テントを撤収し、コンビニへ買い物に行くと、青葉にきているはっしーさん達に偶然であった。 我々は今日は高倉山で登る。 貸切だった。
「青大将 10b」FL、 「オレ、オレ、オレ 10c」OSm、 「エイビー・ロード 11a」OSm、 「ブラック・ダイヤモンド 11b」2回目でRP、 「三大明神 11c」2x、という結果だった。
100岩場にでている北の岩場への行きかたはまちがっている。 メインの岩場に行く手前から左に分かれるよく踏まれた道をたどると数分で到着する。
暗くてじめじめして虫の多い作業道を歩いて岩場へ向かっているあいだは、こんな所に岩があっても全然登る気にならないだろうと心配になった。 しかし、岩場は尾根上の比較的明るい所にあり、青葉ほどではないけれどそれなりに快適だった。
染み出しもなく岩は乾いていて良い状態だった。 青葉のシーズンが終わってから高倉山のシーズンになるようだった。 アプローチに30分ほどかかるためか、あまり登られなりルートもあるようで、一部のルートは自然に帰りつつあった。 まだ登りたいルートもあるので、また来てみようと思いながら帰った。
午前中に7.5kジョグした。
21時前にA田さんとかしわ台駅前のセブン・イレブンで待ち合わせ、いわきへ向けて出発した。 ETCの深夜割引が使えるように時間調整し、いわき湯元のICを0時過ぎに出て、運動公園にテントを張った。
朝食にバウルを焼き、オークシティへ買い物に行った。 タワー・レコードで私が大塚愛のCDを試聴しているあいだに、つれはミシンを買った。
のんびりと出社した。 今の仕事の引継ぎだけして早めに帰る。 明日から休みなので、仕事のことは休暇が終わってから考えることにした。
コーヒーを飲みたい気分だったので、オークシティの中にあるスターバックスへ寄り道した。 本日のコーヒーとダブル・チョコレート・ドーナツをたのみ、30分ほど本を読んだ。
夜、昔の仕事関係のおよばれでつきみ野の『うかい亭』へ行った。 自腹をきっておいそれとは行けないような高級レストランだ。 建物の外見と中もすばらしく、しばらくうろうろして見物したいと思った。
殻つき生うに、鯛のお造り(?)、そらまめの冷いスープ、鮑の鉄板焼き、サーロイン・ステーキ、デザートとコーヒーという鉄板焼きのコースだった。 ソラマメの風味が濃厚なスープと、塩釜で蒸されたやわらかい鮑と、ミディアム・レアのステーキとよく焼いた脂身が特に美味しかった。
白と赤のグラスワインもいただいた。 白はフレッシュな感じのイタリア・ワインだった。 私の好みとしてはもう少し熟成してトロリンとした感じのものの方が今日の料理には合うように思った。 赤はミディアムとフルの中間くらいだった。 もう少し香りが芳醇なほうが私の好みだけれど、飲みやすくてまあまあだった。
抽選で携帯音楽プレイヤーも当たり、よい一日だった。
津波におそわれる夢をみて目が覚めた。 ようやっと布団から這いだしてトイレへ行くと、シクシクとおなかが痛い。 昨日、食べすぎたのだろうか? メールをチェックすると急ぐ仕事はない。 1時間ほど様子をみることにした。
今日の新聞の別刷は本の特集だった。 訳者はちがうけれど、先日読み終わったレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッド・バイ』や、昨日買った『うさぎおいしーフランス人』のことも対談でとりあげられていた。
おなかは大丈夫そうだ。 9時頃に、今日回収予定の古新聞の塊を二つ両手に下げて玄関を出た。 起きたときよりは雨脚がおさまっていた。
夜、2ヶ月ぶりくらいでB-Pump2へ行った。
長ものでアップした後、ホールド変更されていた2階の『ねじれ』の壁のテープ課題を登った。
紺の課題を全部登り、茶色の課題をトライした。
茶色は4つくらいしか登れなかった。
ムラトンと総長さんも来ていた。
ものすごく混雑してきたところで終りにし、アイシングの後で軽くストレッチして帰った。
今の仕事の私の担当分は今月いっぱいで終りになる。 時間が無駄なだけの大阪出張があった以外、全体的には楽な仕事だったけれど、次の仕事では、ほとんど毎日都内の客先まで通うような事態におちいりそうだ。 満員電車にゆられて通勤するのかと思うだけでため息がでる。 客先だと時間も自由にならないのだろうと考えるだけで暗い気分になる。 でも、始まる前からあれこれ思い悩んでもしかたないので、時間がある今のうちに楽しんでおこう。
ということで相模大野へ昼食に行った。 飛騨高山のモッサァレラ・チーズを使ったトマトのサラダ、ウニのソースをからめたペンネ、カリカリのチキン、オマール海老、バナナのデザートが美味しかった。 今日のワインは赤と白とも、まあ普通だった。 どちらかというと赤のほうが私の好みに近かった。
本屋さんで『小説新潮』に載っていた井上揚水のインタビューを全部立ち読みした。
一度コンサートに行ってみるのもいいなと思った。
表紙がきれいで題名も面白い『うさぎおいしーフランス人』を手にとった。
中身を拾い読みしてみると面白そうだったので購入した。
ある意味ばかばかしい本だけど、少し疲れている気分の時にはこういう本を読んで笑ったり息抜きしたりすることも必要だろう。
夜、お風呂の中で湯船につかって歯磨きしていると、右下の歯の詰め物がとれてしまった。 たぶん中が虫歯になっていたのだろう。 また歯医者に通はなくてはならない。 都内で仕事する日が多くなるとなかなか歯医者にも行けないなと、また気分が沈みかけるけれど、夏の旅行前に直しておくよう歯が言っているのだろう。
夜、Jwallへ行った。
アップのあとでキャンパシングしたけれど、調子は良くなかった。
土曜日にむけた指の腹の皮がまだ回復していないし、肩や背中に筋肉痛が残っているので、無理せず早めに帰った。
帰宅後、軽くダンベル体操して風呂に入った。
やりたくないけど仕事関係のメールをチェックし、少しだけ作業もした。
オークシティで買い物した。
敷布団に穴があいてしまったので、新しいのを購入した。
ついでにマットレスも買った。
夕方、10kmほどジョグし、シャワーをあびてから市会議員選挙の投票へ行った。
総長さんに家まで来ていただいて、S本さん、ケリーさん、私の四人で太刀岡へ行った。 現地でcodaさん、はっしーさん、ムラケロさん、N村さん、N田さんなどと合流した。 Tさん夫妻、B2で見かける人たち、地元の人々などもくわわって、今日の太刀岡は大賑わいだった。
「バーボンを片手に」RPm、「ハッピー・バースデイ」RP、「カリスマ」3x、「太刀岡山三手 5.9+」OSm、という結果だった。
5.13aのルートというのはどういうものなのだろうという気持から「カリスマ」にさわったみた。 とうぜんのことながら難しかった。 まだできてないムーブも二箇所ほどある。 いい目標ができたと考えておこう。
厚木のサイゼリアに再集合し、みんなでご飯を食べて帰った。
Book Offでボブ・ディランのベスト版と新書を一冊買った。
早めに帰宅し、車に積みっぱなしになっていたスタッドレス・タイヤを物置に片付けた。
今朝もジョグした。 昨日のコースとおとといのコースのどちらにしようか迷ったけれど、普段は走る機会がないという理由で海沿いのコースを走ることにした。 「なにわの海の時空間」の先で遊歩道はトンネルの工事現場にぶつかって行き止まりになっている。 ここで折り返した。 さきほどまで背にしていた太陽のひかりを、こんどは顔に受けて走るようになってまぶしかった。
昨夜の雨はあがり、朝日が海面に反射している。 海から吹いてくる風はひんやりと冷たく、薄い長袖のシャツを着て走っていてちょうどいいくらいだった。 犬の散歩やウォーキングしている人はジャージの上下を着ていた。
左手の海の向こう側には、アラビアの城のてっぺんにあるような金色の桃饅頭に朝日が反射しているのが見える。 方角から判断するとユニバーサル・スタジオ・ジャパンの建物だろう。
コスモスクエア駅からホテルに向かう道にはいると、歩いている人がちらほらと目についた。 ほとんどが背広を着たサラリーマンだった。 一人また一人とスーツ姿の人間を追い抜いていくたびに、心の中のどこかから 「サラリーマンはつまらないな」 という声が聞こえてきた。 「でも他にどうすることができるというのだろう?」。
ホテル脇の道を進んでいくと、ビルの谷間の小さな緑地に桜島神社という神社があった。 それほどおおがかりなものではないがちゃんとした鳥居もたっていた。 時計とホテルの部屋の鍵しかもっておらずお賽銭はあげられなかったので、手を二回たたいておまいりした。
大阪出張は今日で終りだ。 家に着いたのは23時を過ぎていた。
ホテルの正面玄関をでて、昨日とは反対方向へジョグした。 200mほど進んだところにある片側二車線の広い道路を横断すると、景色が変わった。 大きくて高いビルがぽつんぽつんとたっているだけで生活感がまったくない地区から、団地や学校があって生活のにおいがする場所になった。 昨日ジョグしたコースではたまに一人であるいているサラリーマンを見かけるくらいだったが、ここでは友達と一緒に学校へ向かう中学生や小学生などもみかけた。 歩いている人の数も多かった。
団地を抜け、ニュートラムの駅を越えて進むと大きな道路にぶつかり、その先には工場や港湾設備が見えた。 この道沿いにある遊歩道を進み、遊歩道がなくなった所で左に曲がり、団地のよこを走っていくと一つ先のニュートラムの駅についた。 道路にかかった橋をわたると大きな公園があった。 公園の隣には野球場も見える。 この公園を一周し、団地の中を適当に走り、もときた道に合流して帰った。 45分くらいだった。
朝、コスモスクエア駅を通って「なにわの海の時空間」あたりまで海沿いの散歩道を40分ほどジョグした。
フェリーか客船らしい大きな白い船が小さな波をたてながら青黒い水面を進んでいった。
仕事中は建物に閉じ込められているので、外へ出て散歩したりできないのがつらい。
23:30頃まで仕事した。 全体的な仕事の進め方がよくないのにくわえ、長時間労働の連続でみんな気持ちがトゲトゲしてきているのを感じた。
今日は休めることになった。 当初の予定では今日も仕事のはずだったので特に予定をたてていなかった。 いろいろ考えたが、ひさしぶりで尼崎の叔父さんに会いにいくことにした。
立花駅まで迎えに来てもらい、アパートにおじゃましていろいろと話をした。 近くの和食のファミレスで昼食にステーキ丼をごちそうになった。 ご飯を食べているときに地震があった。 夜にホテルでテレビを見て知ったのだが、三重では震度5強だったそうだ。
今は阪神競馬場でレースがおこなわれていて馬が走っているし、ちょうど皐月賞の日でもあるので
「おまえ、競馬いかへんか」
ということになり、初めて競馬というものをした。
阪急の仁川駅までの電車賃と競馬場への入場料は叔父さんが払ってくれた。
広い芝生の広場があり、公園のような雰囲気だった。
家族連れがビニール・シートを広げてくつろいでいた。
皐月賞のようなG1レースがあるときには指定席はすぐに満席になるらしい。
好きな人は開門前から並ぶのだそうだ。
いろいろなかけかたがあり、マークシートへの記入方法を理解するのに時間がかかった。
阪神で行われていた二つのレースと中山の皐月賞と全部で三つのレースにかけたけれど一つもあたらなかった。
仁川駅に歩いて帰ると、ちょうど梅田行きの直通電車が待っていた。
叔父さんとは塚口で別れた。
「こんどはいつ会えるかわからへんけど、元気でな」と言って、叔父さんは少しでた腹を前に突き出すようにしながら肩を振ってガニ股気味に歩いて電車を降りていった。
昨年末に勤めていた会社を辞めて今は失業保険でくらしている叔父さんだけど、いつもどおり明るく元気な様子だった。
以前に田舎であったときに、
「おまえ、ため息ばっかりついているなー」
と言われてハッとしたのを覚えている。
自分ではそんなつもりはまったくなかったのだけれど、気をつけて自分のことを観察してみると、たしかに、なにかにつけてため息をついていた。 それからはしょうもないことでため息をつくのはやめにした。 そういうふうに心がけていると、だんだんとため息をつくことも少なくなり、楽しいことが増えたように思う。
地震の影響で電車に少し遅れがでていた。 コスモスクエア駅から長い散歩をして帰った。
ホテルの20階にある和食のお店で朝定食を食べた。
どの品もきちんとした仕事がしてあってとても美味しかった。
感動したのでコーヒーも飲んでしまった。
素焼きの器はすてきだったけれど、コーヒーは普通だった。
ホテルをチェック・アウトし、地下鉄とバスに乗って仕事へ向かった。
仕事をおえてホテルでくつろいでいたら呼び出しがかかってきてしまい、しかたないのでまた出向いて24時まで仕事した。
でも一つも進まなかった。
肉体労働じゃないんだから無理やりこんな時間に仕事しても人生が無駄になり健康を害するだけだ。
いつもと同じくらいの時間におき、小田原から新幹線に乗って大阪へ向かった。
初めて新幹線のグリーン車に乗った。
おととい指定席をとろうとしたら既に満席だったそうで、つれがグリーン車に席をとったのだ。
椅子が大きくて足置きがついていて、おしぼりのサービスがあった。
人生の後半を優雅にすごしているように見えるお年寄りや、高そうなアクセサリーを身に着けたおばさんが多いように感じた。
今晩宿泊予定の弁天町にある「大阪で一番夜景が美しい」というホテルに荷物を預けてから、地下鉄に乗って仕事へいった。
コスモスクエア駅でバスをまっている間にパンとコーヒーで少し休憩した。
今日はめずらしく比較的早い時間に開放された。
初めて武道館へ行った。
本厚木からロマンスカーで新宿にでて、都営新宿線で九段下まで行った。
最後に式辞を述べた人は、子供の頃に全盲になり、高校生の時に耳も完全に聞こえなくなった人だった。
通常の方法では他人とまったくコミニュケーションがとれなくなり、文字通り絶望したそうだ。
目を閉じて耳をふさいでみると、暗闇の中に一人ぼっちという感覚が少しだけわかったような気がする。
この闇が死ぬまで続くと想像するだけで恐ろしくなる。
帰りは人ごみをさけてぷらぷらと半蔵門あたりまで歩き、居酒屋のようなところで昼食を食べた。
半蔵門駅へ行くつもりが麹町駅まで歩いてしまった。
渋谷から中央林間経由で帰宅した。
しばらく休憩してから、タイヤ交換のために物置からタイヤを4本運び出し、エレベーターに乗せて車まで運んだ。
夕方、7.5kmほどジョグした。
また大阪へ出張することになった。 こんどは土日も働けということだ。 今のうちに休んでおこう。
夜、Jwallへ行った。
夜の回数券を買った。
はっしーさんとまっきーさんもきていた。
簡単な課題でアップし、ストレッチしてからキャンパシングした。
あまり調子はよくなかった。
三次元ボルダーで赤四角の課題にトライした。
ムーブは解決したのでしつこく何度もやったけれど、結局つづけられなかった。
午前中、オークシティで買い物した。
タワー・レコードで大塚愛のベスト・アルバムを試聴した。
DVDがついているためか4000円もする。
なかなかよいと思ったのだけれど、ちょっと高い気がして今日のところは買わなかった。
夕方、城山公園経由でスポセンの対岸まで10kmほどジョグした。
公園はたくさんの人でにぎわっていた。
川沿いに新しい道ができていたので今度走ってみようと思う。
ジョグのあとで投票にいった。
s本さんと総長さんに家まで軽トラで来てもらい、私の車に乗って三人で太刀岡へ向かった。
現地でムラケロさん、コーダさん、s村さんと合流した。
駒ヶ根に転勤になったs田さんも高級そうなバイクに乗ってやってきて一緒に登った。
Jwallでバリバリ登っていた頃にくらべると少し太ったようだった。
「バーボンを片手に 10b」RPm、「ヤバイから逃げます 10a」RP、「Go on the bolt 11d」2回目でRP、「leマランボウ 10d」2回目でRP、という結果だった。
15時頃からポツポツと小雨が時々落ちてきたけれど、普通に夕方まで登れた。
クライミングをおえて下山し、駐車場につく頃には雨脚が強くなった。
厚木のあたりの定食屋で待ち合わせ、みんなで晩御飯を食べた。
今日も玉子焼きをたのんでしまった。
ソメイヨシノはだんだんと葉桜になりつつあるけれど、八重桜など別の桜が咲き始めた。
近くの高校では入学式をしていた。
叔父さんの告別式に出席した。 宇都宮へ向かう「Maxやまびこ」においてあった雑誌のエッセイに小野小町の次の歌がのっていた。
吾れ死なば 焼くな埋むな 野に晒せ
痩せたる犬の 腹肥やせ
叔父さんは野にさらされて飢えた犬の餌になることなく、きれいに焼かれて白い骨になった。
骨の拾い方は場所によっていろいろ違うようだ。
ここでは、あらかじめきれいにテーブルの上に焼かれた骨が置かれていて、そこから骨を拾うようになっていた。
私の田舎の火葬場では、炉で焼いたまんまの状態で運び出されてきて、少しさましてから骨を拾った。
いま考えるとなかなかリアルだ。
あまりにきれいになりすぎて現実感のない火葬よりもリアルな方が私はよいと思う。
最後はみんなこうなってしまうのだから。
最後の状態を目にすることで死への準備ができるし、それがよりよく生きることへつながっていくのではないだろうか?
新幹線の改札を出たところで妹と別れ、東京銘菓『ごまたまご』を買い、横須賀線で帰った。
夜、Jwallへ行った。
コーダさんとケロちゃんも来ていた。
少し間があいたので、リハビリ気分で軽くキャンパシングした。
そのあとで三次元ボルダーの3級課題を二つ登った。
少し体は重かったけれど、思っていたよりは登れた。
明日は宇都宮へ行くので、普段より早めにきりあげて帰った。
出張は問題がでてから行くということにしてもらった。
ようやく旅行の疲れが取れてきたように感じた。
夜、田舎の母から電話があった。
宇都宮の叔父さんが亡くなったそうだ。
あさっての告別式に出席することにした。
休み中にメールが山のようにたまっていて全部に目を通すだけで昼前までかかった。 急ぎの仕事だけ片付けて帰った。
お昼前にホテルをチェック・アウトした。
二つ使っていた部屋の一つの部屋の設備にはいろいろと問題があったのだが、また部屋をかわるのも面倒だったのでそのままにしておいた。
部屋においてあったコメント用紙に不備な点を5つくらい書き出して、チェック・アウトのときにわたした。
使っていないミニバーの料金が請求されていたので、使っていないというと、紙にサインするだけで帳消しになった。
スターバックスで雑誌などを読みながらバスがくるのを待った。
帰りの飛行機には個人テレビがなかった。
メシはあいかわらず美味しくなく、味噌汁は論外だった。
JALはイマイチなのかなという気持ちになってしまった。
路線が違うので単純比較はできないけれど、以前に乗ったANAは数段良かった。
成田ではすぐに帰りの成田エクスプレスがとれ、22時頃には家に着いた。
空港でチェックインしたのが14時くらいだから、時差の一時間をたしても9時間しかたっていない。
グァムは近い。
旅行中は広い部屋で生活していたので、我が家が本当にウサギ小屋に感じられた。