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やまだ たつお

山田龍雄

やまだ たつお

1893.11.17(明治26)〜 1945.4.2(昭和20)

大正・昭和期の大蔵官僚

埋葬場所: 10区 1種 10側

 高知県安芸郡津呂村(室戸市)出身。山田家は土佐のカツオ漁業を始めた長三郎に始まる郷士で、昭和天皇や宮家も宿泊された。
 1918.7(T7)東京帝国大学法科大学法律学科卒業。前年に文官高等試験に合格していたため卒業後、大蔵省に入省し、大蔵属・銀行局に配属された。
 '20.9 司税官・水戸税務署長を振り出しに、'23.1 京橋税務署長、'26.9 税務監督局事務官・名古屋税務監督局間税部長、'28.1(S3)東京税務監督局経理部長、同.7 税務監督局書記官・東京税務監督局間税部長、'29.8 銀行検査官、'33.5 預金部書記官・預金部監理課長、'34.5 大蔵書記官・主計局予算決算課長、同.12 主計局予算課長、'35.5 内閣調査局調査官を歴任し、'36.3 大蔵省主税局長に就任し、醸造試験所長を兼務。次いで、'37.2 造幣局長となった。
 '40.8(S15)近衛内閣の逓信次官に任ぜられる。同.10 辞職し退官。辞職後は軍需省顧問になった。'43.5 太平洋戦争中、翼賛壮年団副団長 兼 本部長を拝命。後に帝都翼賛壮年団長を務めた。'44 正4位勲2等に叙せられた。体調を崩し逝去。享年51歳。

<大蔵省人名録>
<高知県人名辞典>
<人事興信録>


やまだ たつお

*正面「山田龍雄 / 室 梅代 墓」、右面「昭和二十一年四月 男 山田光雄 山田英雄 建之」と刻み、裏面は両者の没年月日と享年が刻む。梅代は「昭和五十一年十一月十二日 享年八十一歳」。墓所右手側に「山田家之墓」、裏面「平成十年十二月 山田光雄 建之」。その左側に墓誌が建ち、山田光雄(H22.6.10帰幽 享年87歳)、ヨシ子(H30.10.17帰幽 享年93歳)が刻む。


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