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たまい げんさく

玉井源作

たまい げんさく

1869(明治2)〜 1931.10.22(昭和6)

明治・大正・昭和期の教育者、考古学者

埋葬場所: 17区 1種 14側

 広島県出身。号は水哉。広島教員講習所に教鞭をとり、後に広島高等師範校長として県教育界に貢献した。一方、考古学の研修、郷土史の発掘研鑽に一生を捧げる。機関誌「尚古」、後に「芸備史壇」と改題し編集発行を続けた。
 '25.2(T14)に「芸備先哲伝」を独力にて刊行し、'26.5皇太子の台覧の栄を得た歴史書となる。'29(S4)春、旧広島城天守閣大本営に於いて先哲の遺品を開陳して、その顕彰展を開く。続いて、東京・大阪に於いても頼山陽展を開催するなど、その精華を挙げた。
 '31.10.22旅行先の竹原の頼家に赴き、歓談中に脳溢血を起し急死。享年62歳。没後、'76『広島県人名事典−芸備先哲伝』として刊行されている。

<墓誌碑より>


墓誌 墓所

*墓石は和型「玉井家之墓」。左側に和型「南無阿弥陀佛」と刻む墓石が並んで建つ。「玉井家之墓」の左右面は墓誌となっている。戒名は玉泉院釋深源居士。妻はハル。「南無阿弥陀佛」の墓石の裏面は「平成六年十一月 武田守人 建之」と刻む。墓所左側に墓誌が建ち、そこには玉井源作の業績や玉井家のことが刻む慰霊碑がはめ込まれている。

*墓誌には、平成六年秋、玉井源作の娘、毛利澄子と宮崎沢子により、玉井源作の業績を刻む慰霊の碑を建てた旨が刻む。そこには、上記した玉井源作の業績の他、玉井家墓石は広島原爆投下の際に爆心地付近にて被爆飛散したものを、昭和二十五年に多磨霊園に移送し慰霊をなす旨が刻む。


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