人が勝手にセックスを楽しんだ結果であって、それは個人の自由であるが、その個人の自由の後始末を社会全体で面倒を見るという発想は、進歩的な考え方を通り越して、あまりにも独善的で、自分勝手な生き方を助長する発想といわなければならない。

いくら仕事に有能な女性であっても、出産の前後の一定期間というのは職場を離れなければならない。

これがあるため女性の職場進出にはある程度の制限があったものと考える。

今の自衛隊というのは、男女共同参画という今日的理念からすれば一番進んだ組織ではないかと思う。

これから何年かしたら、妊娠八ヶ月の艦長や、出産前の大きな腹を抱えた機長などというのが出現するかもしれない。

軍隊への女性隊員の進出というのは日本だけのことではなく、この面でもアメリカのほうが一歩進んでいる。

日本の自衛隊もアメリカに追従しているわけでもないと思うが、私のいた30年前はまだ、婦人自衛官といえば病院の看護婦さんが主体であった。

その時代のアメリカでは、アメリカ空軍のC5Aという巨大輸送機の機長に女性がなったというニュースが伝わったものだ。

現在では戦闘機のパイロットにも女性がいると聴いている。

いずれにしても現代の航空機、軍艦というのはハイテク機器の塊のようなもので、ハイテク化が進めば進むほど、それを扱うのに男女の性差は問題にならなくなることは間違いない。

男女共同参画の垣根は低く、壁は薄くなるわけである。

その問題とは別に、今の自衛隊も、社会一般の傾向というものから免れることは出来ず、その端的な例が、兵クラスの人材の補充がままにならないことではないかと想像する。

旧軍の兵クラスのことを自衛隊では士と呼称しているが、このクラスの人材があつまらず、皆下士官ばかりになっている。

これは隊員全体の学歴が上がってきたということの現れなわけで、兵クラスの人間が不足しているということは、下働きをする人間がいなくなったということに他ならない。

「籠に乗る人。担ぐ人、その又草鞋を作る人」という人間社会の組織の中で、籠に乗る人ばかりが多くなって、籠を担いだり、草鞋を作る人がいなくなってしまったということである。

ピラミット型の組織の中では、底辺の人にもそれなりの仕事というのはあったわけで、その人達が自分の仕事を仕事としてこなすことで、組織そのものが成り立っているが、ピラミットの底辺を支える人がいなくなってしまったわけである。

人がいないからといって、その仕事をせずに済ますわけには行かないので、誰かがその穴埋めをしなければならない。

その時、「さて誰がするのか」となれば当然上の階級のものがせざるを得ないわけである。艦内の要所要所に分隊員の名札がかけてあったが、この名札の階級を見ても、昔の階級で言えば兵クラスの割合が実に少ない。

各分隊が十数名からなっているとすると、その中に一人か二人しかいないわけで、後は下士官クラスのものばかりである。

だから本来ならば兵クラスの仕事を、下士官クラスの者がしなければならない状況に陥っているものと思う。

もっとも現代の海上自衛隊や航空自衛隊というハイテク集団、テクノ集団の中では、昔の階級というものが殆ど意味を成していないのかもしれない。

旧軍の階級というものは、基本的には徴兵制の元、1銭5厘で集められた兵隊、言い換えれば当時の日本の一般大衆としての無学文盲の人々を管理し、統率するために存在したわけで、今日のようなハイテク社会になれば、階級などというものは何の目安にもならないのであろう。

「籠に乗る人、担ぐ人、草鞋を作る人」という垣根そのものが固定化されることなく、時と場合、その時の状況によって、その持ち場、立場が流動化していると言ってもいい。

それでなければ海士長、昔流に言えば上等兵、しかも女性の隊員が艦橋でエンジン・コントロール・パネルなどを操作できるわけがない。

階級による職能区分というものは崩壊しているわけで、階級を問わず、手のすいている者が当座の仕事をこなす、という形態をとらないことには組織そのものが機能しなくなってきていると思う。

そしてハイテク化という観点から船の操縦というものを考えると、技術的にはもっともっと合理化が可能だと思う。

しかし商業ベースならば合理化して人件費と浮かせるという発想も成り立とうが、海軍という古典的な戦う集団においては、合理化だけでは語れない部分があるのではないかと思う。

 

日本のマスコミの対応

 

私の見学した事前訓練というのは10月22日で、この日はあいにくと朝から雨が降り続き、見るほうも任務についている側も、さんざんな目にあったわけであるが、これは26日の本番に向けての予行演習であった。

そして、本番の日は朝から快晴で、最高の日和になったようだ。

スケジュール通り、小泉首相が旗艦「しらね」艦上で演説をしていた。

この演説はラジオ(艦隊無線)を通じ参加者全員が聴いたに違いない。

海上自衛隊の3年に一度のビッグ・イベントである。

参加艦艇約50隻,参加航空機も約50機、参加人員約8000人というビッグ・イベントでありながら、日本のマス・メデイアというのは殆どこれを報道していないということは一体どういうことなのであろう。

26日の夕方7時のNHKテレビは定時のニュースで約1分間ぐらい報じていた。

小泉首相が正装して「しらね」艦上で演説している姿を流した。

ところが翌日の朝日新聞では観閲式そのものが全く記事として報道されていない。

これは一体どういうことなのであろう。

朝日新聞というのはもともとが反政府よりの新聞で、自分たちの政府をこき下ろすことに勢力を費やしていることは承知しているが、それにしても国民の知る権利というものをないがしろにした行為ではなかろうか。

自分たちの営利目的のためには「国民の知る権利」というものを声高に叫んでいるが、自分たちの気に入らないことはあえて黙殺しておいて、「国民の知る権利」を云々することは極めて独善的な行為だと思う。

こういうマス・メデイアが戦後の日本のオピニオン・リーダーとして君臨してきたわけで、これでは我々の国がよくなるわけがないではないか。

朝日新聞というものが偏向していることは承知しているが、偏向していたとしても、事実は事実として報道してしかるべきではなかろうか。

それを頭から無視しておいて、情報開示だとか、「国民の知る権利」という奇麗事を並べる発想は一体どこから生まれてくるのであろう。