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たにむら いっさ

谷邨一佐

たにむら いっさ

1866(慶応2)〜 1961.2.4(昭和36)

明治・大正・昭和期の牧畜、養羊研究家

埋葬場所: 多磨霊園 青山学院墓地

 長州萩(現在の萩市郊外松木村字船津)において毛利藩士谷邨佐賀蔵の子として生れる。1869(M2)両親と共に上京し東京麹町二番町に住んだ。父親は宮内省に出仕、用度権大佑に任ぜられた。 東京府第二中学(のち、東京府中学校と改称)に入学、同級生にのち作家となった山田美妙、二年下級には同じく作家となった尾崎紅葉がいた。 大学予備門に入ったがまもなく中退、青山学院の前身である耕教学舎に入学し元良勇次郎、和田正幾らに学んだ。 ついで中村正直の同人社に転じ87(M19)アメリカに渡り二年後エール大学に留学し、初め法律・経済を専攻したがのちサイエンスに移った。 92帰国、94シカゴ万国博覧会に派遣されたのをきっかけとして以後パリ万博、リェージュ万博に参加した。
 フィラデルフィア科学博物館で羊毛の標本を見て羊の飼育に関心をいだき、1917(T6)那須高原に草羊園を開き羊養を始めた。 かたわら北海道開拓使顧問アメリカ人H・ケプロンの研究に専念、資料収集などに前後17年かけて'37(S12)『奎普竜将軍』と題して200部限定、非売品として刊行した。 用紙は越前和紙を使用し費用は福井出身の山口惣吉が負担した。第二次大戦後は進駐軍の顧問などをしたが晩年は不遇であった。

<日本洋学人名事典>
<MATSU様より情報提供>


 


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