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つだ しちごろう

津田七五郎

つだ しちごろう

1858(安政5.9.15)〜 1919.1.20(大正8)

明治・大正期の相場師

埋葬場所: 21区 1種 9側

 江戸出身。村越惣吉の4男として生まれる。1874.6(M7)津田いせ子の養子となる。旧姓は村越。
 横浜の出、ドル相場の相場師として活動。明治初期の東京株式取引所の草創期は株式よりも公債類や金銀貨幣の取引が主であり、貨幣の売買と言えば古金銀やメキシコドルの取引が中心で、東京よりも横浜が本場であった。
 横浜で銀相場やドル相場で儲け、1886.12(M19)東京株式取引所の仲買人の免許を取得。半田庸太郎、小布施新三郎、山口卯之助、村上太三郎ら、横浜で活躍し兜町に乗り込んできた者たちは「浜組」と称して鳴らした。
 兜町で「七」という証券会社を経営し、初期の証券界で活躍した。その他、株式会社巣鴨製紐所取締役などを務めた。享年60歳。

<大衆人事録 東京篇>
<人事興信録>


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*墓所には4基正面に並んで建つ。一番右から五輪塔「津田家先祖之霊位」(右に髙德院釋 法喜:左に深恩院釋尼妙善)、左面「昭和十六年八月吉祥日建之 津田信太郎」、右面「浄智院釋 響幸」。右から二番目が津田七五郎と妻の せい の墓で和型「鴻德院釋 眞順 / 清德院釋尼妙畝 霊位」、右面「大正八年一月廿日 三代 父 七五郎 / 大正八年十月十四日 母 せい」、「昭和十六年八月吉祥日建之 津田信太郎」。右から三番目が津田信太郎と妻のアイの墓で和型「淳信院釋闡教居士 / 壽德院釋尼妙映大姉」、右面「昭和廿四年三月五日 四代 父 信太郎 / 昭和五十四年五月十一日 母 アイ」、左面「昭和廿六年一月吉祥日建之 津田勇」。一番左は和型「津田家之墓」、裏面「平成十一年三月吉祥日 津田幸男 建之」。右面が墓誌となっており「浄信院釋智勇居士 平成十年四月二十一日歿 俗名 津田勇 行年七十七才」。

*墓石の刻みより、1941.8(S16)に津田七五郎の長男の津田信太郎が多磨霊園に改葬してきたことがわかる。津田七五郎が元々どこの墓に葬られたかは不明。

*津田七五郎の妻の せい(文久5.9-T8.10.14)は神奈川出身の柳澤平八の長女。二人の間には3男5女を儲ける。長男は津田信太郞。長女のコウ(M15.9生)は菱谷久次郞に嫁いだ。二女のカツ(M18.1生)で今村直利の3男の信(M12.5生)を婿養子として結婚。三女のフク(M21.1生)は大谷長兵衛の二男の敏一に嫁いだ。四女は千代(M25.7生)。五女のミツ(M27.12生)は籾山半三郞の長男の竹蔵に嫁いだ。二男は早死。三男は和男(M38.9-S21.1.19)。

*津田七五郎の左隣の墓所は七五郎の三男の津田和男(M38.9-S21.1.19)の一族の墓所。墓所には二基建ち、右が津田和男の墓で和型「津田家先祖代々之霊位 / 和楽院釋敬順信士」。右面「昭和廿一年一月十九日 父 和男」。裏面「昭和廿六年一月吉祥日建之 津田佳代子」。左隣りに洋型「GUY」、右面「二〇一二年十一月 スタンリーガイ 建之」。裏面が墓誌となっており、津田ガイ佳代子(2012.4.22・69才)が刻む。


津田信太郎 つだ しんたろう
1890.3(明治23)~1949.3.5(昭和24)
大正・昭和期の実業家
 東京出身。相場師の津田七五郎(同墓)の長男。1912(M45)早稲田大学商科卒業。卒業後、津田合名出資会社代表。神戸有馬電鉄監査役、日本繊維化学工業監査役なども務めた。

<大衆人事録 東京篇>
<人事興信録>


*津田信太郎の妻のアイ(M29-S54.5.11)は端善次郎の二女。長男は津田勇(T9-H10.4.21)、長女は綾子(T6生)。


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