平成14年

1月29日 温泉
 2日前に会社の同僚と温泉で1泊してきた。向かったのが夕方である。
雪が降り辺り暗くなり、宿の場所がわからなくなり、一旦きた道を戻る。おや?道を間違えたかと同僚と不安がよぎる。
まてよ、携帯電話があるから電話してみようか、電話番号を入力したら圏外であった。携帯きかない温泉地を選んだのは
誰だと、小言いいながら戻る。道路にあった看板に後200Mを表示してあり、酒の飲む時間が遅れたが、
無事目的地まで着いた。小さな温泉で私達のグループと関西の人が泊まるだけてある。山間の静かな温泉であるが。
朝3時ごろ、道路の除雪車が動き初めて目を覚ました。
トイレ付きで、7000円何処にも有るような温泉である。時の流れを静かに楽しむのは良い場所である。

2月10日 恐ろしい話
 会社の休憩時間に、聞いた話だか、ある人が倒れて、入院して手術して担当医が、うまく言ったと話したまでは
いいのだが、看護する身内が、タンが詰っているのではと看護婦に言ったら、機械で監視しているから大丈夫と
言うのでそのまましていたら、患者が手遅れだ亡くなったと言う話である。医療ミスか、それとも別の原因があったのか?
とても辛い、恐ろしい話である。医療の現場では当たり前の出来事なのでしようか、水槽の金魚が死ぬように
いつもの出来事であろうか?(やは金を包むべきか)とても苦い話で有りました。
人間の命は偶然の積み重ねで生きているのであろうか、命とはなんでしようか。

2月11日 誕生日
 新聞の投書欄に、お爺さんが亡くなってからも、お爺さんの誕生日に、孫などが集まり、故人が好きな物を
買ってきて誕生日を、皆で祝うそうです。
我が娘の昨年の誕生日は、わずかな物しか買って来なかったが、今年はケーキに、好きな食べ物を
沢山買ってこようと、考えています。最後は娘の弟と母の胃袋に、納まるのである。
心暖まる話でした。

2月22日 初心者
 会社の上司がS社のノート型パソコンを購入したのだが、ローマ字入力で混乱している。ローマ字ならわかるのでは
ないかと思ったら、表が付いてないとの事、私のからコピーさせた。
今度は漢字の変換である。ことぶきが出ないと言うのだ、入力ミスだろうが、冷やかして、値切って買ったから寿の漢字が
無いのだと、いや酒を飲んで入力したからだ、まてよ・・・訛りおもくて、なまったまま入力したのではないか、それなら
いくら頑張っても出てこない。最新のパソコンを購入したまではいいのだが、周りの人がもってないので教えることも出来ない。
F社のはローマ字入力の一覧表が付いてきたし、N社のは初心者用のマニュアルが3種類あった。
だれでも分かるように、パソコンに初級用とか印を付けてくれたらいいのだが・・・・。


2月 23日 立ち聞き
 こちらの地方に、グレイがきたらしい。有るホテルに電話して、グレイいますか? ホテルマン氏の答えは、なんですか?
(分かってとぼけたか)と答えたという話です。グレイとは何ですか?歌手?色?・・・・・・。

2月 24日 お土産
 ある都市に仕事で出かけて、帰りのお土産を買うことにした、催促もされていたで、ある売店で、「職場に禿げばかりだから
はげの月ください」といったら笑っていた。四角い小箱に入っていてかさ張るので、数おおく買えないが、後日に皆でたべた。
冷蔵庫に入れたせいか、味が落ちていた。
あるメルマガでは、はげの月は隣県のお土産になっていた。女性の方が編集したので、地名が頭に無かったのだろう、
(お菓子の宣伝にならない様に名前を正確にだしませんでした。)

夜7時ころ散歩していたら、空から白鳥の鳴き声が聞こえてきた。夜空を見上げたら、>じのように編隊を組んで、北の方向へ
飛んでいくのが見えた。暗くなっても跳べるのは、国道の明かりと、町の明かりせいか、電線などの障害物に当たる事無く
うまく飛んで行けるのでしようか、暗いと敵に会う事もすくないので飛んでいるのか?北国にも春の足音がしてきた。

2月 27日 雛人形
 娘の雛人形を飾る事無く、3年が過ぎてしまった。息子と母が一緒に娘の部屋に今年は飾った。
あの世で見てくれているだろうか?、ゆきこ雛は来年も飾る事にする。オルゴールが悲しげに流れている。
病になる前に、雛人形にカビのように物がつき修整してもらった。その後不幸に襲われた。
迷信だが、人形に何か有ったときは気おつけたほうがいい、娘の好きだったスイカを上げようか。
(デジカメで撮影したが、ぶれていたので、後日載せます。)
 


3月 1日 深夜番組
 2月のNHK深夜番組再放送で「ガン」が取り上げられていた。その中で「グループ療法」が有ったが、
同じ病気の人たちが本心で話し会えば、延命の効果があると言うのだ、娘と同じ整形の病気になった人たちが、
ネットで合う、またオフ会で話す機会があれば延命効果あるのではないでしようか?。生前にメールで或る女性と僅かだが、
交流があった、病気に立ち向かう勇気をもらったのではと思っています。
テレビ電話活躍すれば、もっと効果が期待できそうなきがする。整形外科で亡くなる人は珍しいが、
たくさんの人がHPを開設して、病気を皆さんに知ってもらうのが良いのではいでしようか、
(手遅れ、発見の遅れなならいためにも)
娘は父親の前から永遠に去ってしまった。父の愛は受け止めてくれたのでしようか?。

3月 2日 予約
 2月に仕事である都市に2泊する事になり、インターネット経由で宿の手配した。一日早く行ったので、市内店舗を見て歩く、
チェックインが14時であるから、ウロウロしていたら14:30過ぎたので、急いで宿に向かう、到着時刻過ぎても連絡なければ
キャンセルすると項目が有ったのを思い出したからだ。
ホテルの名前を確かめて入ろうとしたら、中は暗いしなんと自動ドアが開かない、むーーー倒産したのか いや、奥から支配人
らしき年配の男が出できて、電気検査で15:00ころまで電気が点かない、8階だからまさか、歩いて行くとも言えず、
住所を書くが、暗い事、よく見えない。こんな事なら、メールで電気検査が有ると、教えてくれれば慌ててくる事も無いではないか、
インターネットをの活用の仕方に問題があるのではないか、特徴を理解して活用してくれたら、便利なものだが
苛立ちさえ感じる、宿は満室でなく空いていた、予約状況は満室であった。電話で予約した方が良かったのではないか、
15時過ぎ部屋に入ったが、お湯も出ない、水も使えない、暖房も効かない、泊まる所をまちがえたか?
ホテルは古い建物だが、前に営業していたレストランがなくて、ロービーで軽食の無料サービスある、朝7時ころ降りていった。
パンとコーヒー、果物、湯玉子が置いてあるだけである、中にはポケットの中にパンを入れて足早に仕事先の向かう企業戦士の
姿があった。朝食はシッカリ取って仕事に向かった方か言いかと思うのだが、その余裕が無くなったのか、空しさを感じる場面で
ありました。

3月 18日 偶然
 娘が痛さこらえて奉仕行ったことが、ある施設に仕事で2年くらい月に2〜3回行っていたが、4月から別の業者が
入ることになってしまった。息子もこの辺を通過する事もなくなった。偶然か親子その地に足が向かなくなった。

3月 24日 3回忌
 娘の3回忌を日曜に行います。31日の午前11時ころに、寒くなく天気が良ければいいが、身内で静かに・・・。
3月 30日 ハゲ
 会社内で、カツラの人が2人いるが、年配の人ばかりだから頭髪の薄い人が、お互い薄さを、でらハゲ、なからハゲ、ツルハゲ、   と言いながら、ハゲの具合を批判しあっている。私も後頭部が薄くなりつつあるが、髪の毛の多さには関心がない。           又禿げる親族がいないから、安心しているのだ。バーコードの人がいるが、そうなったら全部剃るかと思っている。

娘が頭髪が無くなり、ツルツルなったとき、「お父さん、どうだ良いだろう」と見せてくれた時があった、しかし、外出する時は
毛糸の帽子をかぶり、カツラも買った。今は懐かしい思い出に成りつつある。
4月 1日 法要
 昨日、娘の三回忌法要を寺でおこなった。集まったのは親族だけであるが、友達も呼んでみたかった。
お寺に本堂は新しくなっていてとても綺麗であったが、娘とお盆に行った時の出来事であるが、お盆ということで本堂の中は
結構人が居たのだが、座っていたら、後ろから子供に抱きつかれたのだ、娘が居るから誰だろうか?と思ったら、白人の男の子
母が日本人である。ビックリした、多分父親が、軍人なのでかと思われる。なぜかと言えば、僕が茶色系のポロシャツ、ズボンを
着ていたのである。服装の色で父親と間違えて、僕に抱き付いてきたのであろう。
 そんな思い出も新しい本堂からは感じられなくなるつつある。
読経中の焼香してくださいと言う言葉を聞き逃した。娘の事が様々に思い出していたのだ。家族に促されて焼香を
おこなった。月日は流れて3年が目なろうとしている。
 お墓参りする時に、雨が落ちてきた、娘の涙でしようか、参加者の服を濡らしてしまった。週間予報は晴れであったが、
近くに梅ノ木があり今にも咲きそうなつぼみである、命日には北国にめずらしく、早い梅の花が咲く事であろう。

30日に昼頃に、横になって昼寝したら、夢で「おとうさん 地震だ」と娘に起された、大きな地震があるのか?

4月 2日 ダイレクトメール

娘宛てのDMである、他界してもくる郵便物である。来年は成人式だから、着物のDMが多い、電話で強引に進める所もある。
後は化粧品はDMだけである。何時になったら娘宛てのDMが来なくなるだろうか、来なければ又淋しい気もする。
娘の晴れ着姿は永遠に見らなくなった。

4月 3日 亡くなってか満2年が
 娘が亡くなってから満2年になった。思い出せば仕事中に、上司がきて、ばあさんから電話があり病院に向かうように連絡があったと
言うのだ、もっと早く連絡してくれたら良いのに、僕が周りの人に事情を言わなかったのがいけないのだが、肉親を亡くした人では
分からない心境であろう。
着替えをして慌てて、タクシーの乗り病院名を言ったら、何処に付けるか、まだ亡くなった分けでもないから、玄関と言ったのだが、
慌てて乗ったからそう言ったのであろう。
病院に付き、つり銭をを慌てて貰い、中に入り、階段を駆け上がる、体力と気力と心の準備が出来ていたが、足ががくがくして、
エレベーターであがる。娘はもう冷たくなっていた。私の口からは「おねいちゃん」よく頑張ったと・・・・・・・。娘の名前を
最後に呼んであげれなかったのが心残りである。(その時はその余裕さえなかった。)


今日家族3人で墓参りしてきた、老木の梅ノ木が例年より早く咲いていた。


4月8日 フロッピーデスク
 古いFDが沢山あったので、ラベルを剥がして使用しようと思ったら、ラベルがFDに付いていて剥がれない、ただ4文字メーカーの
FDだけは、ラベルが上手く剥がれるのだ、何処でも同じ商品だと思ったが違っていた。
さすが世界の・・・・である。(Jリーグとか)3.5インチ用
4月15日 桜
 元気で生きていらたこの桜並木を通って学校、会社等に向かった所である。桜が満開である、夜桜は満月か、三日月の時が
綺麗である。今年は早く咲いたせいか、今ひとつ桜色に綺麗さが無い。娘の姿はもうない。

     


4月18日 花吹雪
 あいにく天気がわるく、昨日は雨であった。川の水は濁っている。散歩していたら、桜の花びらを拾っている女性がいたが、
何に活用するのかピンク色は長持ちしないと思うのだが・・・・。
ときたま冷たい風が吹いて花びらが舞、川の表に落ちていきます。水がきれいならピンク色が映えるのだが今年は天気にめぐまれなかった。娘が大好きなトウモロコシが屋台で売っていた。

    


4月23日 葉桜
 桜の今年開花は早く天気が良くなく、花見が良くできなかった。快晴の時はなく曇り空と雨に当たった。
桜のピンク色は曇り空の方がよく色がでる。デジカメで皆さんに色が伝わないのが残念であるが、リバーサルフイルムなら
桜色がよく出たかもしれない。
 数日前に散歩したら、花吹雪で落ちてくる花びらが、雪が降ってきたように見えてきて、路面に落ちてきました。
夕方に散歩した時は、夕日に照らされて、キラキラ輝いて花びらが道路に落ちてきました。桜は葉桜になり、森は色付き、だんだん
緑が濃くなりました。娘が使用した装具を今度どこかに載せようかと考えています。

 


遠くに見える山にはまだ、残雪が白く見える。家の周りに娘が幼児の時植えた、チューリップが今年は赤く咲いたいた。


5月 11日 
 5月の連休に姉が倒れて入院した病院に向かう。日本海が波が少なく、穏やかである。この時期の海は、夕方になると
海は凪になり、太陽が沈んでいく時の光景は、まるで絵の世界である。漁船の航跡が何処までも広がって、海面は夕日が
染めて朱色になる。
この世の世界でないような感じがする。鏡のように波がない海面に石を投げたら、何処までも波紋が広がるような気がする。
病院は田畑の真ん中に建っている。症状は記憶の一部が途切れている。

 帰りは山沿いの道をきた、山は新緑で緑が綺麗だ。絵の具で色を付けたようだ。
 

6月16日 花ことば
 ある雑誌見ていたら、誕生日の花言葉が載っていた。娘のは メボウキ(よい望み)・・・望みを天国でかなえているでしよう。
仕事の帰りまた、検査入院した、病院前の国道を通過してきた。娘は初冬の海を見て、どんな思いをしたのであろうか。
道路は整備されて、車はドンドン追い越していく、娘には二度と通る事のない道になってしまった。

7月3日 また思い出が
 亡くなってから2年と3月が過ぎようしている。
昨日のニュースで、景気の悪化で、大手スーパーが、この地から撤退す事に決まった。娘がの幼児期に、日曜日とか、夏休みに
家族で出かけたスーパーである。上の階に、ゲームセンターがあり、知っている人と、会う事が無かったので、よく行った
所である、ゲームを終えると、レストランで食事して、服など身の回り品を買ってきた場所である。
 ここが無くなれば又、娘との思い出の場所がまた一つなくなる事になる。残念である・・・・・・。

   7月31日 冷蔵庫
 昨日 冷蔵庫を買い換えた、思い出せば、娘が幼稚園に入る時買った物だ。約15年使用したが、ドアのパッキンが劣化したので、
取り替えようとしたが、メーカーにはないと返事で、娘の思い出が詰った冷蔵庫を、買い換える決断をした。
 入院中は薬も入れたし、麦茶、アイス、お菓子の材料も、いつも見慣れた物が、無くなるので、家族が居なくなる様な
淋しさを多少だが感じる。新しい冷蔵庫には、娘の物も入れた、古いのは、関東のメーカー製で長持ちしたが、今回は
 関西のメーカーで販売店が進めたので決定した。(芸能人を宣伝で使用したから高くなった製品も有るとか?)
また一つ娘の思い出が詰った物が無くなった。捨てがたい気がして、写真を撮った。

  8月2日 難病治療費
 7月末の新聞報道によると、難病治療の自己負担増になり、所得別制導入が検討されているとの事。
娘のような病気になれば、現在は少ない負担で治療してもらえるが、改正になると、負担が多くなる。
家族の精神的負担、目に見えない経済的負担、本人を支えるもの・・・・他。近くの病院に入院していればよいが、
遠方なら、交通費の負担が増す。(宿泊費の負担となる人も居るかもしれない)できるものなら、
 このままの制度で自己負担が少ないのが、難病で亡くした親の希望である。症状が良くなればいいが、長期入院、退院の
くり返しで、いつ治るか分からない、家族の願いでもあるのではないでしようか?
 財政危機の中せめて、この制度だけは大幅な、改革してほしくないのであるが・・・・「弱者切り捨て」とわ言わないが、
この制度に存続を心から念願しております。夕方になると遠くから、祭りの囃子が聞こえてくる、提灯の製作がピークだ。
此方の夏本番である。蝉の泣き声が少ないようだ。  2年4ヶ月が過ぎようとしている。

  8月13日 電話
 日中に家に居ると、電話がなり、出てみると「○○さんのお母さんいますか」・・・俺が父だ・・・誰かと聞くと呉服店
成人式の振袖を売らんが為の電話である。毎度電話が来ても困るので、名簿から削除して下さい。理由は言われないが、
もう亡くなったからと言いそうになったが、言葉を飲み込んで、残念ながら、ある理由があり希望に添えないと言った。
 だいたい呉服売りのオバサンたちは、あつかましい、必ず買う物と思い込んで電話してくる。100万円位するから
売れば儲けになるが、いい加減にしてくれと言いたい。(ヤングはチャペルで式するのに着物は必要は無いと思うのだが、)

亡くなってから3度目のお盆がきた、外は秋が感じられる。赤とんぼ舞い始めた。

  8月14日 魚
 昨日スーパーに行ったら、河豚の刺身が売っていた、それも地元産である。
夏になれば牡蠣が食べれれる。飲食店で大きいのは千円くらいで食べられる。冷酒が合いそうだ。
6月頃は鯛がたくさん獲れて、刺身などで食べた。(ある所で見たが、原産地 青森産の鯛を販売しているのだが、四国の会社である
めだたいな〜と鯛が飛翔したのではあるまい。)?
いろんな魚が獲れるが、大都市に送られるのであろう。娘に食べらせることができずに残念である。
 (有名な干しうどんで、手作り体験ができるようになった)
 
  9月25日 パソコン ソフト講習会
 ソフト操作講習会に参加しての感想です。まず始まる前に、文字入力の操作した事が無い人が、不安感から分からない。
それで私は講師がいるのだから、何でも聞いたらと言ったが、それが後で・・・・。

 時間どうりに二日間の講習会が始まったが、パソコンの操作になんら問題ない人は手お上げて、上げたのがいけない・・・。
講師は女性で30歳ぐらい、声がガラガラで聞きずらい、もっとソフトでも良いではないか、それとも子供相手に毎日怒鳴っている?
 電源、ソフトの入力から始まった。そしたら隣の席の男性が、操作のことで私に聞いて来るのだ、知らないぷりするわけいかず
時々教えたが、こちらから見て教えるわけもいけないし、時々男性の講師がきて教えていた。

 進行中に初心者が あ 間違ったと言えば、女性の講師が進行を中断して教えるのだが、前の席だからしかたがないか、
進行が中断しないように、してくれればよかったと、アンケートには記入しなかった。
講習が始まる前に、アンケートをとり、初級者と中級者を隣あわせで座らせるのはどうか、また列により同じレベルを並べる方法も
あるのではないか、一回の講習で分かるには事前にある程度知っていないと、付いていけないのでは?
当日は教科書のとうり全部進んだが、わからないところもあった。また参加したいが、目が疲れる。

  9月18日 モルヒネ
 新聞の健康欄で、モルヒネの記事があった。娘の生前の姿だ思い出した。眠気、吐き気、便秘、家にいる状態で無い様な副作用が
有った。新聞によると、副作用を抑える、薬があるのだそうだ。(内服開始と同時)そいいえば、残された薬品があるが、その中にあるのだろう。
がんの人が使用しても、依存性がないそうだ。娘の症状が何であったか、知らないで戸惑いを感じたが、謎が解けた。
(メールを送って返事が無い人がいましたら、形を変えて、短い文章で送信してみてください。)
 
  9月23日 彼岸
墓参りしてきたが、私たちの前に来て来てくれた人がいて、花(ユリの)が添えて有った。また、お菓子もあった。
お墓参りしてくれた人に「ありがとう、娘のため来てくれて」同級生、幼なじみ、皆さんに感謝しております。

*このホームページは同病の人向けに作ったのですが、及位半分できて、いたずらは遠慮してください、他で力を出してください

  11月4日 月曜日  (誕生日)
 娘は生きていれば10月で20歳であった。誕生日当日に母親が病院近くのお菓子やに行ったが、あいにく休みで
買えなかった。高くて美味しいといえないお菓子の販売店だ、(ここしか店が無いと勘違いしているのか?)
二十歳だから、酒をかって仏壇に上げた、美しい匂がする日本酒である。
娘と一緒に杯をかわすことができなかった。また、振袖を買ってやることもできず・・・・・。あと和服にパンフレットが
来ることがないだろう。時がたち、2年7ヶ月が過ぎた。父はパワーポイント悪戦苦闘中である。

  11月24日 冬枯れ
 今年は早く雪が舞い降りてきた。紅葉と雪景色が混ざって、写真を撮るにはいい時である。こんな季節はここしばらく
ないであろう。木の葉が青いまま雪が積もった。
 11月で娘が病気を抱えて、修学旅行から帰ってきて、3年が過ぎた。帰ってきて、ばあさんの家に元気な姿を見せた。
そのことを、ばあさんが覚えていて、葬儀の時みんなに言っていた。今月に入ってからは、娘のばあさんが病院に入院
して集中治療室に入った。どうにか回復したが・・・・・。また一つ娘の思い出が消えかかろうとしている。
(娘宛の小物のパンフレットが送られてきた。娘が喜ぶような物を注文する。息子も頼んだらしい、娘の名前で
出したから届くであろうか?)

  12月30日 年末
 12月に入ってから、噂では足の病気で、既婚の女性が亡くなったそうです。病名は聞けなかったが・・・・・。
9月にこのホームページを見て、メールくれた18歳の女性が亡くなったとネットで知り、好きな酒を控えました。
皆様の冥福を折りします。娘の事を思い出されて・・・・・。
 
 同県で娘さんを亡くして、ホームページを開いている、父親からメールがきたのがうれしい。
皆さん、それぞれの愉しい正月を、お迎えてください。(今年見てくれてありがとう御座います。)
 
( 母のメールアドレスでウイルスが送られて行く恐れが有りますから、注意してくださ。)
  12月31日 大晦日 
 3年目の大晦日になってしまった。娘の好きな、ローストビーフを買ってきた、心の中で家族で新年を迎えます。
皆さんに病気が治るように、また闘病生活しいる人は回復できるように、願って折ります。合掌
私は、今月中旬に教会に仕事に行き、こらえきれず、教会空き地に小便をしてしまった。罰が当たるかな?
皆さんがよい年でありますように、念願しております。
来年はこのページに力を入れたいと思います。