宗  仁  雑  記


世の中不条理がいっぱい

それを乗り越えて行きましょう。

勝てば官軍負ければ賊軍

敗者の正義はほうむりさられ

勝者の正義が歴史をつくってきました。

心に余裕を持った時代は

弱いものにも心を開くこと出来ますが

心に余裕無い時代になると

人の事までかまっていられなくなれます。

それが生きるということだと思います。

思うようにいかないの世の中ですから

安心出きる環境は自分でつくるしかありません。

自分自身で

頼れるのは自分しかいないのですから。






             
日付 タイトル
内容
平成15年12月24日
今日はパソコンの講習を受けました。
平成16年1月13日
布施の代わりに(気持ちの上で)幸福と寿命を頂く。
平成16年1月24日
 幸福は日々の努力の結果、不幸は日々の努力がとどかない。

皆それぞれ苦労している、楽する事も時が経てば苦痛となる。

苦しさ乗り越え、楽しさばいぞう、楽あれば苦あり、苦あれば楽あり。

日々努力壁があれば乗り越えて、川があれば橋かけて、

時が経ち、すべてが無駄に終わったとしても、自分自身正直に生きたい

多くの矛盾は、気持ちの切り替えで、いく。

馬鹿より利口は無い、との言葉大切にしています。

自分の持ち味いかして一生懸命いきる。

丸い心で接して相手も丸い心にしてあげる。

そうできればすべて丸く収まるのですが、心を丸く出来ない。

気長に頑張っていきましょう。

時の流れの中に生き私を、必要な人に協力し、不用となればさり、

命つきるまでそのくり返し、しかし明日はわからない。

煩悩まっただ中にいて、煩悩知らず。

勉強不足、世間にいて、世間の価値観知らず。
         


十年後に晋山式やる予定でいるようだが、災害、地震が来れば壊滅的打撃を受ける、

復興は困難と思われる。

復興優先、晋山せず、礎石となり、奮戦す。

多くの時間と労力をつぎ込んでいる。その時どうするか、

すべて自分で背負い込む事になるかも知れない。

誰かがやらねばならぬのなら、自分すべてをかけて、綺麗にして引き継ぐつもりでいる。

自分しかいないのだから。

命を懸けて戦い、撤退は出来ない。

撤退すべきところもない、逃げたとしても、追撃にあい逃げた先で生活できない。

逃げた先で迷惑かける。

しんがり、自分自身がそれ。

当然大事なものは近くにおけない、大事なもの失う事明らか。

人並みの生活は足場確保してから、

気持ちてきには、今の領土は召上げ、敵の領土をお前にやると言われても

なんとも言いがたい感情をいだくのみ。

領土には昔からの指導者も、規則も慣例ももあり、

一切争いなく、規則遵守、すべて許可得て行動する。

孤立無援で後ろ盾なく、食料、兵力もないまま戦えといわれ。

しっかり治めよと言われているようだ。

勝たずとも相打ちでよい、

基礎だけつくりあげる事。

それが自分の仕事である。

後の事は後の人に任せる。

       


今出来る事は今一生懸命生きる事と思っている。







                                                                                                                                                                                                     

   
               




和合と規則の遵守を前提に、改善すべきところは改善していく。

今までの経過から

改善できないすべの問題はこちらに非があるのかも知れない。

分不相応事をやろうとしているのかも知れない。

信仰心対する迷いと困惑かも知れない。

根本での話と現場でのギャップ

中央と地方との価値観の違い

地方を知らない人間が責任ある立場にいる場合

責任ある発言をしてもらいたい、そしてそのてあてもしてほしい

砂漠に咲いた小さなサボテンに、塩水かけるようなまねをしてほしくない

ただでも厳しい環境なのだから。

後の人が安心して引継ぎできるよう、責任はたしたい。

当方の発言行動が、(布教活動が)

存在事態が、問題なのかも、人並みではない。
いまだに、人々の心の奥底の感情まで変える事は出来ない。



平成16年2月11日

挨拶について

挨拶はとても重要な意味を持つように思います。

区別から差別につながる第一歩ではないかと思います。

相手を認めなければ声をかけないのでは、自分にとって大事な人、コミニュケイション

が必要とされる人にしか、挨拶と言う行動で意思を伝えないように思います。

無意識で、挨拶することは相手を認め、挨拶しないことは、

相手を無視しているのではと思いました。

                   
色々な事有りますが、
どんなときもアキラメズ七転八起で壁を乗り越えていきましょう。
生きている間はまだ勝負はついていません。
思いっきり悪あがきして見ましょう。
壁を乗り越えたときは、言葉にならない、すばらしい、生きがいを感じるでしょう。
ある本の引用です。

人間の生きる意味について考えて見たいと思います。
                                                                                              

昔東洋のある国の王様が、過去から現在に至る人間の歴史から

真理を学びたいと思い立ち、一人の若い学者を呼んで

人間の歴史を書いた本を集めるように命じました。

学者は懸命に文献を整理して、五百巻の書物を宮殿に持って来ました。

ところが王様は国を

治めるのに忙しくて、もっと短くまとめろと命令しました。

学者は二十年かけ、五十巻にまとめ王様に報告しました。

王様は年の為難解な書物を読破する気力と体力を、最早失っていました。

王様はすまんがもっと短くしてくれと命じマシタ。
学者は二十年かけ、一巻にまとめ、三度宮殿に持って来ました。

王様は今まさに死の床にありました。

臨終の耳元で、学者が、人は生まれ、苦しみ、そして死にます。これが人間の歴史です。

人生には意味などありません、とささやくと、王様はほほ笑みながら死んで行きました。
    
                       

ムカシ中国で、一人の青年が国のために志を立て、

朝廷に仕えようと一生懸命学問に励みました。

時の皇帝は大変文人を愛し、重用していました。

辛苦して学問を修め、ようやくこれならばという自信が持てた時、

突然皇帝が死んでしまいました。

新帝は武人を登用すると聞き、修行をし武術をモッテ朝廷に仕える自信が持てた時、

又皇帝が死んでしまった。

今度の皇帝は若者を登用すると聞いた時、

自分が既に若者とは言えないほど歳老いてしまったことに気付くという話しです。

一度しかない人生なのに深く考えることもなく世の中に迎合して

終わらせさまうのはあまりにも残念です。

実は人生には何の意味もありませんよ、空、なのですよと仏教は教えています。
と、本には書いてありました。

仏教で言う、苦、とは、思うがままにならないことです。

老いることも病むことも、死ぬことも思うがままになりません。

この思うがままにならないことを、思うがままにしようとすることから、

苦、が生まれてくるのです。

ではどうしたら良いのでしょうか
                     。
         教 え で は 、 こ の よ う に 書 い て あ り ま す 。

それはあるがままに生かしてもらうことです。

人生の意味は空なのですから、

全部仏様にお任せして仏様の責任だと思っていれば良ヨイノデス。

病気になれと言われたらなったら良いし、時が来て、

死ニナサイ トイワレタラ死んだら良いのです。

スベテヲ皆仏様にお任せして、私たちは自分が出来ることを精一杯ヤレバイイ。

シッカリト自分ノコトヲ考エテ、

他人ニ対シテハドウカ幸セニナッテ下サイトイウ気持ちを持つ。

ソシテ一人一人ノ人タチハ皆仏様ガ面倒ヲミテクダサルノダトシッカリシンジテ、

イカシテイタダケレバ、ヒジョウニラクダトオモイマス、

とカイテアリマシタ
                                                                 
  私の気持ちでは、時の流れの法則をしり、すなおにうけとめ、すなおに生きる。

      私  は  実  体  の  無  い  星  の  光  な  よ  う  な  も  の  。

      本 体 は 何 百 光 年 前 に 爆 発 し た 星 。
 
                                                         
                   見 え て い る の は 残 像 。

            






               



                   



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