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やひろ としくに

八尋俊邦

やひろ としくに

1915.2.1(大正4)〜 2001.10.27(平成13)

昭和・平成期の実業家(三井物産)

埋葬場所: 9区 1種 10側

 東京出身。東京商科大学(一橋大)卒業。1940(S15)三井物産に入社。戦後の物産解体で第一物産(三井物産)にうつる。 '50ゴムの統制がはずれ、民間の自由貿易になったのを機に設置された神戸支店の初代ゴム課長になった。 だが、約100トンを買い持ちした生ゴムが大暴落して膨大な損を出し、信賞必罰の社内内規適用第一号としてヒラ社員に降格される。 後に「『窓際族でつらかった』が、この蹉跌(さてつ)の経験が、イランとの粘り強い交渉に生きた。」と語っている。
 その後、石油化学部門を担当し業績を伸ばすなど、化学品畑を歩み、'79社長に就任。 80年代に起きたイラン革命とその後のイラン・イラク戦争という激動を受けて、存亡の機にあった日本とイランの合弁プロジェクト、IJPC(イラン・ジャパン石油化学)事業で、日本人技師の引き揚げを決断するなど処理に奔走、同事業の清算に道筋を付けた。 持ち前の明るさと豪放らいらくな性格で、苦境の同社をリードした。'85会長。経団連副会長も務めた。'87勲一等瑞宝章授章。2000(H12)顧問。享年86歳。

 「経営者は逆境で真価を問われる」

 「ラグビーを見ろ。雨の日のどろんこのなかで闘うのは美しい。経営も、人生もこの心がけでいかなくては」という名言がある。

 座右の銘は「ネアカ、のびのび、へこたれず」。

<講談社人名大辞典>
<「八尋俊邦元三井物産社長伝」日経新聞2001.10.30>
<森光俊様より情報提供>


 


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