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つきはら とういちろう

月原橙一郎

つきはら とういちろう

1902.2.8(明治35)〜 1989.9.30(平成1)

昭和期の詩人、歌人

埋葬場所: 2区 1種 11側〔原家〕

 香川県出身。父は明治期に電信自動中継機装置を「電学誌」に発表した電気・電信技師の原住治郎(同墓)。本名は原嘉章。
 1923(T12)早稲田大学専門部政経科卒業。はじめ内藤鋠策の「抒情詩」、ついで白鳥省吾(11-2-8)の「地上楽園」に拠って活躍。'37(S12)村上成実が発起人の「詩報」の創刊から携わる。また口語歌をはじめ「短歌創造」や石原純の「立像」、戦後は児山敬一の「文芸心」に拠る。
 1954(S29)日本民謡詩人協会の創立メンバー、初代会長は白鳥省吾。'62同協会は発展的解散し、同年日本歌謡芸術協会として発足、年に一度詩集「日本歌謡詩選」にも携わった。 主な作品に『冬扇』(1928)、『南有集(詞華集)』(1932・編)、『三角洲(街の歌謡集)』(1933)、『残紅—詩集』 (1981)、『南有集—詞華選』 (1982)などがある。享年87歳。没後、『起伏春秋—詩集』(1991・今岡弘、原花子 共著)、『月原橙一郎追悼特集「草原」』なども刊行されている。

<日本近代文学大事典など>


墓所

*墓石は和型「原家累代墓」、裏面「大正十四年四月建之 舊丸亀藩士族 従五位 勲五等 原住治郎」。左側に墓誌がある。母の歌子から刻みが始まる。墓誌には本名の原嘉章の名のみで月原橙一郎の名は刻まれていない。戒名は誠諦院信解日嘉居士。妻は花子(H12.6.4没・行年89才)。


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