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わたべ しのぶ

渡邊 忍

わたべ しのぶ

1883.5.29(明治16)〜 1955.1.28(昭和30)

明治・大正・昭和期の内務官僚、朝鮮総督府官僚・知事

埋葬場所: 4区 1種 2側

 新潟県岩船郡関谷村(関川村)出身。素封家の渡邊三左衞門の一門の渡邊善俊の長男。1916(T5)家督を相続す。
 1909(M42)東京帝国大学法科大学独法科卒業。高等文官試験に合格し内務省に入省。和歌山県属、和歌山県日高郡長、福井県理事官、神奈川県事務官を歴任。
 '19(T8)日本統治下の朝鮮総督府事務官に転じ、忠清北道内務部長、黄海道内務部長、平安南道内務部長を経て、'26.3.8 全羅北道知事に就任〔任期:1926.3.8-1929.1.21〕。全羅北道は朝鮮半島南西部に位置する現在の大韓民国の道(県)であり、全北と略されることが多い。
 次いで、'29.1.21(S4)京畿道知事に就任〔任期:1929.1.21-1931.9.23〕。京畿道は現在の大韓民国の京畿道と同じであり、道庁は京城(ソウル)に置かれていた。ソウル特別市、仁川広域市の大部分、及び朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の開城周辺を合わせた地域。
 その後、'31(S6)殖産局長 兼 山林部長を経て、'32 農林局長に就任した。'35 退官後は、東洋拓殖株式会社理事、日魯漁業株式会社(マルハニチロ)取締役、南洋興発株式会社監査役、海外興業株式会社監査役、朝鮮農地営団理事長、朝鮮食糧営団理事長などを務めた。戦後は中央日韓協会顧問となる。

<人事興信録など>


*墓石は和型「渡邊家之墓」、裏面「昭和丗二年三月 渡邊美津岐 建之」。右側に墓誌が建つ。墓誌は渡邊忍から始まり、戒名は徹眞院殿吉祥善忍大居士。妻は美津岐(M25.3-S56.7.15:石川県出身・旧姓は鏑木)。子どもたち家族も同墓に眠る。長男は渡邊善彦(T13.12-H15.6.30)。二男は渡邊武彦(T15.2-H25.7.5)。三男は渡邊俊彦(R2.9.16歿)。なお忍と同年に亡くなっている正彦(S30.6.2歿)がおり子息であると推測するが何男であるか不明(孫の可能性もあり)。


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