部屋の片付けと人類の危機の関連性




結論から言ってしまえば、私の部屋は汚い。ここで誤解しないで頂きたいが、何も部屋中に ナメコナメタケナメクジ が隙間なく敷き詰められているとか、あるいは買ってきたばかりの 牛乳 をウハウハ気分で飲もうと思ったら約3週間掃除していなくて埃が2,3センチ積もった床にぶちまけてしまったとか、ましてや急性アルコール中毒で病院に運ばれた某友人Yが移動中に 某体液 (敢えて明言はしないが)をぶちまけた時のタクシー車内のようにえらいことになっているとか、そういうことではない。その「汚い」は後々のネタにするために置いとくとして。


要するに、私の部屋は散らかっているのである。我が部屋は6畳。そこにPC、テレビ、ベッド、本棚、ちゃぶ台(冬はこたつ)、牛乳パックタワー等々(etc.etc.)という風に所狭しと家具(「家具か?」というツッコミは却下)が居座っている。そ・れ・だ・け・な・ら・ば・ま・だ・よ・い・がっ、ここからが真の戦いなのだ。 某DQ3 の住民のように バ○モス が倒されたからと言って安心してはならない。


何と言っても、物を置く場所があれば置きたくなるのが人情と言うもの。幸い日本は不況下とは言え豊かな国である。置くモノには事欠くことがない。 フロンティア精神旺盛 なのは何もアメリカを開拓した移住者達だけではない。(一部の)我らが日本人こそ最も 熱い開拓者魂 を心にみなぎらせているのだ。 ……スケールは小さいが。 そこらへんはやっぱりというか、 所詮日本人ってそんなもんだと思ったりする。


まず、オン・ザ・ちゃぶ台の上(←冗長性のある日本語)。(PCの前にいる私から見て)左奥に炊飯器、その手前に柿の種6袋詰、正面奥に得体の知れないコード、正面やや右奥にコンタクト及びコンタクトの洗浄液、その右に冷しゃぶドレッシング、手前に携帯、携帯の充電器、ストロー、CD・イン・ザ・CDケースの中×3。そのほか小物が無数に存在している、が省略。


続いて床、と言うか和室なので畳の上。紙屑、洗濯ばさみ、座布団、ペーパーナイフ(ウマヅラ)、外付けCDROMドライブ、PSのコントローラ、リュックサック、トートバッグ、ビニール袋多数。念のため言っておくが、これらは 「落ちている」 のではない。あくまでも 「置いてある」 のだ。……均等に。かためて隅の方に追いやるとかいう心の狭いことはしない。皆平等にパーソナルスペースを持つ権利があるはずなのだ。満員電車の中で毎朝パーソナルスペースを侵されている首都圏の電車通勤者の方々は、 ぜひ団結して鉄道会社各社を訴えて頂きたい。


極めつけ、と言うか、自分が見ても「ここまでひどいと救いようがないよなー」と思わせられるのがベッドの上。なんかモノが積み重ねてあるんですけど? 洗濯物の山ができていたりする。たためよ、自分。でもまあ、まだそれだけなら良い。私の真後ろに実在する現実と比べればむしろ全然問題ないであろう。実際にはCD・イン・ザ・ケースが10枚くらい無造作に置かれていたり、「LAN ADAPTER」などと敵性語で書かれた箱が転がっていたり、出自不明な包装用発泡スチロールのようなモノがそびえていたりと見ていて飽きない。ちなみに、私は毎日このベッドの上で 極めて快適に 睡眠をとっているが、いまだ睡眠中に何かを破壊したことはない。 私の常識感覚は遙か昔にローマ帝国の如く破壊され消滅しかかっているが。


ここでふと思うのは、最近の自分は「危機感がない」、あるいは「感覚が麻痺している」ということだ。コンタクトの洗浄液と冷しゃぶドレッシングが隣り合って並んでいる現実に微塵も違和感を感じることはない。間違って豚肉にコンタクト洗浄液をかけそうになった(実話)というある意味生命の危険を脅かされかけた出来事があったにもかかわらず対応措置をとろうともしない私の中に、もはや怠惰であることを通り越して何か信念のような物の存在すら感じる。洗濯物やCDROMに囲まれて眠りを貪ることを誇りに思う私がいる。わかりやすく言えば、 「散らかった部屋に動じることもなくなにげに平穏な生活を送っている自分ってめっちゃかっこええ?」 という感情が、実は心の片隅で乱闘を待ちわびているであろう憎き○人の○原の如くくすぶっているのだ。


確かにそれは行き過ぎ、というかやばい。おおっぴらにこんな事を公言したら カナリヤバイヒト だと思われるだろう。いや、言わなくても思ってることを人に知られれば結果は同じだが。敢えてそこは深く追求はしない。 ……しないでください。


それは置いといて、ここで言いたいのは、「違和感を感じない」ということが実は大きな意味を持つかもしれないということだ。ベッドの上にCDが散乱している、床にビニール袋が散らばっている、などの常識的に考えて恥ずべき事に 「拒絶反応」 を起こさないということ。これは逆の発想をすれば、劣悪な環境に耐える事ができる 「精神力」 と、その環境に自分を適応させる 「環境適応能力」 があるということではないか? 普通の人間なら耐えかねて部屋の片付けを始めてしまうような、ひどく物が散らかった状況(←どういう状況よ?)に遭遇しても何事もなく作業を続けることができる能力を持つということは、片付けをする時間さえ惜しまれるほど目まぐるしく移り変わる現代においては利点といえるのではないか。企業から見ても、こういった人材はオフィスの清掃経費を節約できるので優遇されることだろう。依然として就職の厳しい日本、こういった些細な点も見逃せない。

また、昨今この地球に於いて惑星規模の環境破壊が進行しており、それをくい止めるため環境保護が盛んに叫ばれているが、その効果はすぐに現れるものではなく、近い将来、地球の環境が今より悪化することは自明である。人間の生活が汚染された環境によって脅かされる可能性もないとは言えない。このことを踏まえて考えると、人間がこの地球で生き延びるためには、まず 「精神力」 は当然としても、何より三億年前から形を変えつつも地球を生き抜く昆虫並の 「環境適応能力」 が必要となる事も考えられる。人体に害を及ぼす化学物質に耐えるほどの力を身につけるには、やはり徐々に馴らしていくより他に方法はないだろう。つまり、この人類の存亡を賭けた最大の危機を乗り越えるためには、汚い部屋で暮らす事が絶対必要条件となるのだ。

このページをご覧の皆さん、悪いことは言いません、 生き延びたいならまず部屋の片付けをやめなさい。





最後に。

皆さん同じような感情を抱かれているとは思いますが敢えてここは私自身が一言。







「こんなもん書いてる暇あったら部屋片付けろ、自分。」