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たなか せいじ

田中清治

たなか せいじ

1892(明治25)〜 1967.8.12(昭和42)

大正・昭和期の冶金学者

埋葬場所: 22区 1種 23側〔山田家〕

 山形県出身。1917(T6)7月東京帝国大学工科大学冶金科卒。直ちに釜石鉱山製鋼課に勤務、'21(T10)9月東大工学部講師、同年12月助教授となり、'41(S16)4月工学博士の学位を受けた。 '43(S18)1月教授に進み、'53退官し名誉教授となり、千葉工業大学教授に転任した。日本鉄鋼協会理事、同会長として学会の発展に尽し、'45(S20)4月製鉄功労賞を受けた。 なお日本学術振興会十九委員会委員長として、戦後のわが国鋼材の品質改善に努力した。論文「鋳鉄の黒鉛化及び黒鉛組織の研究」がある。従三位、勲二等。享年75歳。

<平凡社『日本大人名事典 現代』>
<MATSU様より情報提供>


たなか せいじ

*墓石は和型で「山田家之墓」。左側に墓誌があり、戒名は宏徳院清誉道源居士。妻はサダ。娘の恒が嫁いだ義息子である山田勝俊の山田家代々墓に眠る。墓誌の裏面に田中清治の生前の意志により愛娘の恒の眠る此処の地に眠る旨が刻む。なお、娘の恒は1944(S19)21歳の若さで没している。


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