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わかまつ わかだゆう

若松若太夫〔初代〕

わかまつ わかだゆう

1874(明治7)〜 1948.11.24(昭和23)

明治・大正・昭和期の説教節太夫

埋葬場所: 24区 2種 25側(松崎家)

 本名は松崎大助。埼玉県熊谷市出身。父は説教祭文の名手で、11歳の時上京して説教浄瑠璃の2代目薩摩辰太夫に入門。 1908(M41)若松若太夫の名でデビュー。天性の美声の持ち主で、義太夫、新内などを取り入れて説教節を芸術向上と流布につとめた。 1945(S20)武蔵大掾と改名した。得意とした曲に「勧進帳」「蓮生坊物語」「山荘太夫」などがある。享74年歳。

<芸能人物事典>
<森光俊様より情報提供>


*墓正面「松崎家之墓」。墓誌に「若松院武蔵大掾居士 芸名家元若松若太夫 昭和二十三年十一月二十四日歿 俗名松崎大助 七十四才」と刻む。


若松若太夫〔2代〕 わかまつ わかだゆう
1919(大正8)〜 1999.10.26(平成11)
昭和期の説教節太夫
 本名松崎寛。父は初代の若松武蔵大掾(同墓)、13番目の子。東京小石川出身。
 仏教布教での目的で始まった口承話芸「説教節」を6歳ころから父親に習い、8歳の時に初舞台。 その後、父と共に全国巡業を行うなど勢力的に活動した。1947(S22)若松若太夫を襲名。 若太夫を襲名したものの、戦後の民主主義のブームの中世間にはすでに説経節を受け入れる基盤は失われていた。 止むを得ず一旦は説経を捨て鋳物工場に勤めるが、芸人として育った身には性分に合わなかった。 '73(S48)に妻をガンで亡くしてからは酒に身を滅し、先天性の弱視が悪化し完全に失明、加えて失聴する。 '74このアルコール中毒患者のもとに福祉事務所の一人のヘルパーが訪れる。青木久子氏である。 青木氏の献身的な努力により30年近く途絶えていた若松流派の説経が再びこの世に甦った。 のち2代目若松武蔵大掾を名乗った。'88(昭和63年度)文化庁芸術祭賞などを受賞した。 1999(平成11)肺炎のため板橋区の病院で死去。享年80歳。

<朝日新聞の死亡欄など>
<森光俊様より情報提供>


*現在の3代目若松若太夫は小峰孝男氏が継いでいる。


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