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やお けいじろう

八尾敬次郎

やお けいじろう

1899.7.15(明治32)〜 1967.3.31(昭和42)

昭和期の実業家(八欧電機・ゼネラル)

埋葬場所: 5区 1種 21側

 京都出身。旧姓は谷利。同郷の先輩にあたる松下幸之助の成功を追って上京し、東京浅草の蓄音器卸業の丁稚奉公となる。 1936.1.15(S11)八欧(やおう)商店をおこし、蓄音機とその付属品の製造・販売を開始した。 '38ラジオ製造を開始し、'41無線機・測定器・拡声装置を製造に事業を拡大していき、'42八欧電機株式会社に社名変更した。 '46「ゼネラル」の商標使用を開始。'47八欧無線電機株式会社、翌年には八欧無線株式会社と社名を変更、次いで'55八欧電機株式会社に社名を変える。 その間、スーパーヘテロダイン方式(電波から特定周波数の情報を選択的に取り出す技法)のラジオ生産を開始、またテレビの量産化、洗濯機、冷蔵庫、ウィンド形クーラーなどを生産発売し、時代の波に乗り成功した。
 プロレス初の定期スポンサーとなり、当時爆発的大人気であった力道山のプロレス中継をサポート。 広告宣伝として力道山を「ミスター・ゼネラル」として登場させた。'55テレビ受像機のシェアは、業績一位が早川電機(シャープ)16.9%、二位が松下電器15・7%、八欧電機は12・7%と三位である。 打倒、早川電機として、プロレスで「ミスター・ゼネラルがシャープ兄弟を倒す」というフレーズを使用し宣伝効果をうたった。 当時のプロレス中継はNHK、日本テレビであったが、ラジオ東京がテレビ免許が下りTBSが開局した際に、プロレスへ参入すべく仲介者を使用し八尾に接近、八欧電機のスポンサーを獲得した。 これにより、NHK、日本テレビ、TBSの三社が同じ時間帯で同時放送、民放二社のスポンサーはいずれも八欧電機にて、'56.4.26力道山・遠藤幸吉組VSシャープ兄弟の中継(蔵前国技館)が放送された。 翌年、プロレス人気の下降や力道山の日本テレビ一本化宣言などもあり、八欧電機はプロレスから離れていった。なお、八欧電機後のプロレスを支えたスポンサーは三菱電機である。
 その後の八欧電機は、'66株式会社ゼネラルに社名を変更し、'84富士通と資本・業務提携を経て、'85より株式会社富士通ゼネラルとして現在に至る。 松下電機と並ぶ大電機メーカーに育てた八尾であるが、終生同郷の憧れの先輩である松下を敬愛していたという。享年69歳。

<物故者事典>
<「欲望のメディア」猪瀬直樹>
<森光俊様より情報提供>


墓所

*墓石正面「八尾家之墓」。 戒名は厳定院彗光妙照日敬大居士。


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