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とやま としお

外山敏夫

とやま としお

1917.3.6(大正6)〜 2002.2.11(平成14)

昭和期の衛生学者

埋葬場所: 3区 1種 16側

 東京出身。慶應義塾大学医学部公衆衛生学教室教授。後に名誉教授。高度経済成長を続ける戦後昭和の日本においての公害問題、環境衛生、産業衛生、環境汚染、大気汚染などの問題に取り組んだ。1965(S40)慶應義塾大学信濃町メディアセンター北里記念医学図書館の第5代館長として10年間務める。
 環境中有害物の測定と評価の研究や公衆衛生における新しい環境衛生を研究などがある。1967.9.1四日市公害ぜんそく裁判の公害訴訟では、'70.5.26第26回被告側反対尋問の際に証人拒否にも関わらず被告側の共通証人としてあげられた。疫学や公衆の衛生学会、日本労働衛生工学会に属し、また1982石綿問題(アスベストの問題)にいち早く着目し日本石綿協会の立ち上げに尽力した。
 主な著書に『スモッグの中の生活』 (1965)、『環境汚染の研究―WHOの5つの科学分科会の報告』 (1974)がある。心不全のため東京都港区の病院で逝去。享年84歳。田園調布カトリック教会で営む。

<訃報記事など>


*墓石は洋型「外山家」と左上に刻み、右下に「Raphael 外山敏夫 / M.D.MPH」と刻む。ラファエルは洗礼名。妻は洋子。

*M.D.MPH。MDとは「Doctor of Medicine」の略。医師を意味し、医学博士のことである。MPHとは「Master of Public Health」の略で公衆衛生学修士、公衆衛生大学院で最も主体となる学位のことである。米国での医学部が専門大学院となっているので医学博士(MD)取得者に対して更に公衆衛生学の知識や技術を教育するために考案されたものである。

*1959(S39)外山が慶應大学助教授時代に渡米。その際、テネシー州ナッシュビル市パンダビルト大学医学部に勤務していたブラッケン博士から「ぜひ遺族に返して欲しい」と太平洋戦争で神風特攻隊員の日の丸と寄せ書きが記された鉢巻を託された。ブラッケン博士は戦争中は巡洋艦カスウェル号の軍医の海軍中尉であった。帰国した外山はその旨をマスコミに話し新聞で報道された。その記事を鉢巻に寄せ書きをした通信省筑後航空機乗員養成所本科5期生だった人の眼に触れ、鉢巻の主が民間のパイロットを養成する京都航空機乗員養成所の教官(助教)で第36飛行隊の岡部三郎少尉であることが判明した。岡部少尉は1945.4.6宮崎県新田原飛行場から出撃し沖縄西方海上で米巡洋艦カスウェル号に特攻した。機体は舷側に激突して飛散(爆弾は不発)し岡部少尉は海中に投げ出された。遺体はすぐに艦上に引き上げられた。その際に額に巻いていた鉢巻をブラッケン博士が持ち帰っていた。1959(S34)鉢巻は遺族に返され、その後、1995(H7)遺族から知覧の特攻平和会館に寄贈され保管展示されている。


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