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やまぐち のぶすけ

山口信助

やまぐち のぶすけ

1892.6.20(明治25)〜 1986.6.7(昭和61)

明治・大正・昭和期の海軍軍人(機関中将)

埋葬場所: 5区 1種 19側

 佐賀県出身。1914(T3)海軍機関学校卒業(23期)。同.12.15海軍機関少尉候補生となり補笠置乗組。'15補榛名乗組を経て少尉となり、その後、千歳乗組、須磨乗組、第一特務艦隊司令部附、再び須磨乗組となり中尉に昇格し、 時雨乗組となった。'18海軍機関学校普通科、'19海軍大学校選科に入り、'20大尉に昇進し、'22海軍造兵廠研究部部員。翌年、呉海軍工廠電気実験部部員、呉海軍工廠水雷部部員を兼務、'24海軍機関学校教官も兼務した。'25少佐、'26呉海軍工廠電気部部員。
 '27.6.1(S2)海軍艦政本部造兵監督官として米国出張、同.12.10帰朝。'29.10.1海軍艦政本部部員、'30中佐になり、'32海軍艦政本部造兵監督官、'33海軍省軍需局局員と海軍経理学校教官を兼務した。'35.1.10佐世保海軍工廠造兵部部員。同.11.15大佐に進み、同.12.3海軍艦政本部部員。'37.3.5海軍艦政本部造船造兵監督長として米国出張、'38.9.2帰朝し、同.11.15海軍艦政本部部員。
 '41.10.15太平洋戦争開戦直前に少将に累進し、呉海軍工廠電気部長に就任。'43.7.1海軍艦政本部第三部長に補せられる。'44.12.20海軍艦政本部造船造兵監督長に任ぜられ、他に海軍省出仕、広島監理長、広島監査長も兼務した。'45.5.1中将に進級し、第一海軍燃料廠長になり、終戦を迎える。同.11.1予備役被仰付。従4位。享年94歳。

<帝国海軍提督総覧>
<日本海軍将官総覧など>


墓所

*墓所には和型墓石が二基が建つ。右側が「山口家之墓」、左側が「高橋家之墓」。両墓石の間に山口家と高橋家の両家墓地の由来等が刻む碑がある。これらは山口信助と高橋澄夫が建之している。また碑によると、山口信助の長女が高橋澄夫に嫁いだ縁で建之したことがわかる。それぞれの墓石の横には墓誌が建つ。戒名は壽光院安國日信居士。墓誌には行年を95才と刻む。妻は壽代(H4.9.2歿 98才)。


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