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やまだ わか

山田わか

やまだ わか

1879.12.1(明治12)〜 1957.9.6(昭和32)

明治・大正・昭和期の婦人問題評論家

埋葬場所: 四ツ谷の西念寺
11区 1種 15側

 浅葉弥平治の三女として神奈川県で生まれる。没落した実家を助けるため、1896(M29)頃アメリカへ売られ、娼婦となる。 のちキリスト教に入信し、山田嘉吉と結婚。1906帰国し、「青鞜」などで母性主義の立場から評論活動。20(T9)個人雑誌「婦人と新社会」を創刊。34(S9)母性保護同盟委員長となった。 主な著書に「私の恋愛」1936、「昭和婦人読本−処女篇・家族篇」1927。山崎朋子著作の「あめゆきさんの歌」1978などでも紹介される。

<コンサイス日本人名事典>


*夫の山田嘉吉(同墓)は言語学者、社会学者として活躍した。


やまだ わか

*2009年、自由民権運動研究家の岸本隆巳様よりご連絡を頂戴し、岸本様が山田嘉吉・わか夫妻のご子孫のご確認のもと、墓所が多磨霊園11区1種15側から、四ツ谷の西念寺に改葬されたことが判明致しました。
 当HPでは、著名人をきっかけとして歴史を学んでいくということがコンセプトであるため「山田嘉吉」「山田わか」のページを残すことにします。なお、上の写真は「多磨霊園」にあった時の写真であり、下の写真は改葬された西念寺の写真です。

<岸本隆巳様より情報および写真提供>


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