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柳家 小はん | |
やなぎや こはん | |
1873(明治6)〜 1953.2.6(昭和28) | |
明治・大正・昭和期の落語家 | |
埋葬場所: 21区 1種 6側 [鶴見家] | |
※多くの人名事典では生没年不詳、多くの事柄が謎とされているため、実際にこの墓所が「柳家小はん」の墓であるかどうか不明である。 本名の鶴見正四郎、生きた年代が同じことより掲載するが、推測の域である。なお、人名事典には1885(M18)を生年にしているものが多いが「?」がついている。どなたか詳細をご存知の方がいらっしゃいましたらご一報ください。 本名は鶴見正四郎。出自・前身は不詳。3代目柳家小さん門下で、1911(M44)「柳連一覧表」にある柳家小太郎の名がはじめの名と思われる。 大正初め頃に上方へ移り、'18(T7)柳家さん喬と名乗って大八会の幹部になっていた。同年6月、三友派に招かれ来阪した小さんに詫びを入れて、その芸を認められ柳家小はんと改名。 東京へ戻り、'24(T13)11月四谷青柳亭で真打披露。翌年8月、円楽(後8代目林家正蔵)、小山三(後5代目古今亭今輔)らとともに落語革新派を起こし、師匠にそむく形となる。 その解散後は消息が知れず。'47(S22)芸術協会の連名に一度見えるが、その後ふたたび不明。大阪の「打飼盗人」「住吉駕籠」などを東京に持ってきて「夏どろ」「蜘蛛駕籠」にしたと伝われる。 8代目雷門助六や5代目柳家小さんにいくつかネタの稽古を付けたという。 <日本芸能人名事典>
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