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やまだ きんいち

山田欽一

やまだ きんいち

1906.9.25(明治39)〜 1974.11.25(昭和49)

昭和期の数学者

埋葬場所: 14区 1種 9側

 東京日本橋出身。山田為三・ラク(共に同墓・ラクは楽子と刻む)の長男。親の都合で大阪市北区の尋常小学校に入学するが、東京市麹町の尋常小学校に転校。再び大阪西成の尋常小学校に再転校し卒業。大阪府立今宮中学校に入学するが、東京府立第四中学校に転向し卒業。東京商科大学予科を経て、本科に進学し、数学者で解析学とくに確率論の権威である渡辺孫一郎に師事。卒業論文は 『属性理論と論理代数学』。東京文理科大学数学科に入り、日本数学教育学会名誉会長で筑波大学や東京文理科大学学長を務めた杉村欣次郎に師事し、卒業報告は 『ブール代数での素元分解について』であった。
 1933(S8)東京商科大学予科講師となり、'36東京商科大学予科教授に任ぜられる。'49.4東京経済大学講師(〜'66.3)、同.6 一橋大学が新制大学として発足するとともに経済学部教授に補せられ、数理経済学を担当した。学生時代からブール代数に関心をもち、現代数学の社会科学への応用に尽力。'53一橋大学大学院経済学研究科担当を命ぜられる。同年 東京薬科大学講師(〜'68.3)。'56.9一橋大学東京商科大学数授に併任される(〜'62.3)。'58.1文部省在外研究員として、属性理論の基礎研究のためイギリスへ出張を命ぜられる(〜'59.1帰国)。'61.9青山学院大学講師(〜'70.3)。'64.7一橋大学付属図書館小平分館長を命ぜられる(〜'68.6)。'66.10国際商科大学講師、'68.4早稲田大学大学院経済学研究科講師を嘱託。'70.3一橋大学を停年退官、名誉教授。一橋大学における数学教育の基盤を築き、「一橋の数学」の育成に尽力した。その後は、青山学院大学経営学部教授を歴任した。
 主な著書に『微分積分学概要』『数と図形の話:観察と実験』『数学 : 数概念の拡張をめぐつて』『一般教養としての現代数学入門』『統計学はいかに学ぶべきか 』『数学通論』『代数』『微分・積分』『統計学入門』『幾何・三角法』『経済学研究者のための応用数学』『経営数学』『応用数学』『実例経済数学』など。享年68歳。没後、一橋大学附属図書館に遺族より御蔵書(整理冊数504冊)を寄贈。それを記念して「山田欽一文庫」と名づけられた。

<『名誉教授山田欽一略歴・著作目録抄』一橋論叢>


墓所

*墓石正面「山田家之墓」。右側に墓誌がある。妻は民子。両親その他の人物は戒名が刻むが、山田欽一夫妻には十字が刻む。


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