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わだぎ まつたろう

和田木松太郎

わだぎ まつたろう

1918.12.6(大正7)〜 1985.9.6(昭和60)

昭和期の会計学者

埋葬場所: 2区 1種 4側

 松勘商店を営む子として生まれる。慶応大学経済学部卒業し、千代田生命に就職。戦時中は徴兵されインドネシアで従軍し、戦後帰還。 千代田生命に復帰後、働きながら慶応大学大学院に通い、小高泰雄を師事して会計学を修める。
 退職し、小高の紹介で、戦時中立教大学総長を務め戦後公職追放となり会計事務所を開いていた三辺金蔵の事務所に転職。 もともと研究家であった三辺はビジネスには疎く軌道に乗っていなかったが、和田木が生家の松勘商店などの税務事務による収入を充当して窮状を救った。 三辺の公職追放解除により、三辺が慶応大学の教授職に復帰する際、和田木も慶応大学経済学部講師となった。
 講師から後に教授となり、1973.10〜'75.9(S48-50)慶応大学商学部長を務めた。この間、慶應義塾志木高等学校校長もつとめる。 心臓病を患い、定年前に退官するも、松坂大学新設に伴い、島崎隆夫に請われ松坂大学政経学部教授となった。 主な著書に『現代企業会計』、『最新簿記堤要』、『財務管理論』、『会計制度論』などがある。『日・インドネシア・英対話会計用語辞典』はインドネシアに対する「賠償留学生」のために書かれた本であり、インドネシアで広く読まれている名著といわれる。松坂の地で逝去。享年66歳。
 和田木は自身の人生を振り返った回想の言葉に、「自分で運を切り拓くという人生の生き方もあるが、運はあなたにまかせて、自分の求めてくれる所へいって仕事をするのも、一つの生き方である」と述べている。

<物故者事典>
<「わが和田木松太郎先生を偲ぶ」三田商学研究30巻5号 藤森三男 など>
<森光俊様より情報提供>


※墓じまい若しくは改葬されている情報があります。近日調査予定。


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