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たみや とらひこ

田宮虎彦

たみや とらひこ

1911.8.5(明治44)〜 1988.4.9(昭和63)

戦後の小説家

埋葬場所: 26区 1種 32側 13番

 東京出身。船員の父であったため、転居を繰り返し、幼少期は神戸で過ごす。両親は高知県出身。兵庫県立第一神戸中学校、第三高等学校を経て、東京帝国大学文学部国文学科に入学。在学中に同人誌「日暦」に参加し、小説『無花果』などを発表。'36(S11)「人民文庫」創刊とともに参加。治安維持法で度重なる発禁処分を受け廃刊に追い込まれた。
 大学卒業後は女学校教師などをしながら小説修業を続ける。'47「世界文化」に発表した会津士族の数奇な運命を描いた『霧の中』、戊辰戦争や太平洋戦争の表裏にもった『落城』連作や、戦国時代を描く『鷺』、他にも『物語の中』『末期の水』『菊の寿命』等を発表。権力への悲愴な敗北感をこめた歴史小説の連作で注目を集めた。
 太平洋戦争中の〈暗い谷間〉時代に取材した半自伝的作品『菊坂』『絵本』『足慴岬(あしずりみさき)』等の佳作を書き、'51『絵本』で毎日出版文化賞を受けた。『足慴岬』など両親の郷里の土佐を題材にした作品も多い。'56.11妻の千代を胃がんで亡くす。翌年、亡き妻との書簡集をまとめた『愛のかたみ』を刊行しベストセラーとなる。
 '57家城巳代治監督『異母兄弟』が映画化され、翌年のチェコのカルロビバリー映画祭でソビエトの「静かなるドン」とグランプリを頒けた。『赤い椿の花』(1960)は「雲がちぎれる時」(1961)という題名で、『花』(1964)は「花物語」(1989)という題名で映画化された。他の作品に、現代社会の矛盾を鋭くつく『異端の子』『幼女の声』『朝鮮折惘』『ある女の生涯』『銀心中』『沖縄の手記から』『ブラジルの日本人』『荒海』『さまざまな愛のかたち』などがある。庶民的ヒューマニズム・正義感と、清らかな詩情の漂う作風の私小説で才能を示した。
 '88.1脳梗塞で倒れ右半身不随となり、同.4.9午前9時15分頃、同居人の旧友の子息の不在中に、東京都港区北青山の自宅マンション11階ベランダから投身自殺をした。東京女子医科大学病院に搬送されたが死亡が確認された。享年76歳。遺書が残されており「脳梗塞が再発し手がしびれ思い通りに執筆ができなくなったため命を絶つ」と記されていた。

<コンサイス日本人名事典>
<講談社日本人名大辞典>
<日本大百科全書など>


墓所

*お墓は洋型墓を寝かせたもので正面左上角に「田宮家之墓」と小さく刻む。その他に刻みはない。

*妻は千代(旧姓は平林)。千代の妹は英文学者の小田島雄志の妻。田宮虎彦と千代との子は、長男の田宮兵衛は帝京平成大学名誉教授の気象学者、次男の田宮堅二は桐朋学園大学教授でトランペット奏者。

*土佐の足慴岬には「田宮虎彦先生文学碑」が建つ。


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