秋吉敏子  2003・05・16

「秋吉敏子」論

 

 

二人の猛女

 

縁があって秋吉敏子のライブを聞く機会に恵まれた。

彼女の存在はかなり以前から知っていた。

あれは何年か前だったと思うが、彼女がNHKテレビに出演して彼女自身が自分のことを語った番組を見たからではないかと思うが、もうかなりのお年を召されているのに全地球規模で活躍されているのを見ると、逆に勇気を与えられるような気がしたものである。

本人が語ったところによると、彼女は終戦時、満州からの引揚者ということであった。

それで引き上げ後、別府あたりに住んでいるときにどうしてもピアノに触れたくて、ピアノに触れる機会があればなんでもするという気構えで、別府の進駐軍相手のキャバレーあたりでピアノを弾いていたところを来日中のジャズ・メン(ノーマン・グランツ)に見出され、ジャズの道に入り込んだという意味のことを語っていた。

インターネットで秋吉敏子を検索してみると、1929年、満州生まれと出ている。

ということは終戦時16歳であったわけで今74歳ということになる。

こういう活躍をしている人だからかもしれないが、生で見る彼女はとても70歳を超えた人とは思えない。

話は飛躍するが、丁度、この日の何気なくテレビを見ていたら、三岸節子のことを放送していた。

彼女はもう故人になったと思うが、彼女も60歳を過ぎてからパリに渡って、数々の傑作をものにしたわけで、こういう人の活躍を見えると、60歳の定年を過ぎたぐらいで後ろ向きの、控えめな人生などゆめゆめ考えるべきではない、と自分自身に言い聞かせなければならない。

 

文化の進化ということ

 

秋吉敏子の場合、アメリカに渡って、50年近くになるということである。

終戦のとき16歳の少女が、旧敵国の音楽に引かれ、その旧敵国の音楽で世界一に登りつめるということは何とも不思議なことだと思う。

日本の敗戦ということがきっかけで、我々の価値観がそこで大きく逆転した、ということは理解しえるが、その逆転した価値観でもって世界一になるということは一体どういうことなのであろう。

そして彼女の奏でる音楽を聴きながら、文化とは一体ナンなのかと思いつつ体が小刻みにスイングするのを体感していた。

この日、彼女自身が自分の口から言っていたが、確かに若いときは人の真似というか、人のコピーをしていた、

有名プレイヤーの技法を真似、盗み取り、そういう弾き方、そういう音楽を目指していたが、あるときこれではいけないと悟り、それから自分独自のポリシイー、感性を表現しなければと気がついたといっていた。

彼女のジャズはその通りの軌跡を歩んでいると思う。

ジャズもアメリカの黒人から生まれてきたとはいうものの、その歴史の中では常に進化し続けてきたことは間違いない。

ところが、この進化の捉え方というのがなかなか難しいわけで、新しいサウンドが生まれ、新しい奏法が生まれ、新しいテクニックが生まれたとき、それを大衆が受け入れなければ、それは進化しないのではないかと思う。

グレン・ミラーもベニー・グッドマンも、マイルス・デービスもそういう試練をくぐってきたのではないかと思う。

これらの名曲をそのままで良いと思いつつ聞いておれば、それは伝統の保持ということになってしまうわけで、それを打ち破るには、何か人をひきつけるファクターを入れ込まなければならないわけである。

「グレン・ミラー物語」、「ベニー・グッドマン物語」という映画を見るとそのあたりのことがよくわかるが、その何かを入れ込むというところが非常に難しいわけである。

大衆うけを狙って、作為的にそれを行ってもそれが当たるとは限らないと思う。

作為的にではないが、何か新しいインパクトがあれば、大衆の方がそれを受け入れるという構図だと思う。

このことは音楽を作り出す側にとっても当然判っているわけで、判っているが故に、そこに苦悩があり、時には挫折があり、一流とそうでない層に分かれるのではないかと思う。しかし、人はなにも一流にならなくてもいいと思う。

秋吉敏子も三岸節子も、自分から一流を目指していたわけではないと思う。

それは人が彼女達に与えた評価であって、本人がそういうものを目指していたわけではないと思う。

それで秋吉敏子のライブを聞いてみると、これは確かに今の世界では一流中の一流だと思う。

ところが私レベルの人間がジャズといった場合、こういう超一流のものを意識しているわけではない。

やはり伝統的なものに接したいと思っているわけで、その意味では少しばかり意識のズレを感じずにはおれない。

秋吉敏子の場合、本人も言っているようにジャズに東洋的なものを入れたい、と願っているわけで、それは見事に実現していると思う。

フルートで笙のイメージを出したり、ドラムで和太鼓の雰囲気を出したり、鼓の音を入れたりと工夫が凝らされている。

こういうものはアメリカ人、つまり西洋のキリスト教文化圏の人々には非常にエキゾチックに見えるのではないかと思う。

ここまで来るとジャズと日本文化というものが見事に融和しているわけで、それが地球規模で受け入れられていると言うことである。

 

自虐的な自己評価

 

ところがこのことを恐らく日本の中に住んでいる我々は全く気がつかないわけで、アメリカで評価されると後追い式に、「あれは素晴らしい!」という評価になるものと思う。

日本に住む我々は、世界的な評価というものに全く疎く、自分ではものの真価を全く理解しない民族ではないかと思う。

外国から「あれは立派な作品だ!」と言われると、はじめて「そうか??」といって見直し、そうと決まると雲霞のごとく皆が同じ価値観に浸りきってしまう、という民族的な傾向があるように思える。

昨年くれのノーベル賞を受賞した田中耕一さんの例を見るまでもなく、ノーベル賞を取るような実績のある人を我々は誰一人知らなかったわけで、受賞が決まってはじめて彼の実績を認め、それからというもの後から後から、世界の後追いで彼の功績をたたえる表彰が行われたわけである。

自分の良さというものに自分で気つかず、他から指摘されて始めて気がつくという感じである。

これをもう少し皮肉った言い方をすれば、自分の同胞の功績というものをなかなか認めたがらず、自分の同胞が良い実績を上げていると思っても、自分自身が負けているという負い目、コンプレックス、自負心というものが仲間の功績を素直に認めたがらないという面はあると思う。

この民族的傾向というのは、我々が農耕民族として「出る杭を引き上げる」という発想を否定し、「出る杭を叩く」方向に思考が働くからではなかろうか。

伝統や因習から逸脱した行為を容認するのではなく、それを標準化し、均一の世界にしようという発想が我々にはあるし、もう一つ西洋崇拝というものがあって、自分のものには全く自身が無く、西洋が評価したものは無性にありがたがるという面がある。

しかし、伝統や因習を乗り越えないことには進化が無い、ということは洋の東西を問わず真理なわけで、それはジャズにおいても言えているわけである。

今ある価値観を乗り越えることで次なる進歩があるわけで、ジャズといえどもその過程は同じである。

秋吉敏子がアメリカ文化の真髄というべきジャズに、日本の文化要素を織り込んだということは、アメリカの普遍性の中に東洋的なものを入れた、という新しい第一歩を踏み出したということで、それをアメリカ人はジャズの進化として受け入れたわけである。

この逆はなかなかありえないのではないかと思う。

たとえば、日本のお寺さんで唱えられているお経を、ジャズ風に演奏したらきっと面白いものが出来るのではないかと思う。

ところがそれを日本の大衆が受け入れるかといえば、決して受け入れないのではないかと思う。

これが例の「出る杭を打つ」という言葉で言い表されている本質だと思う。

死者を弔う価値観も我々と西洋列強では大いに異なっているわけで、これは良い悪いの問題ではなく、それぞれの文化の伝統と因習の問題だと思う。

ところが、この伝統と因習を克服できないとなれば、そこに文化の進展というのは望めないわけで、文化は進展すれば良いというものでもなく、マイナスの方向を向いた進化もあるはずで、それは破壊に繋がり終焉に向かっているわけである。

 

芸術を理解するということ

 

私は音楽の素養がないので、ジャズがなぜスイングするのか詳しいことは知らない。

しかし、ジャズを聞けば体がスイングするのは現実に体験するわけで、このスイング感というのは日本の古典的な雅楽にはないものである。

謡や狂言、はたまた新内や、都都逸、謡曲、詩吟、歌舞伎等を聴いても、体がスイングするということはない。

日本の古典芸能を今の我々が聞いても、心から理解するということは我々のような凡人クラスではないと思う。

それと同じ事で、マイルス・デービスを聞いて、何が理解できるかといわれると答えに給する。

これは他の芸術についても同じことがいえるのではないかと思う。

三岸節子の絵画、パウロ・ピカソの絵を見て何を理解し、何がわかるかと問われれば答えに窮するのと同じで、それは説明の仕様もない。

大衆が受け入れるかといえば、大衆はそんなものを理解しがたい存在としか見ないと思う。ならば知識人や評論家が評価するのかといえば、これが一番的を得た回答だろうと思う。知識人というのは、大衆のなかの先進的な部分を会得した存在に違いない。

となると、日本の文化的状況というのは、ますます貧困とならざるをえないように思える。なんとなれば、日本の知識人というのは、自分で物事を判断する思考能力、真贋を見極める能力というものに欠けており、他人の評価を受け売りする能力しかないからである。

今の日本の若者達の文化的能力というのは実に目覚しいものがあると思う。

例えば、ダ・パンプというダンス・グループ、和太鼓のグループ、三味線の吉田兄弟などという若者の文化の度合いというのは、決して世界的にひけをとるものではないと思う。ところが日本の大人世代、特に文化人と総括されている人たちというのは、こういうものを正当に評価しようとしていない。

それもある意味では納得できる部分がある。

というのも、今日本で知識人とか文化人と言われる人々は、皆一様に立派な大学を卒業して、自分の枠内で立身出世をした人たちで、いわば純粋培養された人々である。

つまり、泥に塗れ、挫折を経験したこともなければ、明日食う米にも事欠いた経験など全くない、保育器の中の赤子のように恵まれた環境の中で暖かく見守られながら、ステータスを築いた人たちであって、世の荒波というものを体験したことがないわけである。

そういう人たちが、自分の経験した事を後生大事に守ろうとしている限り、他の奇抜なアイデアは排除し、身の安泰だけを望み、冒険を恐れてチャレンジ精神は癒えてしまっているからである。

日本の芸術の領域は特にその傾向が強く、あの家元制度というのは一体ナンなのかといいたい。

この家元制度というものが日本古来の芸術だけならば、まだ日本文化の後進性、封建性と自虐的に評価しえるが、日本人が西洋音楽、および洋画の世界において、そろそろ極みの位置になろうかと云うころになると家元制度を取り入れたがる。

日本人が芸術に携わるとどうして家元制度になるのか不思議でならない。

日本の芸術家が外国に出て、行きっぱなしになればこういうこともないと思うが、日本人が西洋文化を極め、日本で生きようとすると、その島国根性が芽生えるのであろうか。

家元制度、徒弟制度、総て日本独特のものではないか。昔の映画で「シエーン」というのがあるが、その中でアラン・ラッドが子供に銃の撃ち方を教える場面があった。

そこではアラン・ラッドは「銃の撃ち方には色々は方法があり、人それぞれに自分の一番いい方法を考えている。自分にとって一番良い方法を自ら考えよ」という意味の事を教えていた。

たかが西部劇だけれど、この中にもアメリカ人と日本人のものの考え方の相違が表れていると思う。

我々ならば恐らく「こうしてはならない、こうしなければならない」という発想になると思う。

つまり出る杭を伸ばそうとするのではなく、出る杭の頭を叩いて均一化する方向に思考が働くと思う。

だから自分に師事してくるものにたいして、「あれをしてはいけないこれをしてはいけない」という教え方になるのではないかと想像する。

西洋文化を習得したような人、つまり文化人が、自分を師事してくれる弟子から法外な金を取る手段として家元制度があるのではなかろうか。

家元制度というのは、自分が苦労して習得した技を、嘴た金で後輩に伝授するのは損だという功利主義がその根底にあるのではなかろうか。

これが現実の日本の文化人の生の姿だと思う。

 

彼女のアメリカでの苦悶

 

秋吉敏子は若くしてアメリカに渡り、バークレイー音楽学校でジャズを学び、そしてアメリカ文化としてのそれを極め、その延長線上に日本回帰の思考があったところが非常にユニークだと思う。

本人の弁によると、彼女の故郷は旧満州で、日本人でありながらアメリカは仕事場だと割り切っているところが非常に奇抜な発想だと思う。

つまりアメリカ人になりきる事を自ら拒否しているわけで、アメリカでジャズを生業にしながらも、心は常に日本に向き、日本人の心を失わないように努めているということである。

ジャズに心底のめり込めばアメリカ人になりきったとしても不思議ではないが、そこまでふん切れないのは、アメリカ社会に潜む人種的偏見だと自ら語っている。

この自由の国アメリカで、人種的偏見を口にするということは、それなりにアメリカ社会に深くコミットしているからそれが体感できるのではないかと想像する。

我々レベルのアメリカ通ならば、その表層を見るだけで、深層まで入りきらないので、社会の底流にある滓のような汚い部分を見落としがちであるが、アメリカ社会に深く入り込めば、逆にそういうものまで見えてしまったに違いない。

それで未だにアメリカ市民権を得ていない、という反面、それが、そのことが、日本回帰の原動力になっているようだ。

この辺りの心のありようが、いわゆる古いタイプの日本人ではないかと思う。

ナショナリズムのシーラカンスのような心意気とでも云うのだろうか。

アメリカは仕事場だ、という発想はかなり思い切った発想だと思う。

そして、そのアメリカに厳然と人種差別、人種的偏見というのがあり、「白人の社会だ」と言い切るあたり、実に堂々たる見識だと思う。

だから彼女はジャズというアメリカ文化を借用しながら、日本を表現しようとしているところが非常に面白く興味ある所以である。

彼女のバンドのテーマ曲となている「長い黄色い道」というのは、それを正面から捉えた物といえる。

彼女はジャズを極めたにもかかわらず、自分が黄色人種という意識を強くもっている。

戦後の日本人の知的レベルの高い人々は、こういう「偏見をなくしましょう」という方向に思考をめぐらすが、彼女の場合、それを正面から生身で受け止め、それに敢然と戦いを挑むという発想だと思う。

口先の奇麗事をいうのではなく、それを容認しつつ、それに挑戦するポーズである。

それは、古い日本人の大和魂ではないかと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ジャズの交響曲

 

今回のツアーは、彼女のバンド結成30周年ということであるが、彼女はバンド結成以来、                    

自分のオリジナル曲以外のものを自分のバンドで演奏しないと云っている。

これは実に見上げた根性だと思う。

その心は、日本の叙情、情景をジャズで表現しようとするものであるし、それでもって、アメリカジャズ界に存在を知らしめるということは、日本人の心を地球規模で全宇宙に向けて説いているようなものである。

そして、それを彼女のバンドのメンバーが理解し、嬉々として演奏するということは、アメリカという国の懐の深さを我々に思い知らせるものである。

私のような生半可なジャズ・ファンが粋がって言っているのではなく、ジャズ界の大物、大御所がちゃんとそれを認めているわけで、これは実に素晴らしいことだと思う。

この日の彼女の演奏項目の中に「孤軍」というのがあった。

この曲は小野田少尉のことと自分の境遇を重ね合わせたものだと本人が言っていた。

彼女がアメリカで孤軍奮闘している姿と、ルパング島で小野田少尉がたった一人で戦っている姿をオーバー・ラップさせたと本人が述懐していたが、小野田少尉に共感を覚える深層心理には、やはり日本人としての大和魂の片鱗が現れているわけで、ここに古き良き日本人の精神構造を垣間見ることが出来る。

戦後の、一見物分りのよさそうな知識人よりも、日本人としては古武士の風貌を感じる精神構造だと思う。

大和魂というのは、やぶから棒に戦いをすることではなく、艱難辛苦に耐えながら執拗に生き抜くことだと思う。

死ぬことよりも、生き抜くことのほうは何倍も何十倍も難しいわけで、簡単な死を選ぶよりも、敢然と目の前の艱難辛苦に立ち向かい、生き抜く勇気が大和魂だと思う。

逃避という言葉が大和魂の対極の言葉だと思うが、その中でも死をもって大儀に殉ずるというのが一番安易な逃避だと思う。

大和魂というのは、その対極にある言葉で、逆境の中にあって敢然と苦境に挑戦する勇気をたたえる言葉だと思う。

彼女が日本の叙情、情景というものをジャズで表現しようとしているということは、ドボルザークがヨーロッパからアメリカに渡り「新世界」を書いたように、レナード・バーンスタインが現代版ロミオとジュリエットを目指して「ウエストサイド物語」を書いたことに匹敵すると思う。

彼女はジャズで日本を表現しようとした。

するとこれは我々、中途半端なジャズ・ファンが慣れ親しんできたものとは全く違うわけで、既存の名曲ではありえないわけである。

そこにはオリジナリテイーがあり、そのオリジナリテイーが世界の評価を得たということだと思う。

そして、この彼女の曲想というのは、当然のこと物語性を内包し、それは必然的に交響楽的になるわけである。

それをジャズという音楽ジャンヌの中でしようとしたわけで、これはもう既にアメリカのジャズ・メンの思考をオーバー・ブレイクした発想だと思う。