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とね いちろう

利根一郎

とね いちろう

1918.4.15(大正7)〜 1991.12.16(平成3)

昭和期の作曲家

埋葬場所: 26区 1種 19側

 群馬県明和町出身。本名恩田良武。1938(S13)早稲田大学政経学部中退。'42ポリドール入社。'44東芝、'45テイチク、'49キングを経て、'50ビクター専属となる。 敗戦後日本の現実と真正面から取り組んだ異色の歌謡曲「星の流れに」(47年)であった。この「星の流れに」は作詞は清水みのる、テイチクの新人歌手であった菊池章子の絶唱によって吹き込まれた。 レコードは最初売れなかったが、まずこの歌はヤミの女たちに口ずさまれ、次第に知られていくようになった。それだけリアルな内容と情感があったのである。 この”社会への抗議”が、いわゆる芸術音楽の分野にはなく、低俗・通俗と非難された歌謡曲の分野からこの時期に生まれた。49年間で一千二百余曲を作曲する。「霧氷」にて1966(S41)日本レコード大賞を獲得。
 主な代表作は「星の流れに」(1947)、「月夜のパイプ」(1948)、「母紅梅の唄」(1949)、「アメリカ通いの白い船」(1949)、「白夜航路」(1949)、「星影の小径」(1950)、「ミネソタの卵売り」(1951)、「山の端に月の出る頃」(1951)、「水色のスーツケース」(1951)、「ガード下の靴みがき」(1955)、「若いおまわりさん」(1956)、「帰る故郷もない俺さ」(1957)。

<現代物故者事典1991-1993>
<MATSU様より情報提供>


*墓所は五輪塔「恩田家」。右側に墓誌があり、利根一郎の名とともに、簡単な略歴が刻まれている。


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