はしがき
以前より「対談 21世紀」という番組を見たような気もしていたが、どこの放送局で放送していたのかも無関心であった。
番組も真剣になって見た覚えもなかった。
けれども、昨年(1990年 平成2年)、新聞を見ていたら「対談 21世紀 地球文明の創造」というタイトルでシンポジュウムが開催されるという記事を見て、早速応募しておいた。
ハガキを出したことも忘れた頃、通知が来て、当日出掛けてみた。
当日は雨が降っており、傘をクロ−クに預けた記憶がある。
このような大規模なシンポジュウムに参加したのは初めての経験でしたので、会場に入って時はいささかびっくりした。
けれども人の話を聴くときは前にいかなければならないと思っていたので、前から5〜6列目の中央付近に陣取って傍聴することが出来た。
話を聴いているときは、一つ一つ納得できて、頷いていたけれど、会場から出たとたん、さっぱり忘れてしまった。
ただ傍聴したという漠然としたものしか残っていなかった。
手元にパンフレットが残っていたので漠然とした余韻だけが残っていた。
しかし、いい話を聴いたという充実感には浸っていた。
その時の説明でこれが中京テレビで放送されるということも分かっていたが、詳しいことは、例えば、正確な日時とかはその時は忘れてしまっていた。
しかし幸いにして、その放送はビデオに収録することが出来て、手元に残った。
そのビデオを見て新たに感動する有様であった。
自分の記憶力の腑甲斐なさに辟易しながら、新たな気持ちでビデオを見た次第である。しかし、討論会を一番前で見ていたものにとって、ビデオの映像というのは差ほど新鮮ではなかったが、話の内容が落ち着いて聴けるし、ビデオで再三繰り返してみることが出来るという安心感から、味わって観賞することが出来る。
中京テレビの企画をJR東海とホテルナゴヤキャッスルが協賛するという形を取っていたが、放送の時間が真夜中で、一番視聴率の悪い時間帯であった。残念な事である。
このような硬派の番組をゴ−ルデン・アワ−に放送しても、見る方の人が選択しなければ意味が無いことは理解できるが、誠に残念な日本の文化的傾向だと思う。あれだけのメンバ−を揃えるだけでも、一つの地方の放送局では大変な事だろうと思う。
私は、個人的な偏見で、このような企画はNHKの独断場だと思っていたが、なかなかどうして立派な企画であった。
NHKにも引けを取らない立派なものであった。
けれども、あれをゴ−ルデン・アワ−でなく、深夜に放送しなければならなかったところは、一地方局の泣き所であったに違いない。
「対談21世紀」というのは今でも続いている番組であるが、やはり深夜の放送には変わりがない。
内容的には深夜では勿体ないものであることにも変わりはない。
シンポジュウムを聴いての一番の印象は、中沢新一とか松井孝典という、日本の若手の学者達は世界の著名人と堂々と渡り合うことが出来るということが、私にとって本当に驚異であった。
彼らは全く物怖じせず、堂々と自分の意見を述べることが出来る。
やはり我々凡人から見れば、日本人の中でも異質の日本人に見えてくる。
利根川進なんかは日本語よりも先に英語の方が出てくるなど、文字どおりコスモポリタンである。
討論のなかでもでてきたが、これからは国境というものがだんだん無意味になりつつある。
私も意識のなかでは、国境など問題ではないと思っており、息子などにも日本にこだわる必要はない、世界中何処にでも行って好きなことやっていいと言い聞かせているが、21世紀まで待たなくても今既にそういった世界が目の前に存在している気がした。
そうした視点から出席者のメンバ−を見ると、哲学者の梅原猛が日本というしがらみに一番縛られていたように見える。
コスモポリタンをめざすということは何も日本を否定する事ではないが、活躍の場を地球全体に広げるということである、
この小さな地球においても、そういう意識に欠けた指導者というものが存在するため、口で言うのは簡単であるが現実はそうもいかないと思う。
しかし、私の意識の中だけでもそうした広い視野を持つべきであろうと思っている。
この討論の行なわれた時点では、すでにイラクはクエ−トに侵入しており、イラクの建設に携わった人々をゲストと称して人質に取っていた時期で、湾岸戦争こそ始まっていなかったけれど、討論の話題にはなった。
こういった世界共通の問題に対しても、西洋人と日本人の取え方は違っていた。
西洋人の発想は非常に戦闘的であるのに対し、日本人の捉え方は非常に情緒的であるように見えた。
これは1991年2月23日現在、ブッシュ大統領がイラク・ソ連の調停案を拒否するという形にも現われているように見える。
物事に対して戦闘的に対処しようとしている。
これは国民性の違いというよりも、国民性による物の見方の違いといえるのではないかと思う。
日本人は何処に出掛け、何処に住んでも日本人であることから抜けきれないのではないかと思う。
この討論を文章にしたのは私の遊び心である。
別に深いわけがあるわけではない。
単なる暇つぶしにすぎない。
けれども、その過程で各パネラ−の言ったことを反芻しながらの作業であった。
平成3年2月24日