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たんじ けいぞう

丹治経三

たんじ けいぞう

1880.9(明治13)〜 1971.2.22(昭和46)

明治・大正・昭和期の鉄道技師、実業家、財界人

埋葬場所: 12区 2種 28側 1番

 福島県出身。丹治経雄の二男として生まれる。1916(T5)分家。
 1905(M38)東京帝国大学工科大学土木科卒業。九州鉄道株式会社に入社し鉄道技師となる。'07 鉄道の国有後引き続き、帝国鉄道庁、鉄道省における保線改良工事を担当。'21(T10)鉄道省工務局保線課長及び改良課長として国鉄施設の保守改良に尽くす。'22 約1年間、鉄道技術視察のため欧米各国に主張を命ぜられた。'25 退官。
 退官後、安田保善社調査部長、秘書部長、庶務部長を歴任。その間、群馬水電監査役、小湊鉄道社長、安田生命保険常務取締役、安田ビルディング取締役、生保証券会長など財界及び事業界で活躍。その後も、開墾塩業株式会社取締役、安田商工教育会理事、安田学園高等学校校長及び中学校校長を務めた。また土木学会の初代主事として10年間務め発展に貢献し、名誉会員推挙された。
 '63 安田学園長として『安田学園四十年史』の出版協力をした。享年90歳。

<土木学会名誉員推挙者報告>
<人事興信録>


*蔵造りの墓石、前面「丹治家之墓」。右面に墓誌がはめ込まれており、早死した三男(鴻)と四男(清)から刻む。丹治経三の妻は哲子(M25.9-S45.4.22・行年79才:旧姓は近藤)。「昭和三円四月 丹治経三 建之」と刻む。墓所右側に新しく墓誌も建ち、長男の丹治道生(M44.7-H17.1.30・行年93才)から刻みが始まる。道生の妻は邦子(H14.4.24・行年83才)。邦子はもうひとつの墓誌にも刻む。丹治道生は成蹊学園名誉理事、成蹊会会長を務めた。


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