2003・8・31

(平成15年)8月の小さな旅

富士総合火力演習

 

今年の8月は長雨続きで、冷夏。後半になってやっと夏らしくなってきた。

この月末にかけて2,3、非日常の出来事があった。

その一つが8月24日の富士火力総合演習であり、他のもう一つが名古屋港の護衛艦見学であった。

富士火力総合演習は昨年に続き2度目であるが、これも年に一度の見学というのは良いもんだ。

富士山を正面に見て、それに向かって戦車や火砲が火を噴く光景というのは、やはり男の血を沸き立たせる何かがある。

今日の陸上戦闘というのは昔のように地を這って行われるものではない。

航空機と連携して2次元の戦いである。

この時問題となるのがヘリコプターの爆音とローターの騒音ではないかと思う。

ヘリにいくら機動性があって、上からの攻撃が可能だといっても、あの音がある限り自分の存在を隠匿することが出来ず、地上からは格好の標的になるはずである。

小銃やピストルでは撃ち落せないにしても、もう少し大きな火力ならば簡単に落とすことが可能だと思う。

特にホバリング中ならばなおさらだと思う。

しかし、大型輸送ヘリでオートバイの偵察隊を前線に移送するというアイデアは一見に値するものと思う。

それを援護するという意味で、ホバリング中に弾幕を張るというのも効果的なのかもしれない。

しかし、この演習を観覧席から見ていると、目の前の壮大なロケーションにはいささか驚かされるが、この光景からはどういうものかノモンハン事件を思い出してしまう。

もちろん私の生まれる前の事件で、その実際を知るものではないが、様々な書物から推し量ると、ノモンハン事件というのはこういうロケーションで行われたのではないかと思う。21世紀の日本の陸上自衛隊が、ノモンハン事件と同じことをしていては、向上がないのではないかと思う。

想定では、「上陸してきた敵勢力」という言い方で仮想敵というものをイメージして訓練が行われている。

想定がそうであるとすれば、ロケーションの選択が間違っているのではなかろうか。

とはいうものの、この演習をよくよく考えて見ると、これは陸上自衛隊富士学校の、つまり戦車部隊の教育効果を展示するのが目的なわけで、それを他の部隊が支援している形である限り、ノモンハン事件の再現であったとしても致し方ないわけである。

日本の軍隊というのは、旧軍の時代から、個個の部隊は実によく訓練され、実に優秀な部隊だと思う。

ところがそれを有機的に、かつ組織的に上手く運用しなければ、という戦略的な思考過程に入ると、とたんに思考停止に陥ってしまって、その優秀さを生かしきれない下手な運用になってしまう。

ある意味で、縦割り社会の弊害というものがあって、それぞれには優秀な部隊でも、その優秀さを発揮させる前に、兵站の段階で失敗してしまうことが多い。

戦術的には優れていても、戦略という概念を我々は持っていないので、必然的にそうなってしまうものと考える。

だから、おのおのの部隊が個個の戦闘では優位を占めても、その優位さというものを戦略的に統合する考え方がないものだから、結果として折角の優位さが尻すぼみになってしまうわけである。

戦術の優位さを維持するのは、ひとえに兵站だと思うが、我々の過去の軍隊というのは、この兵站というものに非常に冷淡であったので、個個の戦闘で得た優位なポジションを連鎖的に生かすことが出来なかったわけである。

線香花火的な勝利で終わってしまったわけである。

そういうこととは別に、この演習を見ていて、まだ改善の余地があるなと思ったことは、戦車のエンジン音と黒煙である。

戦闘という極限状態の中で、戦車を酷使するいう意味で、急発進、急停止の繰り返しで、それに伴ってエンジンも酷使されていることは理解しえるが、改良できれば改良するに越したことはない。

又、空挺隊員が高度3500メートルから降下するというのも、何となく勇ましいような印象を受けるが、考えてみるとこれも航空機の発達と同時に落下傘部隊というのも進歩してきたわけで、古典的な兵法と言わなければならない。

飛行機で敵陣の後方に降り立つという発想は、誰でもが思いつく考えなわけで、特別に奇抜なわけではないが、それでも落下傘部隊というのはなんとなく勇ましい部隊というイメージが沸き立つ。

それはさておき、この日は暑かった。

演習を見ているだけで体が陽に焼けてしまったが、それにしても、これを見に来ている人が多いのには驚く。

これだけの人が21世紀の日本の陸軍の演習を見に来るということは一体どういうことなのであろう。

今の自衛隊には父兄会まであるというが、これは一体どういうことなのであろう。

日本男子たるものが軟弱になった所為なのだろうか。

そういう私も人のことを笑ってはおれない。

自分の息子が大学に合格したら、入学と卒業の祭にはのこのこと出かけてしまったので、「今の若者は軟弱」などと人事のように笑ってはおれないが、自分のことを振り返ってみると、息子が軟弱だから付いていったわけではない。

自分の息子が大学に入り、そして無事卒業するということは、親としての私自身にとっても非常に嬉しかった。

その嬉しさを実感するために、のこのこ付いていったという気持ちが強い。

自衛隊の父兄会というのも、それと同じで、親として子の成長を喜び、それを味わう気持ちの表れなのかもしれない。

子供たちが軟弱だから父兄会があるのではなく、親の方が自己満足に浸るためにそれがあるのかもしれない。

昔のように7人も8人も子供がいるわけではなく、たった1人か2人の息子が社会に巣立つのを見守りたい、という親心で父兄会が出来ているのかもしれない。

そして今の自衛隊員は、社会の不景気を反映して、優秀な若者が入っているということであるが、私としては信じられないことだ。

私など未だに上野の山で浮浪者をかき集めて員数合わせをしたというイメージから抜けきれないでいる。

この日はバスが日本平を回り、久能山に立ち寄ってきたので結構時間が掛かり、家に帰り着いた時は19時を回っていた。

車中ではビンゴゲームがあって、どういうものか私は1等賞を得た。

 

護衛艦・さわゆき

 

8月の最後の土曜日、30日は名古屋港に停泊している護衛艦を見学に出かけた。

我が家から名古屋港に行くにはまことに便利になった。

上飯田線が平安通りまで乗り入れてくれたので、ここで一度乗り換えるだけで名古屋港まで行ってしまう。

時間にして1時間。地下鉄を降りて先のほうに進むと、その先に灰色に塗装された護衛艦が岸壁に横付けされていた。

公開は10:00からとなっており、10分ばかり遅れてしまったが、岸壁に渡したブリッジを渡るとそこには21世紀の再生日本の軍艦があった。

要所要所には正装の海上自衛隊員が立って見学者の案内と警戒に目を光らせていた。

この護衛艦「さわゆき」は、渡されたパンフレットによると2900トン、乗員180名となっている。

昔でいうところの水兵さんというのは殆ど見当たらない。皆、下士官のようだ。

この傾向は海上自衛隊ばかりではなく、どの自衛隊でも同じだと思うが、国民全体の教育レベルが上がってしまって、昔の兵に相当する人がいなくなってしまったわけだ。

考えてみれば、昔のようにはがき1枚で集められた徴兵制の元では無学文盲の人も多く、兵としての人員も豊富にあったが、昨今では皆の教育レベルが上がってしまったので、兵としての階級が消滅しかかっているわけである。

しかし、組織としての行動がある限り、昔の兵がしなければならない仕事がなくなったわけではない。

昔も今も基本的な仕事がなくなったわけではなく、兵がなくなったとなれば、それはその上の階級のもの、つまり下士官が昔の兵の仕事しなければならないということになっているはずである。いわば学歴インフレである。

人間の行動には完全には合理化し切れないものがあって、そういう古典的な仕事は、学歴や教養のないものが担ってきたことはまぎれもない事実であるが、皆が皆、高学歴になってしまったものだから、そういう仕事まで高学歴な人がしなければならないとことになったわけである。

巨大な組織の中で、目的達成のために人材を適材適所に配するため、階級というものがあり、その階級はテストによる選抜で確立されおり、それが今までは尤も合理的だと信じられていた。

組織というピラミットの中で、階級という階層分けが今までは有効に機能していたが、国民の皆が皆高等教育を受ける時代になると、その階層分けの意味が失われてしまったわけである。

しかし、船という小さな宇宙、いわば運命共同体の中では、艦長から下々のものまで、きちんとしたピラミット型の組織の中で。きちんとした命令系統が機能しないことには船そのもの、運命共同体そのものが危ういわけで、そういう環境の中で、階級が消滅するという事はありえないように思える。

ところが階級と仕事とは直接的なつながりはないわけで、階級がなくても仕事さえこなせれば船は前に進むわけである。

その意味からして、今日的な科学技術の発達は階級というものをますます曖昧なものにするに違いない。

この護衛艦、かなり古いもので、昭和57年に進水ということであるが、あの艦橋の前に鎮座している76ミリ速射砲というのは、護衛艦としてのシンボルのようなものである。あれがあるから軍艦というイメージになるのであろうが、時代物ではなかろうか。

いわば無用の長物になっているのではなかろうか。

20ミリ機関砲、いわゆるバルカン砲も左右についていたが、近接する敵には76ミリ速射砲よりもこちらのほうが有効ではないかと思う。

兵装としてはミサイルを装備しているので、私はこの管制のほうに興味があったが、そこは見せてもらえなかった。

護衛艦を公開するということは、せいぜいこの程度のことだとは思うが、それとは別に興味あるものを見つけた。

それは旗である。

船乗りというのは旗で情報をやり取りするのが一昔前までの船乗りの常識だと思うし、その旗の意味は万国共通だと認識している。

軍艦ならば光でも情報のやり取りするわけで、この装置を見ることが出来たことは収穫であった。

旗はアルファベット順に格納箱に入れられて収納されていた。

そして光による情報伝達は投光器の点滅に過ぎないが、こういう技能は今日でも立派に通用すると思う。

手旗信号、モールス信号、投光器による通信、旗による通信、これらのものは非近代的なように見えるが、これだけデジタル化された社会では、逆にその存在価値は高くなっていると思う。

手旗信号など、電気が途絶えたときには最高の伝達手段だと思う。

モールス信号などは、秘密保持には極めて有効で、誰にも気づかれないうちに情報のやり取りが可能だと思う。(傍受する側が知っていれば意味を成さないことはいうまでもない)

現代のデジタル機器というのは電気がなければただの邪魔者でしかないが、このような昔からあるローテクは電気のないところでも通用するものが多い。

船舶という限定された世界での通信手段というのは非常に応用範囲が広いと思う。

こういう技能を持っている人は、自分の技能をさび付かせないようにしてもらいたいものだ。

特に巨大な災害のときには大いに活用の場があると考える。

もう一つ驚いたことに、船の舵輪といえば、人間の背丈ほどもある大きなもので、持ち手が輪の回りに沢山付いているものと思い込んでいたが、この艦の舵輪は自動車のハンドルジぐらいのものだったので、これには意外な感がしたものである。

そして艦橋というのはやはりその艦のトップがいるところなのであろう、独特の雰囲気があるものである。

戦後の日本の自衛隊というのは、軍であって軍でないような非常に曖昧な立場であるので、旧軍とは比較にならないだろうが、それにしてもやはり非常な技術集団という事は言えていると思う。

特に今時の海軍というのは航空機との連携なしではありえないわけで、海と空と海中という3次元の世界で戦おうとしているわけで、それだけに完全なる技術集団と化している。昔のような大艦巨砲時代は完全に過去のものとなっており、この小さな艦でも、その能力は昔の戦艦をしのぐものではないかと想像する。

この「さわゆき」の横には潜水艦が並べて係留されていたが、潜水艦というのは論評の仕様がない。

黒い鉄の塊という他、言いようがないわけで、諸元を示すパネルが展示してあったが、それによると水上よりも水中のほうの性能がいいというのは何とも理解しがたいように思われた。

船が前に進むについては、造波抵抗というものがあるということはおぼろげながら理解しているが、水中ならばそれがないのであろうか。

その辺りのことは不勉強でよく判らない。

 

名古屋・どまつり

 

これを見終わって、南極観測船「ふじ」の周りを回りながら戻ってくると、西側の広場で名古屋ど真ん中祭りのイベントとして踊りをやっていた。

来る時に地下鉄内で異様な格好の男女がいて、いぶかしく思っていたが、彼らはこのお祭りの踊りに参加する人たちであったわけだ。

その踊りというのが何とも奇妙で、ロックン・ロールでもなければ、デイスコ風でもなく、まして盆踊り風でもなく、なんとも奇妙な踊りである。

そして、その出で立ちというのが、これまた妙なもので、印半纏を妙に長くしたようなものをはおり、足元は五女子足袋をはいて、股引きのようなものを身に付け、一言でいえば、昔の馬喰うのような格好をしていた。

しかし、この連中では馬喰うというものの実態を知らないので、それが格好いいスタイルだと思い込んでいるに違いない。

印半纏に五女子足袋に股引きとくれば、どこからどう見ても馬喰う姿であるが、それをきちんと着こなしていれば馬喰うとして恥ずかしくないが、なにしろ印半纏の丈が長いので、だらしなく見えて仕方がない。

そんな格好で、それぞれに鳴る子を持って踊り狂っているが、それはそれで若さがあふれ出て、見るものを楽しませてはいる。

それがチームとして大勢で踊っているのでチーム・ワークの良し悪しと、練習の成果が出るので見るものを飽きさせない。

此処でやっていればきっと栄でもやっているに違いないと思って、途中下車してみると、案の定、久屋公園で特設会場まで作ってやっていた。

踊りの進行を勤めるアナウンスを聞いていると、どうも全国から集まってきているらしい。東京のグループや札幌のグループまであったようだ。

この踊りを見ている限り日本も平和そのものである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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