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やまぐち まさじ

山口政二

やまぐち まさじ

1887(明治20)〜 1927(昭和2)

大正・昭和初期の政治家

埋葬場所: 4区 1種 7側

 埼玉県出身。県立川越中学校、第一高等学校を経て1914(T3)東京帝国大学独法科卒業。 一高時代は応援団として『野次将軍独眼竜(片目の視力を失っていた)』の名を校内外に轟かせた。
 大学卒業後、朝鮮総督府試補・同事務官、陸軍省御用掛を歴任。'17(T6)青島守備軍民政府事務官。 武断的な日本の朝鮮・中国政策を実際に体験し強い不満を持ち、これを改めさせるには政治家になるしかないと考え、'22官職を辞し、まず弁護士を開業した。
 '24第15回総選挙に立候補。「『国民生活の安定』が最重要課題で、そのため労働組合を公認し、小作者の権利を確立する」「朝鮮や中国の人々の親善を図ることが、東洋平和のために肝要である」と訴え、青壮年層の強い支持を得て見事当選した。 政治家としても「治安維持法の反対」「婦人参政権を含む普通選挙法の制定」を終始主張した。また部落差別撤廃運動も行った。 立候補時は中立の立場であったが、一時政友会に入党すぐに脱党、中野正剛(12-1-1-2)・清瀬一郎らと行動を共にし精力的に活躍した。
 '27(S2)2月過労がもとで突然議会内で倒れ40歳の若さで没した。常に時勢を洞察し、社会の進歩に先んずるという大正デモクラシー時代の先覚者的人物であった。

<「川島郷土史」鈴木誠一>
<東松山の歴史下巻など>


 


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