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とみおか しゅんじろう

冨岡俊次郎

とみおか しゅんじろう

1862(文久2.8.3)〜 1950.6.24(昭和25)

明治・大正・昭和期の海運事業家、宗教家(阿吽阿教団)

埋葬場所: 10区 1種 2側

 兵庫県淡路島出身。7、8歳の幼少期より人生の道徳上の疑問を抱く。16歳の時に上京し、三菱商船学校に入り、卒業後は日本郵船の船長となる。その後、東洋汽船の設立に参画したほか、浦賀船渠の常務、中外石油社長、東京機械製作所社長を歴任した。彌富商会を創立。
 海運実業家としての傍ら、幼少期から変わらず求道の生活を続けており、読書や思索に没頭。1929.11.18(S4)64歳の時に、大宇宙の本体、阿吽阿(あんな)を自覚し、その無限愛に感激して「南無阿吽阿」と礼讃謝を捧げるに至った。
 '32 聖典「阿吽阿」発行、'33 阿吽阿会を設立し教祖となる。'34 阿吽阿会館を建立。'37『阿吽阿經』刊行。戦後、'46 聖典「阿吽阿」及び機関誌「真の宗教」を発行。'47 『信仰餘録ー阿吽阿教祖冨岡俊次郎先生拾遺集』を刊行。'50.6.24「阿吽阿の絶対妙境へ帰る」と語り、「南無阿吽阿」と礼讃謝しながら逝去。享年87歳。
 没後、西久保顕正が第二代主管となり、教祖の冨岡俊次郎を引き継ぎ、「阿吽阿の哲学」の普及に俊次郎の子孫たちと共に布教に努めた。'55.3.2 阿吽阿教団本部教会を財団法人化。'59 財団法人から、教典「阿吽阿教本義」を所依して、宗教法人「阿吽阿教団」と改組。絶対存在「阿吽阿」の御引導に順い、礼讃謝し、自律自助・交互扶持等の人道を実践する。
 第三代主管は教祖の孫の冨岡朝太郎(同墓)。第四代主管も孫の冨岡昭二郎(同墓)。第五代主管は荻野弘明。第六代主管は冨岡俊行(同墓)。第七代主管は冨岡綾子(同墓)。第八代主管は鈴木光彌が就任し令和の現在に至る。

<新日本宗教団体連合会「阿吽阿教団」加盟団体紹介など>


*墓石は和型「南無阿吽阿冨岡家之墓」。右側に墓誌が建つ。教祖の冨岡俊次郎の他に、孫の朝太郎(3代目:H23.12.18歿)、孝三郎(H24.10.8歿)、昭二郎(4代目:H26.7.11歿)、俊行(6代目:H30.9.12歿)、綾子(7代目:R1.7.27歿)らが刻む。


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