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たんげ けんきち

丹下謙吉

たんげ けんきち

1858(安政4.12.20)〜 1929.1.20(昭和4)

明治・大正・昭和期の獣医学者

埋葬場所: 5区 1種 8側

 伊予(愛媛県)出身。駒場農学校(東京大学農学部)卒業。1880(M13)岩手県に出仕して獣医学校教諭を兼ねる。 のち農商務省や宮内省に転じ、主馬寮種馬所ならびに馬政局の各技師となり、馬の改良につとめた。 1906(M39)〜'23.3.31(T12)馬政長官。'36(S11)馬政局長官。内外各地を奔走し日本の馬匹の改良に貢献した。
 1910(M43)馬政局馬政官の時に、丹下と土肥原鑑がフランスにてペルシュロン種牡馬であるイレネーを購入し日本に輸入。 十勝種馬牧場(十勝牧場)にて種牡馬として供用され、'28.5.22(S3)事故で死亡するまでの18年間に1074頭と交配し、597頭の産駒を出した。 うち196頭が種牡馬となり、存命中には直系子孫の559頭が種牡馬となるなど昭和初期前後に繁栄した。 この功績により現在、帯広市が帯広競馬場で開催するばんえい競馬の競走(重賞)で唯一、馬の功績を記念して名前を冠したレース「イレネー記念」が開催されている。
 '27(S2)宮内省より依頼を受けイギリスに赴き、サラブレッド種牡馬であるトウルヌソル(Tournesol) を約8100ポンド(当時の日本円で約98000円、現在のレートでは約10億円)で購入した。 トウルヌソルは千葉県の宮内庁下総御料牧場で種牡馬となり、日本を代表するサラブレッド種牡馬として、'35〜'39まで日本の種牡馬チャンピオンとなった。 4代連続の重賞勝馬が出るほど直系子孫でもっとも成功を収めている。種付料は500円。
 日本産サラブレッドの礎を築き、競馬や馬産、馬畜産業界にとって後世に続く大きな影響を与えた。獣医学博士。享年70歳。

<講談社日本人名大辞典>
<日本人名大事典など>


*墓石は和型「丹下家墓」。右面が墓誌となっている。戒名は創真靖院殿隆國道講大居士。昭和四年一月二十日という没年月日も刻むが俗名は刻まれていない。


【馬政局(ばせいきょく)】
 日本の馬事に関する事務を管掌した行政機関。1906(M39)公布の「馬政局官制(明治39年勅令第121号)」により設置された。設置当初は内閣直属とされたが、後に農林省に移る。


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