メイン » » » 山村才助
やまむら さいすけ

山村才助

やまむら さいすけ

1770(明和7)〜 1807(文化4)

江戸後期の洋学者

埋葬場所: 6区 2種 12側 9番

 土浦藩士山村司の子、母はまき。名は昌永、字は子明、才助は通称、号は夢遊道人。家禄150石。幼くして地理学を好み、1789(寛政1)母方の伯父市河寛斎の紹介で大槻玄沢に入門、世界地理を研究。 1802(亨和2)当時としては最高の知識を駆使して新井白石の「采覧異言(さいらんいげん)」を訂正増補し、「訂正増訳采覧異言」を完成、地理学史上に一時期を画する業績とされている。 その後、訳稿「大西要録」「新訳東西游記」を書き、また幕命により「魯西亜国志」「魯西亜志世紀」を訳述した。他に「印度志」「百児西亜(ペルシア)志」などがある。 いずれも公刊はされなかったが、芝蘭堂時代のメモ・ノートを整理して西洋古代史「西洋雑記」のみは幕末に刊本になった。

<コンサイス日本人名事典>


*墓所内は「山邨家之墓」を正面に左右に数基墓石が並ぶ。才助の墓は右側の列の左から二番目である。墓石正面に戒名「将應院詠学法吟居士」、右面に俗名「山村才助」が刻む。

*深川照光院より改葬


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・や行 | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。