メイン » » » 為国二郎
ためくに じろう

為国二郎

ためくに じろう

1904.1.12(明治37)〜 1970.3.7(昭和45)

昭和期の海軍軍人(中佐)、基督教伝道者

埋葬場所: 5区 2種 10側

 海軍機関学校(35期)卒業。1943.4.3〜'45.3.30(S18〜S20)海軍機関学校教官、兼務して学年監事を務めた。将校時代に聖地であるエルサレムを訪れている。終戦時は海軍中佐。
 戦後は牧師として奉仕活動に尽力。'51アメリカ人宣教師のバゲットが茨城県友部町(笠原市美原)での伝道を共にし、友部駅近くの商店の倉庫を借りて、礼拝や祈り会、伝道集会を開き、福音の種をまいた。 '53以後は為国を中心に伝道活動が進められ、教会活動が軌道に乗る。'58バゲット帰国。アメリカからの募金などにより、為国が木造の旧教会堂を建設。地道な伝道を続け、会員数を増やしていたが、病魔に冒され志半ば天に召された。享年66歳。
 為国を失った友部教会は他教会の伝道者の協力により、諸集会が守られるも、'75水戸キリスト教会の付属となり、教会としての活動を休止せざるを得なくなった。 '80友部町での再開準備が始まり、'85アメリカ人宣教師のマーリン・レイが伝道者として赴任し、新教会堂を作り、伝道を再開した。'91(H3)より「宗教法人友部キリストの教会」と独立した教会として現在に至る。

<友部キリストの教会の歴史など>


墓所

*和型墓石が二基並ぶ。右側が「佐々木家之墓」、左側が「為國家之墓」。墓所右側に墓誌があり、左側に為国二郎の墓がある。墓には「在パラダスス / 伝道者 / 為國二郎墓 / 昭和四十五年三月七日昇天 / 愛子」と十字架が刻む。

*為国二郎の妻である愛子は、佐々木一雄の長女である。多磨霊園の墓所は元々妻の愛子の家系である佐々木家の墓所であったが、平成に入り為国家と合葬墓に作り替えられている。


関連リンク:



| メイン | 著名人リスト・た | 区別リスト |
このページに掲載されている文章および画像、その他全ての無許可転載を禁止します。