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やまだ しょうへい

山田正平

やまだ しょうへい

1899.2.1(明治32)〜 1962.8.16(昭和37)

大正・昭和期の篆刻家

埋葬場所: 22区 1種 90側 37番

 新潟県新潟市出身。旧姓は木村。号は若い頃に更生、更生居、更生道人、邵平、その後に一止、一止廬、一止道人、幾庵。 父は篆刻家の木村竹香(1868-1943)・マスの次男。父は篆刻界で有名な『羅漢印譜』を編集・刊行した人物で知られる。 同郷で父が親交が深かった書家・歌人の会津八一(1881-1956)や篆刻家の山田寒山(1856-1918)と親交を深める。 後に山田寒山の娘と結婚し、婿養子として篆刻業の後継ぎとなる。
 1914(T3)新潟中学校を卒業し、上京。 書は滑川澹如に学び、日魯漁業株式会社(ニチロ)創業者で同郷でもあり新潟県知事も務めた堤清六の援助を受けて、'19中国にわたり、河井セン廬(セン=草冠に全)の紹介で、詩・書・画・篆刻ともに精通し「四絶」と称賛された呉昌碩や徐星州から篆刻画を学ぶ。 中国には二度遊学し、画家の小川芋銭らと出会い交流を深めた。'56(S31)知遇を得ていた会津八一が没した際、新潟市の瑞光寺の墓碑銘を刻している。
 寒山とともに印聖といわれた高芙蓉の正統と自らの篆刻芸術を位置づけている。篆刻だけでなく文人画風の墨絵でも知られ、中川一政との交流もあった。 日展審査員を務める。主な作品集に『栴檀二葉香印譜』、『正気印譜』、『羅漢印譜』、『八僊印譜』、『正平陶磁印譜』、『一止廬印存』、『一止道人印譜』などがある。享年63歳。戒名は萬象院永楽一止居士。

<講談社日本人名大辞典>
<美術人名辞典など>
<伊藤修介様より情報提供威>
<山田正平のお孫様の山田正様より情報提供>


*墓碑文は正平の篆刻作品の《倶会一処(くえいっしょ)》。


【篆刻(てんこく)】
 篆刻(てんこく)とは、木・石などの印材に文字を彫ることであり、特に書画などに用いる印章を作成する行為である。 中国を起源としており、主に篆書を印文に彫ることから篆刻というが、その他の書体や図章の場合もある。多く篆書体を用いることからいう。印刻。


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