第二セッション
第二セッションは、科学者は予見する、と これを聞いたときは一瞬どきっといたしまして、未来は有るかというテ−マでありますから、無いという結論が出たら一体どうしようかと一瞬どきっとしたわけですが、科学者の方はこのテ−マに対していろんな切り込み方をなさっています。先程の人文学者や社会学者の皆さんとは違っていまして、物差しがうんと違うわけです。その違う方々の討論がどういうように展開するか、楽しみでございます。が差当ってパネリストの皆さんを紹介させて戴きます。
1 東京大学 理学助手 松井 孝典さん
松井理論と呼ばれる地球の起源と進化についての新しい考え方は世界の注目を集め、将来のノ−ベル賞候補のとも言われています。様々な国際学会での活躍の他、火星探査計画や政府の懇談会など公的な活動も盛んに行なっております。第二セッションの座長です。
2 アポロ9号宇宙飛行士 ラッセル・L・シュワイカ−ト
1969年アポロ9号で241時間の宇宙飛行を。さらに1973年には最初のスカイ・ラブ飛行で支援司令官を勤めました。宇宙への人間の進出は海の生物が始めて陸上に上がった時に匹敵するような、人類の転換点と進化論的に見ていたい。
3 マサチュセッツ工科大学教授 利根川 進
遺伝子は従来考えられていたように不変なものではなく、生物の成長の課程で変化することを明らかにした研究で、1987年日本人で始めてノ−ベル生理医学賞を受賞しました。1984年には45才の若さで文化勲章も受けています。
堀内
3人の方々の専門はそれぞれ違っておりますけれども、その物差しは私達の日常の感覚とはずいぶん違うんでございます。松井さんは比較惑星学というスケ−ルの大きい学問をなさっておられます。
利根川さんは分子生物学という、今度はうんと細かいところの学問をなさっております。シュワイカ−トさんはかって宇宙飛行士として地球の外え飛び出されて、宇宙の外から地球をご覧になった方です。当然物差しが大きくなっております。しかしこの3人の方々も科学者の特性を非常によく発揮されまして、科学者というのはイマジネイション、つまり想像力豊かでなければいけないということを見事に見せてくださいました。
討論がどう展開するかじつに楽しみでございます。それではお聞きください。
松井 孝典
第一セッションでは、ずいぶん違った立場の人が、それぞれ異なる視点から議論がありまして白熱しておりましたけれども、第二セッションは基本的には科学者であるということで、視点の違い、まあ人種の違いとか、文化の違いとか、あるいはそういうものはなくて、基本的なル−ルというのは万国共通ですから、そういった意味の違いというのはないと思うんですが、時間が1時間程度ですので、それと後、第一セッションでは基本デイスカッションがありましてセッションの目的とか大体のトレンドみたいなものが紹介されましたけれど、このセッションにはそういうものがありませんので、各パネリストは10分程度、それぞれの考えている問題について話して戴きまして、その後デイスカッションをしたいと思います。
この第二セッションの討論のタイトルは地球に未来はあるか? 科学者は予見する!ということなんですが、基本的には我々が今恩恵をこうむっている、現代高等技術文明みたいなものを支えている科学あるいは技術というものが21世紀にかけてどういう方向にいくのかという、それは多分人類にとってどういう意味を待っているのかというようなことが基本的なテ−マだと思います。で私自身は現代という時代を一言で言うと、人類が飢えから開放されるつつある時代だろうと思うんです。飢えから開放されるということはショ−トタイム、短いタイム・スパンで物を考えるんじゃなくてもっと長いタイム・スパンで物を考えるようになってくると事ではないかと思うんです。でしたがって、我々みたいな科学者にとってはおそらく非常にいい時代が、ある意味で実現しているわけでして、その飢えから開放されて豊かになるということの一つの証が科学の世界では実現しつつあるんではないかと、で現代という時代は宇宙についても、地球についても、生命についても可成な事が解ってきつつある時代で、特に20世紀において物理学では相対論とか粒子論みたいな物が発見されまして、それに基づいて我々の宇宙観というものは非常に大きく変わってきつつあるんです。それともう一つ重大な発見はおそらく、利根川先生いらっしゃいますけれど生命の原理みたいな物ですね、科学的に生命現象が理解され始め、いろんな原理が見つかり始めたということが大きな発見ではないかと思いますけれど、その結果として我々、現代、目に見える形でその人間が、人類がこういう文明を持ったことの一つの影の部分として、環境問題みたいな物も出てきているわけです。いづれにしても、これから21世紀というのは我々が地球や宇宙や生命のことを知ると、そして知ったことを如何にこの人類に応用していくかということ抜きには語れない時代であろうというわけで、これからこのセッションではその21世紀の科学技術の役割みたいなものを、シュワイカ−トさんから、宇宙へ出たということを通じて、そういう問題を語って戴けることと思うし、利根川先生からは人間が大脳資質が非常に発達した生物である、その脳を持つということの生命にとってどういう意味をもつのかという種類のことから、21世紀の人類への科学の貢献みたいなことが話して戴けるんではないかと思っています。ではシュワイカ−トさんから10分程お話をお願いいたします。
ラッセル・シュワイカ−ト
松井先生ご紹介有難う御座いました。まず最初に第一セッションに敬意を表したいとおもいます。私が期待した以上に鋭い意見がだされ、又色々な問題点を明らかにしてくれた討論だったと思います。ではこのテ−マに最初の部分、地球に未来はあるかですが、明らかにこれ自体は問題にならないと思います。が間違いなく地球には未来があるのです。これは疑う余地は有りません。丸い球形の物は今後も同じように地球の軌道を回ることでしょう。問題は生物圏、あるいは、実際人間の営みによって影響を受ける生活圏に将来があるかと、そして人類の文化に未来があるか、又個人的には孫の時代、これから将来の世代の人々に未来は有るかということになると思います。恐らく未来はる有ると言えるのではないでしょうか。しかし、未来があるかどうかという、それだけがここでの問題になるのではなく、どういった類の未来があるのか、孫、子供、あるいは将来の世代が21世紀に向けて、どういった将来を期待できるのかということが本当の問題ではないかと思うのです。そして何が、誰が、どうやってその将来を決めていくかが重要なんです。
この問題を考えるにあたって、まず最初に考えなければならないのは、私達がどういった未来を望んでいるのかをまず考え、そしてそれが実際可能かどうか、さらにはどのようにその未来に影響が及ぶのか、などについて考えてみました。そして全てもう出来たとは言いませんけれど、リストを作ってみましょう。まず共通して言えることは地球全体でより公平な社会の実現を誰もが望んでいると思いますし、又万人の個人の安全が保障されることを望んでいると思います。少なくとも人災からの安全の保障を望むだろうし、又より高い生活水準を望むでしょう。そして個人個人のより多くの時間が知的な、芸術的な欲求を満たすために使われる、使うことが出来るという意味においての、高い生活水準を望んでいると思いますし、又健康的人間集団、健康的世界、そして、多様性に富んだ、楽しい環境を望んでいると思います。又私達に共通して言えることとして、将来は個人及び集団での調和をめざしていると思います。一方知的で非常に様々な経験をするということで人類は色々な挑戦と出合うこともあるでしょう。又それが持つ意味が何にせよ、個人個人が知的な成長とその他様々な面での成長を皆共通に望んでいると思います。他にも色々有るかも知れませんが、皆が共通に望む未来、将来というのはこういった要素から構成されていると思います。では現状は今何処にあるのかということを考えるんじゃなくて、こういった未来の実現性についてプラスの面とマイナスの面のリストを作ってみたいと思います。まず最初にマイナス面からですが、環境面の問題としてはオゾン層の破壊、地球の温暖化、又有毒廃棄物、科学廃棄物による環境への負担、並びに種の絶滅等といったことが全て環境面でのマイナス要素です。又最近の政治的な変化にもかかわらず無視できないものは、今だに核兵器の可能性が無いとは言えないこと、又原発事故の可能性もないとは言えないことです、又さらに人口増加、エネルギ−需要の上昇、世界全体における平等な状況を望む気持ちの高まり、あるいは資源の枯渇なども21世紀にマイナス面から影響を及ぼす様々な原因だと思います。その他にも21世紀にどうしても避けられない問題が、資源戦争だと思います。世界で始めての資源戦争が目前に迫っているように思います。さらに国境を越えて経済難民、環境難民の移動も21世紀には起こり得るだろうし、またさらに、それに加えて現実に起こってしまっていることですが、病気と医薬品が合併して生まれてきた新しい病気、例えばエイズのようなものも大きな問題となるでしょう。以上述べたようなものがマイナスの要因として考えられます。次にプラスの要因を考えてみたいと思います。前回のセッションでもこの点は指摘されましたが、技術面ではますます小型化が進み、それによって材料、つまりエネルギ−需要を減少させるでしょう。これはコスト削減につながり、ひいては先程の平等の問題にも絡んでくるでしょう。又もう一つのプラス面としては知的な部分の重視が見られるでしょう。知的という意味は知的なシステム、知的な技術という意味です。又情報への傾斜が強まり、情報の技術も同様に重視されるようになるでしょう。、又想像力も今まで以上に大きな意味を持つようになりましょう。或いはこれまで語り合ったことがないものが現われるかも知れません。例えば本物のように見える擬人像というようなものです。さらには情報へのアクセスが世界規模で進行するでしょう。例えばコンピュ−タ−とかマイクロチップなどへのアクセスが小型化によるコスト削減によって、より容易になります。そういうことでこのような技術や情報が世界のより多くの人々の手に届くようになるでしょう。又もう一つ21世紀に影響を力を持つ事実は、地球全体のシステムの開放ということです。今世紀はゼロサム・ゲ−ムです。即ちあなたがあるものを手に入れたら、私はそれを手に入れられない、だから私が勝つしかないというような閉鎖型システムの究極的なところにきております。しかしながら私は21世紀に向けては開放されたシステムが台頭してくるものと予想しております。さて、ここで話を宇宙に移しますがエネルギ−、太陽エネルギ−並びに素材などの供給に宇宙を活用することによって、地球への負担が軽減していくことが可能になっていくのではないかと思うのです。又さらに私が最も重要だと思うことは、セッションのなかでもあちらこちらに出てきましたけれど、宇宙へ行くことで新しい意識、つまり地球に居るだけでは持てない認識、地球は一つだという意識や、同じ星に住む全ての生命に対する連帯感というものが生まれてくることです。このような新しい考え方によって何が生まれてくるかははっきりとは分かりませんが、地球は一つという見方があなた対私、彼ら対私達という考え方よりもより健全だと思います。この様にマイナス面、プラス面、両面を考えた上でこのセッションの後半のテ−マである科学者としての予見について考えてみます。
勿論処方箋としてはマイナス要因を排除し、そしてプラス要因を出来るだけ強調するということが、まさにここにお集まりの皆さん、若い世代、そしてこれからの若い世代にとって一つの課題であり、挑戦だと言えるでありましょう。ですからシステム全体を開放できればプラスの効果が多く期待できると思います。勿論それに加え私達は情報技術が発達することで、居乍らにして世界中の情報を集めることがますます活発になるでしょう。そして是非云っておきたいことは科学技術は私達により大きな可能性を開いてくれるということです。やはり科学技術は21世紀に対しても大きな影響を与えるに違い有りません。
では、私達はこの問題に関して楽観的なのか、それとも悲観的なのかということですが、確かなことは希望を持たなければ道は開かれない。そして我々がある程度希望を表明しなければ将来何の希望も持てないであろうということです。少なくとも私が今お話しした様な将来に対しては希望は持てないと思います。ですから、希望を持つためには受け身的な物の考え方をしないで、集団の英知を結集して、将来意識的な進化や厳選を人間が実現していかなければなりません。
私はこの事を21世紀における挑戦であり、先程より出ております光と影の中でのこれからの希望だと思うのです。
松井 孝典
どうも有難う御座いました。それでは利根川先生お願いいたします。
利根川 進
今、ドクタ−・シュワイカ−トさんから非常に、アストロノ−トとしての経験に基づいたビジョンが述べられたと思いますが。私はトウエイニングとしてはいわゆる分子生物学という物を専攻しております。私が今10分程かけて申し上げようとしていることは、生物学者、分子生物学の分野ですけれども、生物学者として近未来において、21世紀ということになっていますが、今から70年、80年、100年後どうなっているかということを触れていくということは不可能だと思います。これはまあ皆さんおっしゃっていますが、仮にそういうことをやっても当たる確立は非常に低いと、近未来について、即ち、これから20年、30年の間にどういう、サイエンスの発展というものが、どういう状態になっているか、特に生物学の分野においてどうなっているのかということを、間違いを起こす危険を無視して、私見を申し上げたいと思います。
ご存じのように今世紀はサイエンス全般を見てみますと、物理学を中心とした自然科学、即ち人間を取り巻く自然界を対象とした学問というのが、自然科学が非常に発展しまして、その発展の延長として科学技術が進展、それが現在の我々の生活をいろんな意味で規制いして居るわけです。それに対しまして、私は仮に個人を取り巻く自然に対する研究と対照されまして、人間が人間自身を研究すると、人間の研究ということが生物学の究極的な目的だと云う風に考えていいと思います。現在自然科学の研究が進むにつれてよく、既に云われていますように高度な技術の発展とともに人類はその恩恵を一方で得ると同時に、その発展がもたらした活動、経済的な活動とか、その他の活動によって人間を取り巻く地球という自然環境に弊害を色々もたらしている。そういう状態になっているわけです。従いまして、これから21世気に掛けて自然科学の分野においてはそういう自然環境の破壊に対処するためにも、科学というものを発展させる圧力というのが益々強くなってくると思います。そういう意味で自然科学はそういう方向に発展するであろうと、それからもう一つ、地球上の人類にとって大きな問題は人口の増大であります。最終的には現在もうすでに行なわれているように宇宙スペ−スの開発と、いづれは宇宙に向かって人間が現在のような実験的なレベルではなくて、実際に宇宙環境というものを、宇宙スペ−スというものを、人間の生活圏の中に入れる方向に行かざるをえないのではないかと、そういう風に思います。そういうプレッシャ−が強くなる。従って、スペ−スの研究というのは、益々発展するであろう、そういう風に思います。で私はその、今言いました様な分野についてはご存じのように専門家では有りませんので、先程も言いましたように、ここで人間の理解という方向に話を絞りたいと思うのです。今世紀の分子生物学の進展、或いはそれとも関係ある話ですが、進化論、ダ−ウインを初めとした進化論の、より精密な進展によって、我々の人類と、我々が呼んでいるホモサピエンスのその世界における、占めている位置というのが、それに対する概念が非常に変わってきたと思っております。即ち、人間というのはそれまで考えられていたような非常な特殊なものではなくて、これは生物一般の進化の一構成員にすぎないと。そうしまして他の諸々の種と同じように進化の基本法則にもとづいていづれは地球上にある期間存在した後、これは消滅するものであるという概念が、我々の常識になっているわけです、皆さんは本当にそういう風になると思っているかどうか私は知りませんが、少なくとも生物学者はそういう風に考えている。そういう冷酷な真実というのを我々は知ってしまったのです。同時に物質世界とは一線を画していると思っていたその生命の世界、生命というものの神秘のベ−ルというのが次々に剥がされていったと、即ち、我々人間というのは他の目の生物と同じようにDNAという巨大分子を遺伝物質として持ておりまして、その物質が絶大な力を発揮して我々の性質というものを、人間という生物というものを決めているという、そういう現実が我々は知ってしまったのです、そうしますと我々はこういう進展に伴って人間というものを本当に理解したのであろうかと、人間は一体どう云うものであるのか、ということを理解したか、という質問をしますと、私の考えでは、実際は我々は我々自身をほとんど知らないと言っていいと思うんです。それは科学的な、厳密な基準に基づいたレベルの話ですけれども、そのレベルにおいては一体人間というものがどういう物かということを本当に我々は知らないのではないかと、そういう風に私は思います。その理由は今まで行なわれてきた生物学、医学というのは、結局その人間の肉体を対象にしてきました、或いは人間を取り巻く生物の肉体といいますか、体の対象にしか学問が発展してきたのであって、我々が心とか或いは精神といっている、ある完全にそうではないんですが、人間に於いて非常に発展した、進化した、人間の部分、しかも人間にとって人間の最も人間らしくしている、我々の部分については非常に情報が少ない、研究が発展していないというのが現在の状態であります。
ここで一体人間が人間の精神についてどれだけ研究することのよって理解することが出来るかという問題があります。特に自然科学の方法を使ってどれだけ理解できるかという、ある意味で哲学的な問題があるわけです。ご存じのように我々はその頭から上がなくなりますと、いわゆるマインドと呼んでいるいうものが無くなってしまいますから、明らかにこのブレ−ン、頭脳という、こういうことに頭のなかに存在している物の中に、その精神とか心と呼んでいる物の物質的な基盤と云うものがあるわけです。これを一つの非常に複雑な機械とみなすことが出来るというのが私の考えであります。
こういう云い方をしますと非常に尊大な考えとか、或いはショッキングな考えだとおとりになる方もいらっしゃると思いますが、これは現在のところ生物学者としては進化の基本法則に基づく理解をするならば、人間の頭脳というものが他の人間、或いは生物の器官と本質的に違った機構というか、原理を持っているということは非常に考えにくい、従っ頭脳の研究というものを、この脳の中で起こっている現象の研究というものを生物学の方法で研究していくことによって少なくとも我々は今の状態に比べれば、はるかに多くのことを理解することが出来ると、人間について理解することが出来ると、云う風に言っていいと私は確信しております。例えば我々はそれぞれ個性というものがあります、性格があります、物の好き嫌いがあります、或いは嫉妬をだいたり、愛情をもったり、そういう情緒的な活動というものが有ります。そういうものが一体どういう機構で、どういう物質の作用で、物質同志の作用、或いは細胞の機能、或いはもっと複雑なレベルで細胞同志のつながり具合、そういうものを統合した脳というもの、そういうものの中で何が起きているのか、きれいな花を見たとき多くの人が、これを奇麗だと思う、ある種の音楽を聞くと全てではないですけれど多くの人がこれは気持よくなると、何故気持ちがよくなるか?何故違う価値観を人間が持つか?どうして本質的な意見の違いが出て来るか?そういうことは全て頭脳という物の中に持ち込まれた情報の積み重ねと、それから頭脳が持っている遺伝的な組成、そういうものの組合せの発現であろうという風に考えるわけです。従いまして、私はこれからの21世紀に残された生物学、或いは医学といいますか、人間研究の最後のミステリ−の最後の砦が即ち人間精神の研究であると、そういう風に思っております。
松井 孝典
今、お二方にそれぞれの方が今回このセッションのテ−マに関して持っている考え方を述べて戴きましたけれど、1時間で科学技術の何とかを語るということは殆ど不可能である。あらゆるテ−マが関係してくるわけですが、これからの議論はテ−マを二つに絞られるんではないかと、一つは我々がここにいらっしゃる方は皆基本的には自然科学のバックグランドを持っている人ですから、近代自然科学の方法論というものを採用して物事を考えているわけです、基本的には要素還元主義というか、機械仕掛けの自然を理解してくれという意味ですけれど、機械仕掛けの自然を理解していくときに、機械仕掛けの部品のレベルまで分解して行くことによって全体が見えてくると、そういう考え方に立っているわけです。これはまあデカルト、或いはニュ−トン的な自然科学といえるかと思うんですが、人間と自然との関わりをつなげていくと規定しているわけです。人間というのは自然を認識する主体である。人間と自然との間に大きな壁を築いたわけですね。今、利根川さんがおっしゃったことは、それも人間と自然を分けてきた、この壁が取り払われていくと、人間と自然の一番人間たる所以である脳の問題も恐らくこれまでの自然科学の考え方の延長上で理解できていくであろうという予想を述べられた。この問題が一つ有ると思います。それからもう一つは人類は進化する存在かどうか、これから未来に向かって発展していく存在かどうかということがもう一つの大きな問題と思います。その時には、例えば人間も生物の一つだとしますと、生命というのはニュ−フロテイアに進出することで進化しているわけですね、海から陸に出るということで生命というのは進化して人間にまで至っているわけですが、海にとどまった生物というのは少なくともその間は生まれなかったという意味ではニュ−フロンテイアというのが進化してきている非常に重要な問題で、その場合に人類が進化する存在だったとしたらニュ−フロンテイアというのが必要なのかどうかという問題があるわけです。
堀内
科学者の皆さんの発言は非常に率直で御座います。私がお聞きして三つのことを考えさせられました。一つは皆さんがお上げになる材料、デ−タでございますが、それをパットこ云う風に判断される素晴らしさですね、例えば20世紀までの地球上の人口の増加をグラフに描いてみますとこういう風に幾何級数的に大きくなる。これを見ますとなんとかしなければ地球はもう駄目であるとパットと判断なさいます。では暗いかというとそうではなくて、もっと物差しを大きく取って見ると、人類がここまで発展してくるためにはニュ−フロンテイアですね、新しいフロンテイアを絶えず開拓する度に進化を繰り返してきた、大きく見ればこういうことが云える。これ二度目にお出しになりました。両方突き合わせてみますと、三つ目の答えが出てきます。甘い希望的観測は避けようではないか、むしろ冷静に構えて行ってその先に人間の可能性を見付けようではないか、出来るだけ謙虚に問題を考えてみようと、科学者の皆さんがこういう態度で提言なさっているのがよく解りました。後半が楽しみです、ご一緒に聞くことにいたしましょう。
松井 孝典
二つの問題について、これからデイスカッションを続けたいと思います。まずシュワイカ−トさん。
シュワイカ−ト
まづ、今の質問の前半、或いは最初の質問にお答えするために、ベルさんとガルブレイスさんに、そして梅原さんの間の議論に戻ってお話をしたいと思います。即ち女性を含めた人間と自然を並列において物を考えるという考え方ですが、私個人にしてみればこれは人間と自然の話をする上で、人間がまるで自然の一部ではないという考え方を初めから正統化してしまっているように見えるのです。これは西洋の傲慢な見方かも知れませんが、やはり人間と環境についての話をするときには、人間は自然と別の物ではないという視点からまず話合うべきだと思うんです。これが先程の二つ目の質問につながっていくと思うんですが、即ち、科学と技術という手段を使うことによって自らの進化、変遷に影響を与え、それをさらに加速させることになるという点ですが、この問題はそう単純な問題ではありません、その将来持つことになる、或いは、既に手に入れている手法や道具の持てる力をまず考えなければなりませんし、それを考慮に入れずに語ることは出来ません。
その道具ですが、例えば利根川先生の研究されている遺伝子工学などの生物学的な研究から、段々新しくて非常に強烈なものが生まれつつあります。これも最初のセッションの話に戻って話をしたいと思います。つまり本当に私どもが21世紀に向けて直面する課題、挑戦というのは即ち今後開発されていく、こうした何でもできそうな道具をどう使い、どう応用していくか、その場合の姿勢とか、それにまつわる価値観のことだと思うのです。要するに道具そのものはではなく、その姿勢とか、価値観というものが21世紀の生命の質といったものを決定付けていくことになるというわけです。もし、地球上の全ての生命、自然、環境というものを正しく尊重するものであれば、非合理な形であってはなりませんし、又第一セッションで、もしかしてベルさんもちらりとおっしゃったかも知れませんが、尊大な形であってもなりません。正しいのは自然をきちんとした形で尊重し、その尊重に則って道具とか手段を活用するというやり方である。そして場合によっては自然というのは神聖だという姿勢を私達の価値観に取り入れることも必要でしょう。そうすれば必ずうまくいくと。成功すると私は信じております。しかし、日本を含む西側産業国家が今世紀そうなったように物質面に重点をおく姿勢が今後も続くのであれば、勿論この道具は有効利用されないというマイナス面が出てくるでしょう。私はこれが今後開発する道具そのものよりもずっと大きな挑戦になると思っております。
利根川 進
今、シュワイカ−トさんからある意味ではフイロソフイカルなビルの披露が有りましたけれど、その点についても私はデイスカッションしてもいいですけれど、一つ、シュワイカ−トさんに質問があるのですけれど、それはですね、スペ−ス・サイエンスの専門家として私がさっき言った、そのスペ−ス、その中を人類の生活圏として利用する、そういう、その可能性というのは具体的に一体どのくらいの期間にどのくらいの規模で可能性があるのでしょうか?即ち、今さっきも言いましたように、この問題に対して答えが無いんですけれども、よく言われていることですが、松井さんの本も読んだこと有りますが、人口の爆発というのはすごいですよね、世界の人口というのは物凄い幾何学的、級数的な数で増えているんです。そうしますと地球という生活圏のなかではこのままではとてもある時期からはみ出してしまう、しかもその時期というのはそんなに遠い未来ではない、そのひじょうにシビヤな入れ物の問題というのがあるのですけれども、スペ−スの利用というのは本当にプラチカルに、或いはフイ−ザブルなものなんでしょうか?
シュワイカ−ト
残念ながら答えはノ−です。勿論宇宙空間の利用、並びに宇宙資源の利用というのは、人類や地球環境にとっては大変重要なことで、しかしながら、それは人口問題の解消という形ではありません。宇宙空間を利用することによって、人口問題を解決する必要というのは完全な神話なんです。人口の問題の解決の方法はもう既に解っていると思います。
すなわち、平等、公平、経済的な安定、福祉の実現、そして国によって異なる歴史的かつ文化的なパタ−ンの問題の解消といったことが、人口問題の鍵なんです。ですから、人口問題にはこれ以上入らずに、宇宙の利用の重要性について少しお話したいと思います。
なぜなら、そこに21世紀の日本にとって大変面白い課題が存在すると思うからです。
日本はこの何十年間にわたって小型化、ミニチュア化応用面で非常な進歩を遂げています。ただ単に発明者として評価されているだけでなく、大変効率の高い小型化技術によって、商業的な製品を作り上げる能力を持っております。ですから、益々小型化に向かう技術を今後世界へ向けて提供していくことになるでしょう。そういった意味で日本は技術の面でもとても可能性を秘めているといってもいいと思います。ところで、エネルギ−の問題ですが、こうして地球に根ざしてエネルギ−の問題を語り合うのは全くばかげています。なぜならば私達は想像しがたいほどの太陽エネルギ−が目の前を通っている中に暮らしているからです。大事なことはその太陽エネルギ−の一部をどう地表に持ってくるかということなのです。もしこのエネルギ−を活用することが出来れば油田は要らなくなるかも知れません。ですから、将来この太陽エネルギ−というものはゼロサム・ゲ−ムを超え、プラスサム・ゲ−ムを可能とするシステムの開放の糸口になると思います。そして日本はその点に関して非常によい立場にあると思うのです。
松井 孝典
今の問題に関してですけれど、恐らく宇宙は利根川先生がおっしゃる意味での人口問題を解決するニュ−フロンテイヤとしては成立しないと思いますね。で、といってシュワイカ−トさんがおっしゃった資源的な意味で、或いはエネルギ−的な意味で利用するということも、これもそれを利用すれば人類がもっと多数の人々が地球に住めるかというと、そういう事でもないと思います。というのは、結局、それは文明の本質を問うことになりますけれど、我々がエキスパンドしていくときに地球の資源とか、エネルギ−を使う、それを使いきったら今後は太陽系の物を使うということを、太陽系にある資源とかエネルギ−、太陽も含めて使うと、さらにそれを使っていこう、人口が幾何級数的に延びて、技術も幾何級数的に進歩するというとその発展の延長上には恐らくそういった思想があるわけですね。果たしてそれが正しい事かどうかということがまず第一点ある。で、その時、やはり人間は何だのだろうかということが、やはり、定義の問題が絡んで来ると思いますね。それでも、ずっと生き続ける存在が人類であると、宇宙の進化の中で、先程の進化論の中で人間というものは永遠に存在できないとおっしゃいましたけれど、宇宙空間が誕生して進化していくと、デカルト、ニュ−トン的な宇宙と、今のビッグ・バン宇宙とはそこが違うわけですね。始まりがあって、終わりがあると、人間もその中で存在するのだとすると人間はどういう存在なのかということをどこかで定義しなければならない。で、そういうことが果たしてこれから脳を科学として解明していくところから新しい方向が出てくると思えるかどうか、ということを利根川さんにお聞きしたいんですが。
利根川 進
人間を生物学的に考えて、人間というものをまあどういう風に定義するか、進化の過程で人間というものが変わっていくもんだという見方も出来るわけです。有名な分子生物学者のモ−ノ−というのが、「偶然と必然」という本の中で書いておりますけれど、彼も確信があるわけではないけれども、ひょっとすると人間というのは、その人間自身の進化を制御する能力を獲得した生物であると、即ち人間が行なう活動によって人間の生物としての人間の進化に、進化の仕方に影響を与える、そういう能力を、或いは獲得したはじめての生物かもしれないということを30年前書いております。まあそういうこと有るかも知れません。それで先程僕は質問したんですけれど、例えば、今さっきお二人、否定されまして非常に僕は悲観しているんですが、その人間が、人間自身が作り出した技術によって、地球という環境から抜け出して、宇宙の非常に異なる、地球とは異なる環境の中で生きていけるような、そういう技術までも獲得したのであれば、今 モ−ノ−が言ったような環境の非常な違いに対して長い期間を掛けてアダプトするような、適用するような、いわゆる人間の変種が出来てくる可能性が有ると思うんです。
地球上にコンファインされている状態で人間自身が生物的に非常に、目に見えた状態で生物学的に変化して、より地球環境の中でアダプトした生物になっていくかどうか。それは僕は非常にヘシミスティクです。即ち地球環境の変化というのは、そんなに、既に何億年と人間というものが生物として存在してきているわけですね。その間に人間は生物的には全然変わっていないわけです。だから、この環境に居るかぎり我々は、私は、人間は生物としての変化は殆ど無いだろうと、そういう風に考えるのが妥当だと思います。
これはまあサイエンティフイックに証明されたことではないですから、サイエンテイフイックなファクトとしてとってもらっては困るのですが、我々、サイエンスをやるときに、証明されていない事でも自分では絶対正しいと思う、感に頼ったガイドが有るわけです。その感に頼りますと結局私は人間の脳というのは大脳質が非常に発達して、その中で一番発達したことは、好奇心だと思うんです。人間というのは他の動物に較べて、他の動物にも好奇心有ります。有ると思います。けれども人間の脳が他の生物の脳と非常に違っているところは、好奇心というものが非常に強く、どっかその好奇心を司る脳の部分が非常にデイベロップしてしまったということがあると思います。従って、人間が自分が知りたいことを、人間が知りたいことを法律を作って、或いは強制で抑えることは不可能であるというのが私に基本的な考え方です。従いまして、脳の、人間が人間を知りたいという欲望を抑えることは不可能だと思います。不可能という意味は人間であることをやめる以外は不可能であると、従って、我々はその結果をどういう風に利用するかということとは無関係に、我々人間というものがどういうものであるかを必死になって知ろうとするであろう。それが複雑な人間が構成する社会の要請から、要請に基づいて人間を滅ぼす方向へいくかどうか。今のところ何とも言えない、たださっきのお二人の、人間が人間の進化を・・・・・・・・・
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